25:襲撃
暗くてよく見えないが、感知胞子は前方に一人、右に三人、左に二人、後ろにも一人捉えている。七人だ。
フィクションなら「ヒャッハー!」的に奇声をあげながら襲いかかってくるのがテンプレだが、彼らはずっと黙って闇に融け込んだままだ。襲撃慣れしているのか、単にノリが悪いのか。後者なら嬉しい。
再び放たれた矢を愁は察知し、大盾ではじく。すかさず逆側から迫る二本も刀で払う。
――遅い。今の愁の反射神経からしたら余裕ではじき飛ばせる。スライムの触手攻撃の足元にも及ばない。
右手の指先に燃える菌糸玉を生み出し、前方に投げつける。ボンッ! と赤い火が爆ぜ、「うおっ!」と短い悲鳴がする。
そちらに意識が向いた瞬間、愁は右側に下りて一気に距離を詰める。
弓持ちが一人、石器の斧を持っているのが二人。面食らって反応が遅れた弓持ちの弓を斬る。
そのまま斬りつけようとして、目が合ってしまう。
男だ。無精ヒゲだらけの、汚い身なりの、三十代くらいの。
――躊躇。一瞬の硬直。
その隙に弓持ちが腰からナイフを抜こうとする。
(くそっ!)
愁は刀を反転させ、峰で首を殴りつける。うめき声もなく倒れるのを背に、間近に迫っていた残り二人を大盾の体当たりでまとめて吹っ飛ばす。背中を木にしたたかに打ちつけ、動かなくなる。
ふう、と額に浮かんだ汗を拭う。
あと一歩で殺さずに済んだ。
(つーか、人間弱すぎじゃね?)
こちらの動きにまるで対応できていない。ゴーストウルフや青ゴブリンと比較しても遥かに劣る。
「――シャー! こっちくんなりす!」
後ろの一人が荷台に乗り込もうとしている。ノアとタミコが応戦しているようだ。
慌ててそちらに回り込んで――首から血を噴いて落ちていく男の姿が目に入る。
荷台から菌糸ナイフを握ったノアが身を乗り出している。その顔に返り血を浴びている。
(――マジか)
(殺しちゃった)
「アベさん!」
愁が目を剥いて突っ立っている隙に、左側の二人が回り込んで向かってくる。一人が槍を持って「おおおおっ!」と野蛮なおたけびをあげながら突っ込んでくる。その後ろで弓持ちが矢をつがえている。
木の棒に尖った石をくくりつけただけの槍だ、刀で軽く撫でただけで両断できる。怯んだその顔面を蹴り飛ばし、飛んでくる矢を払いのける。もう一度矢を構えようとするより先に間合いをつぶし、柄尻で顎を打ち抜く。
「まえのやつがにげるりす!」
逃がすか追うか。一瞬躊躇った愁だが、森のほうに逃げ込む寸前に跳躍力強化で一気に追いつき、「ひっ!」と狼狽する相手を斬り伏せる。もちろん峰で。
事態が収まり、森に静けさが戻ってくる。
ふう、と身体に溜まった重い空気を吐き出す。
結果だけ見れば楽勝だった。倍の数がいても問題なかっただろう。
それでも、今までの獣相手との戦闘とはまったく別の恐怖があった。人間という生物をよく知るからこその恐怖。そしてそれを手にかけることへの恐怖。べったりと額に浮かんだ汗をてのひらで拭う。
「いやー……お兄さん、すごいね……ほとんど一人で……人間業じゃないね、褒め言葉だけど……」
荷台にいるコンノが目を丸くしている。その横でなぜかタミコがドヤ顔している。
「えっと……そんで、こいつらどうしましょう?」
一人はノアが殺してしまったが、残りの六人は気を失っただけだ。捕らえた野盗をどう扱うか、この世界の常識に疎い愁には判断がつかない。
「町に連行するか、ここで殺すかですね」とノア。「まあ、殺すのが無難ですね」
「え? 殺しちゃうの?」と愁。
「まあ、そうするしかないよね」とコンノ。
「マジすか?」と愁。
「ニンゲンまずそうりすよ?」とタミコ。
気を失ったままの野盗五人を運び、荷車の後ろに集める。全員まだ目覚めていない。
「イカリさん……巷では野盗は殺すのが当たり前なの?」
「そうですね。狩人としては殺すか捕らえるかですけど、殺しておくのが一番確実だと思います。死体は反撃してきませんし、二度と悪さもしないから」
ノアは平然としている。たった今、この十八歳の女の子は野盗を一人殺めた。頬には返り血がこびりついたままだ。
「人殺しって、犯罪にはならないの? いや、もちろんさっきのは完全に正当防衛だろうけど」
「都庁の定めたトーキョー法には殺人罪の規定があります。対象となるのは各トライブの領民や有戸籍の町民、そして『よき自由民』です」
「よきって?」
「ちょっと曖昧ですけど、そのへんは都庁のさじ加減かと」
ずるい。
「あ、あたいは? あたいはわるいまじゅうじゃないりすよ?」
ぷるぷるタミコ。
「カーバンクル族を含む人間社会との友好協定を結んだ魔獣族は、トーキョー法においては『よき隣人』とされ、同様の権利を持っています。魔獣族を手にかけた場合も、殺人罪とは異なりますが刑罰の対象となります」
「しってたりす」
「嘘つけ」
「一方で、野盗などの罪人や『悪しき自由民』などに関しては、その権利は保護されていません。狩人ギルドの掟でも『狩人たる者、公の秩序を守るべく力を尽くすべし』という条文があります。シン・トーキョーの平和を守る社会正義のために」
「……悪党に人権はない、的な感じか」
愁はがしがしと頭を掻く。
よきだの悪しきだの、勝手に判断されても困る。
まあ、襲ってきたこいつらは「悪しき」で間違いないのだろうが。
五人はぐったりと横たわったまま動かない。まだ生きているのは確認済みだ。
「彼らは問答無用でアベさんとコンノさんに矢を射かけました。つまり殺して車ごと奪うつもりだった。情けをかける必要はないと思います」
「うん……わかるよ、わかるけど……」
「ネズミやモグラやゴーストウルフはたくさんころしてたべたりすけど、ニンゲンもころしてたべるりすか?」
「いや、うーんと……食べないけどさ……」
「たべないのにころすりすか?」
「タミコさん、お腹いっぱいのときでも獣が襲ってきたら撃退するでしょ? それと同じですよ」
「でも……おなかいっぱいだったら、あいてがにげたらほっとくりすよ」
「人間を襲う人間は、獣よりも邪悪で、懲りるということがありません。放っておけば、また別のところで他の誰かを襲います」
さすがのタミコも神妙な面持ちになる。
「でもさ、町までもうすぐなんでしょ? 捕まえて牢屋に入れて、裁判にかける的なのは?」
「そりゃ、結局縛り首だよ」とコンノ。「どこの町でも野盗を許すことはない。ここで死ぬかあとで死ぬかの違いさ」
「死刑確定なんすか?」
「まあ……裁判には教団も絡むから、改悛の情が認められれば懲役や改宗で済むこともあるって聞くけど。つってもいきなり射かけてくるようなやつらだからな、酌量の余地はゼロだろう」
認めないといけないのだろうか。自分の価値観はあくまでも百年前の、カビの生えた過去の遺物であると。この倫理観はあの時代に根ざしたものであり、この時代のものではないと。
結局、なにを置いても人名最優先という人道的な道徳観は、複雑なシステムを抱えられる包容力があればこそのお題目ということだ。まだこの世界の一端にしか触れていないが、ここではもっとプリミティブな概念が浸透しているようだ。この世界に合った、この世界を守るためのシンプルな正義が。
「でもなあ……」
自分はこれまでさんざん獣を殺してきた。生きるため、食うために。
(食うための殺しと、守るための殺しと。なにが違うんだろう?)
(そもそも獣は殺してもよくて人間は殺しちゃダメって、それもおかしいのかな?)
(じゃあタミコのような魔獣は? 意思疎通できるかできないかで線引きすんの?)
(なにが正しいの? 良し悪しは誰が決めんの?)
メトロ獣とやり合う際、「恨みっこなし」と愁は常に心に決めて事に臨んできた。相手にしてみれば「知ったことか! 末代まで祟っちゃるぞ!」と思うかもしれないが、少なくとも愁自身は生きるために命を奪う行為に対して、逆に奪われることも覚悟して挑んできたつもりだ。
その理屈に当てはめるなら、殺すつもりで襲ってきたこいつらを殺すことも、結局は変わらないのかもしれない。
だが――すでに勝負は決している。それでもあえて、食うつもりもなしにとどめを刺す、それでいいのだろうか。
「なあ、さっさと終わらせて町に戻ろう。他にも仲間がいないとも限らん」
「そうですね」
コンノの催促で、ノアはてのひらから菌糸ナイフをとり出す。
切っ先がわずかに震えている、ように見えるのは気のせいか。
彼女が一つ息をつき、それを振りかぶり――。
「待って、ノア」
愁がそれを止める。
「……やっぱさ。もう戦意喪失してるやつの寝首を掻くってさ、寝覚め悪いって」
「……じゃあ、どうするんです?」
「町の人たちに引き渡そう。法律で裁く人がいるんだろ? その人たちに任せよう」
「お兄ちゃん、でもそりゃあ……」
「自分でもわかってます」
自分でもわかっている。もはや理屈でなく感情論だと。
要は手を汚したくないだけなのだと。
目の前で人が死ぬのを見たくないだけなのだと。
彼女にそれをしてほしくないというエゴなのだと。
「でも……うまく言えないけど、そうしたほうがいいって思うから……」
それが、今の世界にそぐわない価値観だとしても――。
ノアがナイフを下ろし、ふう、と息をつく。
「……わかりました。捕らえたのはアベさんですから、ボクはそれに従います」
「おいおい、坊っちゃん」
「すいません、コンノさん。拘束してスガモに連行します。この車で運ばせてください」
コンノは首をすくめ、やれやれという風に頭を振る。
「こんな、お人好しの狩人は初めてだね」
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