32:お地蔵様とチウカとリアルブタ野郎
巣鴨は江戸時代の巣鴨村に端を発し、中山道の板橋宿場にほど近い休憩所として栄えた場所だ。眞性寺の江戸六地蔵尊や明治に移転してきた高岩寺のとげぬき地蔵尊などへ安全や長寿のご利益に与ろうというお年寄りが集まり、周辺商店のお年寄りに優しいサービスとも相まって、他方それがメディアによって紹介され、いつしか「お年寄りの原宿」としてのブランドを確立するに至った――。
以上、法治大学経済学部・東京経済史ゼミ・竹中教授の著書「講義に出ないクソ学生でもわかる東京のれきし」より抜粋。ちなみに書店には置いていないしゼミ生しか買わない。今の世では絶版間違いなし。
服屋を離れてしばらく進むと、目抜き通りらしきところと合流し、そこからは一気に人が増える。市民らしい老若男女が賑やかにあたりを行き交っている。雑貨や軽食などの屋台がぽつぽつと立ち、店員のはきはきした売り声が聞こえてくる。
「ニンゲンがたくさんいるりす……」
「これがスガモ、っていうか人間の街だね」
学生の頃に行った巣鴨の縁日を思い出す。平日でもなかなか活気があったし、とても和やかな雰囲気だった。さすがに漬物や干しイモの屋台で買い食いはしなかったが。
一方、百年後のこのスガモに〝お年寄りの原宿〟の面影は感じられない。若い人や家族連れが多い。子どももいる。ノアのようにマントを羽織った狩人? らしき人もちらほら見かけられる。
町人の服装は想像していたよりも近代的だ。ファッションとしては総じて柄や模様の少ないシンプルなものばかりだが、スカートやワンピース、Tシャツやワイシャツ、カーディガンなども見かけられる。さすがに背広とネクタイはいないようだ。
この町は南と北の交易の要所として栄え、周囲をメトロの濃い地域に囲まれた要塞でもある。周りの小さい村から仕事をさがして若者が多く集まってきて、オシャレで活気があり、住民の信頼篤い市長の手腕もあって治安もいい。狩人や商人の集う町でもある――。昨日、道すがらオブチから聞いた話だ。
「アベシュー、いいにおいがするりす」
「屋台の料理だな。百五十円で買えるもんあるかな(借りたお金だけど)」
愁のオオカミバッグは宿に置いてきている。メトロ脱出の道程でいろんなものを採集してきたので、ここで滞在するためには早いうちに金に換えないといけない。
焼きそば、鹿肉ステーキ、からあげ串、じゃがバター。どれもうまそうだ。大判焼きやわたあめもある。わたあめは五十円だ(ちなみにどの店の看板も普通に日本語で表記されている)。
「やべー! あめー! うめー!」
「あまま! あまいりす! ほおぶくろのなかでとけちゃう!」
わたあめで興奮するアラサー男子とリスに、道行く人たちは訝しげな視線を送っている。
と、屋台と屋台の間に、そこにぽつんと立っているものに、愁の目が釘づけになる。
思いがけないものとの再会。感動で全身が打ち震えるほどだ。
「ふおお……ご無事でしたか……お地蔵様……!」
街角に立っているそれは、正確にはその面影も輪郭もすり減ってボーリングのピンみたいなシルエットになった石の塊にすぎないが、間違いなくお地蔵様だと愁は確信する。小柄なサイズ的にお寺の石仏群の一つだろうか。
「それは狩人のお守り石だよ」とわたあめ屋のご主人。
「お守り石?」
「スガモ市ができたとき、地中深くに埋もれてた石だって。それを通りに飾ったところ、以降獣害が減って市は平和になったってことで、この石のご利益だってありがたがられてな。街中に点在するお守り石を撫でると、狩りの安全と成功のご利益があるって、名物の一つになってんだ。おかげで俺んとこも商売繁盛、ありがたいこった」
「タミコ、撫でよう! ブルスコするまでナデナデしよう!」
文明の崩壊から免れ、百年の月日を経ても健在とは、さすが仏様だ。
他のお地蔵様さがしのために市を徘徊するうちに、いろいろとわかってくることがある。
町並みは石材や木材だけでなく、レンガや漆喰やコンクリートも見受けられる。ガラス窓がついている建物も多い。比較的近代的な建築様式だ。
商店には陶器やガラス製の器なども売っている。オシャレな工芸品も多い。店に並ぶ布や人々の着る衣服を見るに紡績の技術も進んでいるようだ。
売っている食べものを見る限り、畜産を含む農業も盛んなようだ。野菜、パン、米。メトロ獣のものらしき肉も出回っている。
水も、そこらの水場で清潔なものをふんだんに利用できる。市の地下のメトロ内に走る水流から引いて濾過したものらしい。下水も別の水流に廃棄しているということだが、そもそもその水流がどこから来てどこへ行っているのかは謎という。メトロとの共生、という言葉が脳裏に浮かぶ。
公衆洗濯場(コインランドリーのようなもの)には、木籠製の簡素な洗濯機と脱水機がある(足踏みペダルで回して洗濯するようだ)。大きな家には太陽光を利用した温水設備らしきものもある。自然や環境を利用したエコな仕上がりだ。
(崩壊から再興に至る過程では、過去の文明の発展の時代と同じ道をたどるとは限らない――だっけ?)
なにかの本にそう書いてあったのを憶えている。
現実に今そうなっているわけだ。町並みは中世から近世だとしても、動力の利用や環境エネルギーの抽出など、現代的な力学的概念はきっちり再利用されている。
(でも――なんかおかしいよな)
これだけ進んだ技術があるのなら、電力の利用――少なくとも小規模な風力や水力の発電設備くらいはできていてもおかしくはない気もする。ガスや石油などは現物がなければそれまでだが、電力はわりと簡単に起こせるはずだ。それが利用されている気配はない。
(明かりも燃えるツクシとかオイルランプとかだし……)
文明の再構築の過程で、そういった知識だけがぽっかり抜けてしまったのだろうか。そんなことがあるのだろうか。
スガモ市は人口五万人を超える大都市ということで、要塞化された市街地はかなり広い。やや南北に長い敷地は一辺三・四キロはあるだろう。
市の中心部には、市長の邸宅と市議会の議事堂がある。木造の立派な建物だ。
周辺にはものものしい憲兵が何人か歩いている。愁をちらちらと窺っている。不審者にでも見られているのだろうか、面倒になる前に立ち去っておく。
「アベさん」
と、後ろから呼びかけられる。ノアだ。その後ろにオブチとユイもいる。
「狩人のジャージ、すっごくお似合いですね」
「そう? マジで?」
JKにそんな風に褒められて内心有頂天になるアラサー。
「みんなはどうしたの? 狩人ギルド? に行ってたんだっけ?」
「はい、その営業所がこの近くなんです」とノア。「憲兵団とギルドにはちゃんと報告してきました」
「そっか。ありがと」
「憲兵団に事情を説明するにあたって――」とオブチ。「アベさんには申し訳ないんですが……野盗団は僕とイカリさんで壊滅させたということにさせていただきました。アベさんにはそのお手伝いをしていただいたと。そのほうがアベさんにご面倒をおかけせずに済むかなと思いまして……手柄を横取りする形になってしまって恐縮ですが……」
「いえいえ、全然いいっす。確かにすげー面倒になりそうだし」
お役所にいろいろ根掘り葉掘り訊かれても困るだけだ。百年も寝ていたなんてすんなり信じてもらえるとも思えない。
「公式にお尋ね者になっていたわけではないらしいので、報奨金が出たりはしないんですが、もしかしたら市のほうから金一封くらいは出るかもしれません。そうなったらアベさんにお渡ししますね」
「あー、ぶっちゃけ助かります。俺ら無一文なんで……」
「近くにおいしい店があるんで、よかったらお昼はそこで食べませんか? もちろん僕が持ちますので」
「いそぐりす、このゴクツブシども! ゴーゴーゴー!」
「すいません、ゴチになります。うちの上官もこう言ってるんで」
三分ほど歩いた先に、「スガモ食堂」と暖簾のかかった小さな店がある。和食の店かと思いきや、なんと出てきたのは中華料理だ。
チャーハン、餃子、エビチリ。玉子スープにザーサイ、キクラゲの炒めもの。
「チャーハンうめえ! ごはんパラパラやん! 餃子マジやべえ! 羽根皮パリパリやん!」
「はふはふ! このあかいのからうまりす! ひー! あたい、けあなひらいちゃう!」
「ヤマイモムシのチリソース炒めですね。お口に合ってよかったです」
エビチリ改めイモムシチリに伸びかけた愁の箸が止まる。周りは誰一人気にするそぶりなくパクついている。
シン・トーキョーでは昆虫食も当たり前のようだ。まあ愁としても、メトロでときどきコオロギをかじっていたし、今朝もゴキブリを食べたし。
昆虫食は未来の食糧という記事をあの時代よく見たものだ。ヘルシーで高タンパク、養殖もわりと簡単といいことずくめだ、見た目とか印象とかいろいろアレなのを除けば。ともすればゴキブリもコオロギも、きっとシン・トーキョーの民のお腹を満たしてきたのだろう。
今さらイモムシでおたつくのもアレだ。意を決して食べてみる。案の定うまい。肉厚でジューシーでまろやかなうまみ。
この文化、〝超菌類汚染〟にもめげずに生き残り、シン・トーキョーでも人気の「チウカ料理」というらしい。後世に継承してくれた中華屋のおっさん(想像)に感謝だ。
「でもさすがに……ピータンは無理だな……」
ネズミもコオロギもムカデも食ってきたが、この悪魔的な色どりのタマゴにだけは箸が伸びない。くんくんにおいをかいだタミコも「くっちゃ! オシッコくっちゃ!」と顔をのけぞらせる。
「慣れると悪くないんですけどね」
オブチが一つ口に運び、ノアも果敢にチャレンジする。もちゃもちゃ咀嚼し、うんうんとうなずいている。
「ノア、だいじょぶ?」
「だいじょぶです。ボク、くっさいのとか好物なんで」
「だからそういうの人前で言ったらね」
三人と二匹が通されたのは奥の個室だ。オブチはこの店にも顔が利くらしい。そのブタ顔は伊達ではないようだ。ちなみに彼の顔の傷や痣は愁の治療玉ですっかり綺麗になっている。
オブチは〝
「オブチさん、今日もまいどありね」
コック姿のおじさんがやってくる。しゃべりかたがたどたどしい。
「マスター、今日もおいしくいただいてますよ。ぶひー」
「ありがとアル。今日は珍しく狩人さんのお仲間アルか。相変わらずの八方美人アルな」
「待って、ちょっと待って」
思わず口を挟む愁。スルーできなかった。
「なにアルか?」
「ごめんなさいアベ。じゃなくて、もしかして、中国人の方?」
「アイヤー? チウゴクって、壁の向こうにある大昔の国アルね?」
「はい? はい」
「おかしなこと訊くアルな。アタシは生まれも育ちも生粋のシン・トーキョー民ね」
「えっと、そのしゃべりかたってなんなんすか?」
「お前さん、田舎者アルね。チウカ言葉を知らないなんて。チウカ料理をたしなむ者の伝統的なしきたりアルよ。どこの都市でも一流のチウカ料理屋はみんなこうアルね」
「なるほど。理解しました」
素直に引き下がっておく。おそらくこういった予測不能な伝統や風習が、この百年の間に国中にはびこっていると思われる。部外者が無闇に触れても田舎者呼ばわりされるだけだ。
「あのニンゲン、へんなしゃべりかたりすね」
「うん? うん」
とりあえず料理はうまい。平成の中華屋と遜色ない。今はそれでいい。
「タミコちゃん、デザートも来るからお腹を空けとくわな」
「デザート? なんりすか?」
「食事の最後に出る口直しの甘い食べものだわな。この店の杏仁豆腐はほんのり甘くて口の中でとろけるわな」
「じゅるり……ちじょうはあまあまのらくえんりすね……」
宿でもそうだったが、今の世では動物というか魔獣が飲食店で同じテーブルにつくのはごく普通のことらしい。特段咎められることもない。
愁はテーブルに乗って玉子スープをちろちろ舐めるユイを絶え間なくちら見している。なんとかして上官の目をかいくぐり、スキンシップを図る機会を持てないものかと絶えずチャンスを窺っている。
「オブチさんはスガモ市で顔が広いんですね」とノア。
「そうですね、商売柄」とオブチ。
「商売柄?」と愁。
「実を言うと、狩人は副業みたいなものでして。本職は行商人なんです。いろんな町を渡り歩いて、いいものを集めていいものを売る。それが僕のライフワークなんです」
「へえ、すごい」
狩人兼商人。カッコいい。
「狩人に登録したのは、自分でメトロに商品を仕入れに行くのに都合がよかったからです。菌職的にも向いているとわかったし、こんなご時世ですから自分の身は自分で守らないとだし」
「守れてないわな。あんな〝腕落ち〟の野盗なんかにボコボコにされて」
ユイが口を挟む。やれやれという風に顔を洗っている。
「人質をとられて悪党の言いなりになるなんて、狩人失格だわな。二人ともやつらの手に落ちるくらいなら、うちをほっぽって一人で逃げればよかったんだわな」
「そんな、ユイ様……」
オブチは目を潤ませる。
「そんなこと言わないでください! 僕はユイ様なしでは生きていけないんです!」
「黙るわいな! この意気地なしの大ブタ野郎が!」
ユイがぺちっと前足でオブチの頬を張る。大して力はこもっていないようだが、オブチの鼻息が荒くなる。
「ああ、ああ……! 三カ月と八日ぶりに、ユイ様の麻薬のごとき弾力を誇る肉球ビンタをいただきました! 感無量です、ぶひゅー!」
「ええい! 触るなこの直毛白ブタ! くっさい息吐きかけんなわな! お前はうちの奴隷なんだわな!」
「ああ、もっと! 僕を罵ってください! その肉球で懲らしめてください! それが明日を生きる糧になるんです! ぶひぃ!」
愁の熱が急激に冷めていく。ネコの下僕になりたい気持ちは重々わかるが、リアルにネコの下僕になった人を客観的に見て気持ちがいいかどうかは別だ。名実ともにブタ野郎と化したオブチ本人が幸せそうだから別にいいか。チウカうめえ。
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