26:〝腕落ち〟

 ノアが紐を出し、それを適当な長さに切る。愁とノアで手分けして野盗どもの手足と口を縛り、荷台にいるコンノが引き上げる。手持ち無沙汰になったタミコは、荷台の仕切りに座って作業監督という名の見守りモードだ。

 途中で目を覚ますやつがいれば殴って眠らせておく。それくらいなら愁の良心は大して痛まない。


「その紐のやつ、便利な能力だね」

「【縛紐】の菌能です。あんまり戦闘向きじゃないですけど」

「でも狩人の仕事向きっていうか、それだけで商売できそうな気がするけど」

「菌糸の紐ですから、一時間程度で朽ちちゃいますけど」

「あ、そっか」


 愁の刀や盾も同じだ。その制約がなければ地上で武器屋でもやってやろうと思っていたが、世の中は甘くない。


「ごめんね、イカリさん。たぶん正しいのは君のほうだってわかってるけどさ」

「アベさんは優しい人ですね」

「いや、うーん……優しさっていうより、小心のせいだと思うけど」

「……アベさんはボクを、人殺しのひどいやつだって思いますか?」


 愁は手を止め、顔を上げる。ノアがまっすぐに目を向けてくる。


「そいつ、菌能持ちでした。ボクと同じ【短刀】を持って襲ってきた。生かして捕らえる余裕はなかった……っていうのが、あとから考えた言い訳なんですけど」

「なるほど」


 確かに死体はノアと同じ菌糸ナイフを握っていた。


「それでも……殺したことには変わりません。アベさんの世界の価値観じゃあ、ボクもこいつらと同じ人殺しなんですか?」

「いや、そんな風には思わないよ。マジで」


 ノアはいい子だ。そして真面目だ。この世界の価値観において、正しくあろうとする意思を持っていると思う。

 彼女はその意思に則って、襲ってくる者を退けただけだ。狩人として。

 それを横からとやかく言う資格は、少なくともなにも知らない自分にはない――愁はそう思っている。

 というのは論理的な建前で、では感情的にどうかというと――確かに面食らいはしたものの、それでもノアを嫌いになどなれない。たった一日の付き合いではあるが、彼女がそれを嬉々として行なうような人間ではないとわかっているから。

 あるいは百年前の自分だったら、五年間も血生ぐさい地獄を這いずる生活を送っていなかったら、やはり違う感情を抱いていたかもしれない。

 そういう意味では愁自身も、もはやあの頃の価値観で推し量れる自分ではなくなっているのだろう。


「ひいじいは言ってました。昔の世界は、今よりもずっと命を大事にされていたって。カゴに飼われた鳥みたいに、宝箱の中の宝石みたいに」

「そうだね」

「狩人にとって死は身近なものです。怖いけど、受け入れなくちゃいけないものです。だけど、ひいじいのためにも、ボクは生きなくちゃいけない。だから……これからもボクは、ボクを殺そうとする人たちを殺すと思います。それでも……ボクを軽蔑しないでくれますか?」


 愁は頭を掻き、何度か小さくうなずく。


「いや、軽蔑とか全然……むしろタミコやイカリさんが危ない目に遭うなら、そのときは俺だってやると思うよ。命に優先順位があるのは、今も昔も同じだから。実際そうなったらビビるかもだけど」


 できればごめんこうむりたいが、そんなことを言っていられるほど平和な世界でもなさそうだから。


「むしろこういう世界じゃそういうこともよくあるんだなって、覚悟できたっていうか。うん。だから、万が一そういうことがあったときのために、ビビらないようにしとかないと。イカリさんやタミコを守らなきゃってときに、迷わないようにね」


 ノアは頬をかすかに染め、照れくさそうにうつむく。


「……ありがとうございます。ノアでいいですよ」


 今度は愁がボッ! と赤面する。まさかこんな世界でJK美少女に「名前で呼んで」とデレられる日が来るとは。

 ふと、荷台で頬杖をついているタミコと目が合う。なんだかつまらなさそうにしている。


「アベシューはドーテーのくせにヤリチンりすか」

「だからカーチャン変な言葉教えすぎだろ」

 

 

 

 六人を荷台に詰め終える。何人かは目を覚ましてじたばたしているが、頑丈なノアの紐でミノムシ状にきつく縛っているので、彼らの腕力でほどくのは不可能だろう。一応みぞおちにワンパンして動きを封じておく。


「そういやさ、こいつら激弱だったんだけど。荒くれ者のくせにろくにレベル上げもしてないんかね? 菌能も使えないんかな?」


 仮に菌能を使えるなら、この拘束状態でも安心はできない。


「えっと……タミコさん、こいつらのレベルわかりますか?」

「ちょいまちりす……ぜんいん3から5くらいりす。よわよわザコニンゲンりす」

「やっぱり」ノアがうなずく。「ボクが殺したやつ以外は全員〝人民〟です」

「じんみん?」

「どうがんばってもレベル10くらいが限界ですし、菌能も使えません。そもそも〝人民〟以外の菌職で野盗なんかに身を落とすやつなんてごく少数派ですから」

「へー……つーかさ、その菌職ってなに? 前にも俺の菌職がどうとかって言ってたけど。〝糸繰士〟? がどうとか」

「えっと、それは……」

「あのさ、君たち――」と荷台にいるコンノ。「そろそろ出発していいかね? こんなところで油売ってたら命がいくつあっても――」


 愁の背筋がぞわりとする。

 感知胞子の領域内へと突き破ってくる気配がある。


「あぶ――」


 反応より一瞬早く、目の前にいたノアが残像を描くスピードでかっさらわれる。

(はええ!)

 ざざっと道の端に滑り込んでブレーキをかけたのは、みすぼらしい身なりの男だ。

 両腕とも前腕から先がない。包帯を巻き、フックというか鉤爪のようなものをくくりつけている。そしてその脇にノアを抱えている。

 ノアの首を肘に挟んでぎゅっと締めると、彼女がこくんっと力なくうなだれる。男は愁を見てにやりとしている。


「てめえ、俺の動きに反応しやがったな。うちのザコどもじゃ歯が立たねえわけだ」


 跳躍力強化だ。それで横から一気にノアをさらっていった。屋外での感知範囲の狭さが仇になった。


「おいっ! 返せっ!」


 愁も跳躍力強化で反撃しようとする、それより先に、男がぷっと口の中のものを吐き飛ばす。それが石畳に触れた瞬間、ボゥッ! と煙が広がる。

(煙幕かよ!)

 関係ない、見えなくても感知胞子で――と思ったのと同時に、目と鼻にぴりっと痺れるような痛みが走る。

(この煙、毒だ!)


「ひひっ。アジトで待ってらあ、返してほしかったら一人で来い。歓迎するぜ?」

「ざけんなコラァッ!」


 煙を無視して追いかけようとしたが、後ろからタミコとコンノの咳き込む声が聞こえ、それに気をとられた隙に男は感知胞子の範囲から消えている。

 煙が晴れていく。やはり、そこに男とノアの姿はない。


「…………くそっ!!」


 愁はダンッ! と足を踏みしめる。鈍い音とともに石畳が砕ける。

 

 

    ***

 

 

 再生菌糸の効力か、煙の毒は愁にほとんど効果を及ぼさない。

 タミコとコンノに緑色の菌糸玉の汁を飲ませると、二人ともすぐに落ち着きをとり戻す。念のため輪入道にも食べさせておく。目と鼻はおそらくただの模様でシミュラクラ的なものだろう、ぱくぱくと開く口に解毒玉を放り込む。「ボォッ!」と低いうなり声で感謝を現してくれる。ちょっと可愛く見えてくるから不思議。


「タミコ、追うぞ。ノアを助け出す」

「りっす!」

「ちょ、ちょっと待った。お兄ちゃん」とコンノ。「悪いことは言わねえ、いったん町に戻って加勢を呼んだほうがいい」

「なんでですか? そんな時間ないんすけど」

 若干イラついた口調になってしまう。

「あいつを見たろ? 〝腕落ち〟、つまり元狩人だ。あれはやばい、ここに寝転がってるザコとは別モンだ」

「元狩人?」

「悪さが祟って腕を切られて追放された、邪悪な狩人の成れの果てさ。腕をなくしたら、あんたらの能力は大半失われるんだろ? そうしてメトロに放り込まれるって処刑方法が、つい最近まで一部のトライブで行なわれてたらしい。あいつはそれでも生き延びた悪魔だ」

「なるほど」


 悪魔とまで称される存在か。多少ビビる。

 タミコがよじよじと愁の肩に到着する。


「タミコ、においと耳で追えるか?」

「やってみるりす」

「おいおい、聞いてなかったのか? 一人じゃ危険だ。あれはきっとこいつらの親玉だ、アジトにゃ他に仲間もいるかもしれねえ」

「聞いてましたよ。ぶっちゃけおっかないっすけど……」


 それ以上に腹が立っている。

 目の前でノアをさらわれた。あの男をとり逃がした。

 あの勝ち誇った笑い顔もさることながら、なによりも自分自身に腹が立っている。

 油断していた。自分の力を過信していた。

 誰も手出しできなかったボスを倒し、二十階でカトブレパスからノアを救い、野盗の群れをあっさり追い払った。自分の力はこの世界で通用すると高を括っていた。


「ちょっとビビってますけど、それ以上にムカついてるんで……このままだと脳みそ沸騰しちゃいそうなんで。ノアは俺が助けます、絶対」


 コンノは呆れたように苦笑いする。


「わかった。私はこいつらをスガモの憲兵に突き出して、それから君らのことも伝えておく。もしかしたら憲兵や狩人が動いてくれるかもしれん。夜で市外だから望み薄かもだけどな」

「ありがとうございます。じゅうぶんです。気をつけて」

「こっちこそありがとうだよ。君らがいなければ私は生きていなかった。この恩に報いるためにも、どうにか憲兵を説得してみる。だから無茶はするなよ」


 輪入道車がころころと走りはじめる。愁たちを励ますように、「ボォ!」とさけぶ。

 「ボォ!」と愁も返す。「ボォりす!」とタミコも倣う。

 そうして二人は森に足を踏み入れる。

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