31:スガモの街角

 五年ぶりの布団で迎える朝は、こんなにも清々しい。


 愁は小鳥の声で目を覚ます。枕から頭を上げ、天井に向かって伸びをする。

 隣には座布団の上でヘソ天するタミコ。そしてその向こう――布団を蹴飛ばして背中が丸見えの少女が寝ている。ノアだ

 ごろん、と彼女がこちら側に寝返りを打つ。浴衣の胸元が露わになり、目をそむけるかもうしばらく凝視しようか悩み――。


「おはようりす」

「見てないよ俺は見てないよおはようタミコ!」

 

 

 

 三人はスガモ市の南門付近にある宿にいる。オブチの顔の利く、狩人向けの老舗の旅館だという。

 昨晩、干し肉をかじりながらへとへとの状態でスガモ市に着くと、そこは水を湛えた堀と高い塀に囲まれた要塞都市だった。お年寄りの原宿、まさかの要塞化。


 跳ね橋が上がっていて、遠巻きにオブチが声をかけると中に入れてもらえた。革の鎧や槍などで武装した憲兵が数人と、その後ろにコンノもいた。

 野盗の集団を退治した話をすると、憲兵たちがにわかに色めきだった。コンノが約束どおり彼らに話を通していたようだが、具体的な場所もわからずに夜の森に討伐に出向くわけにもいかず、守りをかためることしかできなかったという。


 愁の珍妙な服装に彼らは訝しげだったが、狩人であるノアとオブチがきちんと説明してくれたおかげでどうにか納得してもらえた。

 詳しい話を、というところで一同はもうくたくたでおねむでしょうがなく、じゃあ続きは明日にでもということになった。コンノから車に載せたままだった荷物を受けとり、オブチの口利きでこの宿に急遽部屋をとってもらい、風呂にも入らずに適当に濡れ手拭いで身体を拭いてそのまま布団に潜り込んだ。そして今に至る。


 今さらだが、お年頃の女の子と同室というのはどうにかならなかったのだろうか。

 本人が気にしないというので愁としても口を挟みはしなかったが、こうなると目のやり場に困る。ノア、意外と寝相が悪い。


「ふあー……ああ、おはようございます」


 ようやく目を覚ましたノアは、大きく伸びをして、無造作に浴衣を直す。終了。

 朝食は部屋まで持ってきてもらえる。簡素な和服を着た仲居がお盆を三つ持ってくる。

 白いごはん、玉子焼き、味噌汁、漬物。小鉢には鶏肉らしきものの煮物と佃煮。


「アベシュー、なんでないてるりすか?」

「いやもう……なにもかも眩しくて……」


 五年ぶりの米はもう、感動的にうまい。味噌汁もおかずもすべてうまい。もはや語彙能力の限界を超えている。


「お口に合いますか?」

「涙でごはん三杯いけます」

「おコメうまうまりす! ちゃいろいしるしょっぱうま! このきいろいのふかふかでほおぶくろがおちちゃう!」

「この佃煮もめっちゃうまいっす! イナゴですかね?」

「メトロゴキブリですね」

「ですよね」


 隣のノアは平然とパクついている。

 食事を終え、朝風呂の用意ができているという神の声を聞く。


 ついに、ついにこの瞬間がやってきた。


 一階の奥に男と女の暖簾が仲よく並んでいる。ノアとタミコとはそこで別れ、男湯に入る。

 脱衣所も浴室も、古きよき木造旅館のそれだ。女将の話によると「地下のメトロから温泉を引いている」という。この街の上下水道もメトロを利用したものらしい。もはやなんでもありだ、メトロ。


 借りものの手拭いに石鹸をこすりつけ、身体を洗う。念入りに洗い、石を使って垢をこすりとる。面白いほど垢が出る。水浴び程度はしてきたが、それでも落ちずに溜まりに溜まった五年分のメトロ垢だ。

 湯船に浸かる。あまりの心地よさに「アッー!」と声が出る。「アアッー!」。

 やや黄色がかったお湯だ。浴槽の木の香りになんとも癒やされる。


 ふかふかの清潔な布団で寝て、玉子焼きの朝ごはんを食べて、こうして温泉に入っている。

 まるで夢でも見ているみたいだ。五年間の苦労が報われすぎて幸せすぎる。


「――あったかいみず、きもちいいりす!」


 壁が薄いのか、タミコの声が聞こえてくる。構造上問題あるだろというツッコミはお湯に流す。


「ノアのむねはやわらかくてプルプルりす。スライムよりプルプルりす」

「詳しく(小声)」

「ちくびもピンクいろできれいりす」

「詳しく(小声)」

「アベシューのきったないクロカビちくびとはおおちがいりす。あれはちくカビりす」

「ほっとけや(小声)」

「人間の女の子はみんなこうなんですよ。ボクはちょっとその……おっきくて、悩んだりするけど……」

「ふかふかりすよ。ここにはさまってるときもちいいりす」

「お前マジか(小声)」

「ふふ、ありがとう。タミコさん。あとでボクもこしょらせてね」


 ほこほこした三人が部屋で合流する。愁はタミコをこしょる。ありったけの羨望をこめて。

 ノアはこれからオブチと一緒に狩人ギルドの営業所に行くという。昨日の野盗の件だ。


「アベさんは大丈夫です。ボクたちできちんと話してきますから。その間、二人で街を回ってみてください」

「ありがとう。ああ、そっか……服買いたいな……」

「じゃあ、これで買ってください」


 ノアが財布らしき布製の袋から折りたたんだ紙幣を数枚抜き、愁に手渡す。「都庁銀行券 1000円」と書いてある。お札らしい文様と、若い男の顔も。それが五枚。


「これがお金?」

「はい、一枚千円、これで五千円です」

「ちなみにこれ誰?」

「初代シブヤトライブの族長です」

「へー」


 紙は意外としっかりしている。真ん中にきちんと透かしも入っているが、プリントというかインクが多少粗い気がする。


「あんまり高いのは買えないかもですけど、この近くに狩人向けの衣服の古着屋があるので、そこなら上下とか下着とかそろうと思いますよ」

「ありがとう。ちゃんとあとで返すから」


 そういえば宿代もオブチ持ちだ。


「ふふ、だいじょぶですよ。それくらいじゃ返せないほど、お二人には借りがありますから」


 つくづく最初に出会えたのがノアでよかったと思う。イタズラっぽく笑う顔を見てそう思う。

 

 

 

 宿を出て、街を回る前に服を買いに行く。

 女将に場所を聞いたので、その古着屋はすぐにわかる。木の吊るし看板に描かれた服と靴の絵から見るに、確かに洋服屋だ。

 ドアの奥は、まさに宝の山に見える。折りたたまれた衣類が棚に陳列されている。奥のほうにはマントや革鎧といったファンタジックな商品も置かれている。こんなにも服屋で感動したのは人生で初めてかもしれない。


「いらっしゃい」


 中年の店主らしき男がやってきて、愁のオオカミルックを見てぎょっとする。


「どうした、あんちゃん? まるでナカノの野人みたいな格好だな」


 現代のナカノは野人の町になっているのか。確かタミコの種族が住んでいるという森もあるはずだ。


「えっと……適当に服と、下着とか肌着とか、あと靴下とか。一式五千円以内で収まります?」

「五千円ね。じゃあ適当に出していくから、気に入ったのがあったら言ってくれ。つっても予算的に選り好みはできねえけどな」

「あ、はい。だいじょぶっす」


 店主がピックアップしてくれるのは、ノアが着ていたジャージと似たものだ。これが狩人の主流ファッションらしい。

 色合い的には地味な暗色系ばかりで、柄も縫製もシンプルだが、少なくとも穴開きだったりほつれが目立つようなものはない。防虫剤らしきにおいがつんと鼻をつくがしかたない。

 試着してみると、身体にぴったりと馴染み、動きやすい。


「アベシュー、にあってるりす」

「だろ」

「オーガよりカッコよくなったりす」

「すっぴんだとオーガ以下なの?」

「あたいもなにかきてみたいりす」

「悪いね、この店は人間用なんだ」

「そうりすか……」


 しょんぼりタミコ。


「あ、でも魔獣用の服も売ってる店があるから、そっち行ってみるといいよ」

「あとで行こうか」

「りっす!」


 長袖長ズボンのジャージ上下(くすんだ黒)、ベルト代わりの紐。靴下、下着のパンツと薄手のシャツ。靴は革製で、底に金属らしきかたい板がついている。

 こうして真っ当な布に包まれているというだけで、こんなにも安心できるとは。ようやく原始人から文明人に戻れた気分だ。なにこのこの無敵感。

 一式を身につけると、店主が姿見を置いてくれる。


「……俺だ……」


 そこに映っているのは、まぎれもなく阿部愁だ。旅館の更衣室でも見たが、五年ぶりの鏡越しの自分、メトロのオアシスの水面に映したときよりもはっきりと認識できる。

 昔よりも精悍な顔つきになっている、と言いたいところだが、あまり変化がないように見える。五歳も年を食ったのに。

 身体つきに関しては昔よりも明らかにがっしりしている。さんざん憧れた細マッチョだが、実務的に必要に迫られての体型なので格別の嬉しさはない。


「どうした? なんか不満かい?」

「あ、いえ、全然……これでいいです」

「気にすんな。そういう薄い顔のほうが女は警戒しない」

「心読まんでください」


 いつも『いい人そう』で終わる苦悩がわかるものか。


「えーと、お代は、と……」


 店主はそろばんをぱちぱちはじく。


「これで四千八百五十円だね。なんか他にも買ってくかい? 手入れ用の油か石鹸か」

「いや、うーん……とりあえずだいじょぶです」


 お釣りを受けとる。灰色のギザギザした硬貨が五枚と、銅色の一回り小さいものが一枚。これで百五十円か。

 改めて見てみると、平成の硬貨とはずいぶん違う。金属、とはちょっと違う気がする。かたさはあるが軽く、けれどプラスチックとも石とも違う。不思議な触り心地だ。二種類とも表には〝TOKYO-TOCHO〟と文字と数字が彫られ、裏側は骨のように真っ白だ。

 ちなみにノアによると、シン・トーキョーでは一円、十円、百円が硬貨、そして五百円、千円、一万円が紙幣らしい。

 当然ながら昔の千円と今の千円では価値は異なるだろう。そのへんはおいおい実地で経験して金銭感覚を身につけるしかなさそうだ。


 まいど、と店主の挨拶を背に店を出る。これでファッション的には現代文明に追いつけたので、気兼ねなく街を練り歩くことにする。調子に乗ってジョジョ立ちしているところを子どもに見られる。

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