24:輪入道車

 日は着々と傾き、あたりは影が広がっている。


「イカリさん、シン・トーキョーの地図って持ってる?」

「あ、はい。簡易版のやつですけど……」


 ノアがリュックのポケットからA4くらいの紙をとり出す。四つ折りのそれを広げると、そこには彼女の言う「ざっくりとしたシン・トーキョー」の姿が描かれている。

 横に少し長い、ゴツゴツとした楕円だ。地名がカタカナで書かれていて、それが赤青黄の丸で囲まれている。西はスギナミ、東はセンジュ、カメイド。北はアカバネとネリマ、南はシナガワ。地図を見る限り、大田区、足立区、江戸川区あたりは含まれていないようだ。

 東京の東半分、二十三区付近が五十倍の面積に。単純計算なら縦横に七・八倍ずつくらい広がった計算か。

 シナガワの横に青く塗られている部分がある。


「ここって、もしかして海?」

「はい、トーキョー湾です」

「船で外に出られたりとか?」

「いえ……壁が覆ってますから」


 地図を見ると、確かに東京湾も壁に覆われている。壁は湾の底からせり出しているということか。


「でも、海水は外の海と出入りしているそうです。壁のどこかに穴が空いていると言われていますが、ひいじいのメモには『壁は水を閉じ込めるものではないのかもしれない』とも書いてあります」

「どういうこと?」

「ボクにもわからないです。ひいじいはその、いろいろと変わった人だったので……他にも、観念的というか、よくわからない記述が多くて……」


 地図に目を戻すと、赤丸のイケブクロの右に青丸のスガモがある。


「これ、赤と青ってなにか違うの?」

「赤はトライブ領、青はそれ以外の町です」

「どう違うの?」

「トライブは族長が統治しています。族長は基本的には世襲制で、前族長による選出で引き継がれていきます。それ以外の町は、都庁の直轄地だったり、住民による自治で成り立っていたりします。スガモ市は後者ですね」

「なるほど」


 そう聞くとトライブのイメージが悪く思えるのは民主主義万歳な価値観で育ったからだろうか。


「そんで、黄色の丸は……オオツカもあるってことは、メトロ?」

「そうです」


 赤と青がそれぞれ十個ずつくらいなのに対して、黄色はざっと三十以上ある。町よりも多い。


「ちなみに、この地図にないメトロもたくさんあります。今こうしている間にも、どこかで新しいメトロが生まれている、なんてことも。シン・トーキョーはメトロの国ですからね」

「なるほど……ありがとう。また時間食わせちゃったね」

「いえ。じゃあ行きましょうか」

「タミコ、行くぞ」

「ひっふ!」

「ドングリ詰め込みすぎだろ」


 両側に森、まっすぐな道。虫や野鳥の声がときおり聞こえてくる。

 二・三十分歩いたところで日が落ちて、かなり暗くなってくる。ノアがランプに火をつける。


「アベシュー、くらくなってきたりす」

「夜だよ」

「あそこ、そらにちっこいコケがひかってるりす」

「あれが星だよ」

「はあ……ピカピカしてるりす……ドングリよりきれいりす……」

「ドングリと星をくらべたのは地球上でお前が初めてかもな」

「あっちにもみえるりす、あっちにも……」


 空を仰いでうっとりするタミコ。いつになく乙女チックになってヒロイン感が増している。

 と、その耳がぴくっと反応する。


「アベシュー、うしろからなにかくるりす」

「マジで?」


 振り返ると、オレンジ色の小さな明かりが見える。ゴロロロ、ゴロロロ……と車輪の転がる音がかすかに聞こえる。誰かが向こうから近づいてくるようだ。

 車だ。大昔のオープンカー的な、というか風除けのないトラクターのような感じだ。白い幌で覆われた軽トラくらいの荷車を後ろに接続している。

 前の運転席に人が乗っていて、手綱を握っている。中年の男だ。襟のないシャツにジャケットを羽織っている。


「どうも、こんばんは」


 男はおっとりした声でそう挨拶してくる。


「こんばんは」


 ノアがすぐに返す。


「坊っちゃん、そのナリからすると狩人かい?」

「はい」


 男の目にはやはり、ノアは男の子に見えているようだ。

 愁とタミコはノアの後ろでもじもじしている。これでこの世界で会った二人目の人間、地上では初めての人間。緊張せずにはいられない。


「私はスガモ市のコンノ・アキオ、商売人です。坊っちゃん、よかったら所属を教えてもらえますか?」

「イケブクロトライブのイカリ・ノアです。これが認識票です」


 ノアがカバンから名刺サイズくらいのカードを出してみせる。コンノという男がうなずく。


「後ろの方は……」

「あ、えっと、阿部愁です」

「あたいはタミコりす」

「おお、ナカノのカーバンクル族か。こんなところで珍しい」

「自由民の方とその相棒さんです。ちょっと縁があって、これからスガモにお連れするところなんです」


 自由民。要は無所属? 無戸籍? 的なものだろうか。


「そりゃちょうどいい。よかったら乗っていかんかい? 後ろは空っぽだから」

「いいんですか?」

「カグラザカに品を届けに行った帰りなんだけどね、途中で脱輪しちまって、直してたら思ったより時間を食っちまって。このとおりすっかり日も暮れちまって、スガモに着く前に野盗にでも出くわさないかってヒヤヒヤしてたんだ。狩人さんが一緒なら心強い」

「ありがたいです。アベさん、タミコさん、いいですか?」

「あ、うん……」

「どうかしました? なにか不安でも?」


 首をかしげるノアに、愁は「いや」と首を振ってみせる。

 荷車、夜道、野盗。そのフレーズを聞いて、マンガやゲームで訓練された平成民としては襲撃イベントを予期せずにはいられない。フラグという非科学的な概念が否定されることを願うしかない。


「ヤトウだかヨトウだかしらんりすけど、あたいがいればはっぱのおふねにのるがごとくりすよ!」

「沈むわ。つーかフラグ立てんな」

 

 

 

 荷台にはわずかな荷物しかない。結構広くて快適だ。

 愁たちが後ろから乗り込むと、コンノが手綱を振るう。それを合図に車がゆっくり走りだす。この世界の車に乗るのは初めてだが、意外と揺れる。エンジン音も聞こえず、排気ガスが出ている様子もない。その代わり、ほとんど速度は出ない。おばさんの漕ぐ自転車よりちょっと速いくらいだろうか。


「すごいりす、らくちんりす! あのニンゲンのおじさんにあとでドングリあげるりす」

「頬袋から出すな」


 ノアがリュックを下ろし、大きく息をつく。一日でメトロの奥からここまで来たのだ、彼女の疲労が一番大きいのかもしれない。


「イカリさん。この世界だとこういう車って一般的なの?」

「えっと、輸送とか移動とかの手段として、ってことですか?」

「うん」

「そうですね、一番ポピュラーなのは馬車だと思います。でも輪入道車もわりと維持費が安いから、都市部とかでは最近流行ってるみたいです。イケブクロでもたまに見かけましたよ」

「……輪入道って……アレだよね……」


 実は愁も気づいている。乗り込む前に、車側の車輪がもぞもぞと動いていたのを目にした。というか「ボボ」「ボボ」とか低い声でうめいていた。あれは生きている。ただそれに触れるのがちょっと怖かった。


「はい、輪入道。れっきとしたメトロ獣ですよ」


 幌の隙間に頭を突っ込み、コンノが運転する車を横から覗いてみる。

 暗くてよく見えないが、ごく普通の車輪だ。タイヤは当然というかゴムではなく、溝を彫った金属のようだ。

 中心部分は明らかに人の顔のような形をしている。それがぐるんぐるんと回転している。


「……あれも、メトロ獣……?」

「はい。ヒトデの一種で、丸い岩に寄生して転がって動くんです。ゴーレムなんかの親戚みたいな」


 ゴーレムまでいるのか。大概だ、シン・トーキョー。


「輪入道は、人を襲ったりとかしないの?」

「野生は普通に襲ってきますよ、肉食だし。けど、飼いならされたやつならだいじょぶだと思いますよ。知能高めで臆病って話です。人工の繁殖と家畜化が叶った数少ないメトロ獣ですね」


 条件さえそろえばメトロ獣にライドンできるわけか。ちょっとアツい。


「岩を削って車輪の形に整えて、鉄のタイヤを履かせて、あんな風に車の車輪になってもらうんです。レベル次第では馬車よりもスピードも運搬能力も高くなるそうですよ。野生じゃないからレベリング大変だと思いますけど」

「あいつらレベル8くらいりす。ザコりすな」

「上から目線やね」


 そもそもどうやって運転しているのだろう。運転席にはハンドルらしきものもあったが。


「質問ばっかで悪いんだけど、他にシン・トーキョーってどういう乗り物があるの?」

「一人乗りなら自転車とかダチョウタクシーとか。車なら馬車とかワニバスとか。スガモにもいると思いますよ」

「なにそれ。ダチョウ乗りたい」


 黄色ければなおさらだ。男の子の夢だ。

 とりあえずはっきりしたのは、自動車や電車はこのシン・トーキョーには存在しないらしいということだ。

 そのことに愁は少しがっかりする。一度文明が滅びたからと言って、現代科学の知識のある人間が数十万人は残ったのだ。そういう文明の利器が復活する余地はあると思ったのに。あるいはこの百年のうちに、そういった知識や技術まで途絶えてしまったということだろうか。


 ゴロゴロゴロゴロ……と一定の速度で車輪が転がる。疲労もあって眠気を誘われる。

 タミコはヘソ天しているし、ノアも寄りかかってうとうとしている。ここががんばりどきだ、と愁は自分の頬を叩く。


「あの、すいません」愁はコンノに声をかける。「隣に座ってもいいですか? 野盗が襲ってきたらすぐに対処できるように」

「え? ああ、いいけど……」


 助手席に腰を下ろす。


「お兄さん、気を遣ってくれてありがとね」

「いえいえ、こちらこそ乗せていただいて……」


 車側の部分を観察する。いわゆる二人乗りの車だ。シートは木組みになっている。ハンドルがあり、足元にアクセルとブレーキらしきペダルもある。これで操縦するようだ、どういう仕組みなのだろう。


「自由民の人ともそれなりに商いはしてきたけど、お兄さんはずいぶんワイルドな格好してるね」

「そうですかね」

「あと、ちょっと言いにくいけど、においも野生味満載だね。スガモには温泉風呂の宿もあるから楽しむといいよ」

「そうします(温泉! 温泉!)」


 五年ぶりの風呂。しかも温泉。こうなれば意地でも無事に町に着きたい。

 万全を期すために、軽く手を振って感知胞子を飛ばす。風向き的に前方に十メートル、左右に二十メートル程度しか感知できないが、少なくとも側面――森側からの襲撃には対応できそうだ。

 それからぽつぽつとコンノが愚痴をこぼしはじめる。ほとんどが家庭の話題だ。結婚して子どもがいるが、勉強が嫌いで将来が心配になる。嫁は気が強いうえに怒りっぽいので家にいても気が休まらない。あとネコが全然懐かない、その点輪入道はものすごく懐いてくれて可愛い。顔は不気味だけど、この可愛さをみんなに伝えてやりたい。などなど。

 適当に相槌を打つしかない愁だが、ふと感知範囲の端に気配を捉え、背筋を凍らせる。


「危ない!」


 とっさに菌糸大盾を出し、コンノと二人でかぶる。その表面にカカッ! と硬質な鏃が当たる。


「うわっ、マジで襲撃!?」

「コンノさん、中に入って!」


 突き飛ばすようにコンノを荷台に放り込み、愁は幌の上に飛び乗る。両側の輪入道は驚いて停止し、「ボボボ!」「ボボボ!」などと低い声でわめいている。


「アベさん!」

「イカリさん、タミコ! コンノさんを頼む!」


 二人は籠城と防衛、愁が野盗を対処する――レベルを考えればそれがベターなのはわかるが、内心ではドキドキが止まらない。

(ちくしょう! マジで来やがった!)

(怖い怖い! 野盗とかマジで怖い!)

 この五年、獣とはさんざんやり合ってきた。だが、対人戦はこれが初めてだ。前の世界でもケンカなんて子どもの頃の思い出でしかない。

 野盗がオーガやオルトロスより強いとは思えない。それでも相手は人間だ。なにをしてくるかわからない。

(つーか……俺、人斬れんのかな?)

 左手に菌糸大盾、右手に菌糸刀を抜く。手の震えはぎゅっと握りしめて押し殺す。

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