23:風になったタミコ

「すいません、アベさん」

「ん?」

「できれば今日中に町に着きたいので、そろそろ出発したいんですが……」

「あ、うん」


 愁はごしごしと顔を拭い、うなずいて立ち上がる。


「賛成。ごめんね、付き合ってもらっちゃって。しかもめんどい話までしてもらって」

「そんな、とんでもないです。話の続きは町に着いたときにでもしましょう」

「マチにいくりすか!? ニンゲンのマチにいくりすか!?」


 タミコがフンスカと鼻息を荒くする。夢にまで見た憧れの人里だ。


「右側のあのへん……木の間に門と建物があるの、見えますか?」

「え……あ、ほんとだ」


 言われてみると、かろうじて見える。人工の建造物だ。タミコも見たいと言うので、てのひらに乗せて頭上に掲げてやる。


「みえるりす! あれがマチりすか!? ピギー!」

「落ち着け」

「はい、あれがスガモ市です。それで、逆の左側……もうちょっとはっきり見えますよね、おっきな塔があるの。あっちがイケブクロトライブ領です」

「スガモ! イケブクロ!」


 懐かしい名前に愁のテンションが回復する。巣鴨と池袋――オオツカの地名が残っているなら、それらが残っていても当然だ。


「あ、そういえばイカリさんはイケブクロトライブ? の所属とか言ってたよね」

「はい……ボクは戸籍上はイケブクロの領民です。狩人はどこかの支部に所属する必要があります」


 心なしか、ノアの表情がわずかに曇ったように見える。


「じゃあ、これからイケブクロに行くの?」

「あ、いえ……スガモ市のほうに行こうかと」

「イケブクロのほうが近いし、町もおっきかったりするんじゃない?」

「そうなんですけど……アベさんたちにはスガモのほうがいいと思うんで……」


 言いよどむノア。なぜだろう、と愁は考えてみる。


 お年寄りの原宿こと巣鴨。

 若者と埼玉県民の集まる街、池袋。


 大塚からなら距離はほぼ変わらないだろう。駅一つ分、徒歩でも余裕でいける。むしろ池袋のほうがほんの少し近い。

 ぱっと見た感じ、イケブクロのほうが大きい町なのはこの時代も変わらないようだ。

 なのに、なぜノアは巣鴨を推すのか。愁とタミコにとって「そっちのほうがいい」という理由は?

(……あ、なるほど。わかっちゃったわ)

 このファッションのせいだ。この全身オオカミルックがイモすぎるせいだ。

 元行田市民、誇れるのは蓮と古墳くらい。穴ぐらから出てきたばかりの野生児にイケフクロウへの謁見は早すぎると。巣鴨のお地蔵様ならどんな格好でも温かく迎えてくれるだろうと。そういうことか。


「うん、わかったよ。お気遣いありがとうね」

「え? あ、はい。じゃあ行きまs――」


 このとき、愁のてのひらにはタミコが乗ったままだ。

 そして感知胞子を散布していない。さらにタミコも有頂天で完全に油断しきっている。


「うおっ!」


 シャッ! となにかが目の前を通りすぎる。完全に死角から飛び出してきたそれが、そのまま空高く昇っていく。

 ――鳥だ。


「え、タミコ!?」


 てのひらからタミコが消えている。


「ぴぎゃーーーー! たすけてりすーーーー!」


 頭上からタミコの悲鳴が聞こえる。鳥にさらわれたようだ。


「あたい! かぜになってるりすーーーー!」

「タミコさん!」

「マジか! タミコ!」


 鳥はどんどん高度を上げ、どんどん遠ざかっていく。

(やばいやばい。タミコが雛鳥のおやつにされちゃう)


「ごめん、イカリさん! これお願い!」


 荷物とマントを渡し、愁は身構える。

 背中に意識を集中させる。しゅるしゅると肩甲骨付近から糸が伸び、一対の腕の形をなす。菌糸腕だ。ちなみに上着はその部分だけちぎれている。ばっくり背中の空いたセクシー仕様。


「えっ、それ――」

「先行く!」


 ぐっとしゃがみこみ、跳躍力強化で跳び上がる。眼前の木にぶつかる寸前、菌糸腕で枝にしがみつき、ぐりっと体勢を引き戻す。

 そのまま下の枝に足をつけ、さらに跳ぶ。そうやって忍者のごとく木伝いに渡っていく。常人離れした今の愁の身体能力と菌糸腕があれば、そのへんのサルにできることなど朝飯前だ。

 鳥との距離が近づいてくる。太陽に重なって思わず手をかざしたとき――鳥が宙でぐらっと揺らぐ。

(え?)

 なにやらじたばたと羽ばたいている。頭を振り乱し、「キュィイイッ!」と甲高く鳴く。

 やがて空のシルエットが二つに分かれ、落ちていく。だらりと羽を垂らした鳥と、ちっぽけな毛玉。


「マジかっ!」


 木の幹を踏み折る勢いで蹴り上がる。菌糸腕を駆使して樹上を駆け抜け、高く跳躍し、腕を伸ばす。てのひらにぽすっと落ちてくる毛玉ことタミコ。


「アベシュー!」

「おっしゃ! ナイスキャッチ!」


 着地を考えていなかったので、そのまま前方の木に突っ込む。木の葉にガサガサ引っかかりながら、ぼとっとリンゴのように尻から地面に落ちる。


「いって……タミコ、だいじょぶか?」

「ぴぎゃー! こわかったりすー!」


 愁の顔面にしがみついて泣きわめくタミコ。前が見えない。


「つか、なんで落ちたの?」

「あれをみるりす」

「見えないからどいて」


 見上げると、さっきの鳥が枝に引っかかっている。だらんと首を垂れ下げ、ぽたぽたと首から血を滴らせている。


「あのトリコーをまえばのサビにしてやったりす! シャシャシャ! あたいをなめるんじゃねえりす!」

「あ、そっか」


 タミコはこう見えてレベル41のつよつよリスだ。戦闘には向かない種族ということだが、レベル30程度のメトロ獣なら単独で仕留められるくらいの力は備えている。そのへんの手羽先野郎ごときのおやつになるほど可愛げのある小動物ではない。


「でもあいつ、結構でかいな。鷲とか鷹みたいなやつだ。あーやべー、唐揚げ食いたくなってきた」

「からあげ? なんりすか?」

「鶏肉を油で揚げたやつ。サクッとして、中の肉はじゅわーっとするやつ」

「はわわ……ちじょうはカラアゲのらくえんりすね」


 間違った知識を与えてしまったが、気分的には間違っていない。実物を食わせればこいつも目覚めるだろう。

 事切れた鳥を回収し、ほどなくして息を切らしたノアが駆け寄ってくる。この樹海でよく合流できたものだ。


「これは……テトラトンビですね」


 トンビなのか。テトラというだけあって、確かに頭が三角形だ。


「地上の獣ではそれなりに危ない部類のやつですけど……さすがですね、タミコさん」

「レベル5くらいだったりすね。あたいのてきじゃねえりす、むん!」


 観光客のハンバーガーをひったくるトンビの姿をテレビで見たが、こいつからしたらとんだ猛獣を釣り上げてしまったわけだ。


「捕まえられておしっこチビってたけどな」

「ちちちチビってないりす! このドーテーニンゲン! そのしおがお、かつらむきにしてやるりす!」

「どどど童貞ちゃうわ! このションベンリスが! 返り討ちじゃ、チタタプじゃー!」

「残念ですが、猛禽類の肉はあんまりおいしくないです。嘴と爪、それと風切羽は装飾品になったりするんで、せっかくだからとっておきましょう。聞いてます?」


 タミコのせいか、それとも愁の油断のせいか、ともあれ道草を食ってしまった形だ。日は少しずつ西へと傾きつつある。


「さっきの騒ぎで、野盗なんかに目をつけられなければいいんですけど……ちょっと遠回りですけど、南の街道に出ましょう。そっちなら比較的安全にスガモまで行けますから」

「オッケー、行こう」


 大塚から巣鴨までなら学生時代に歩いたことがある。一キロ足らず、樹海の中というのを差し引いても一時間もあれば余裕で着く距離だ。

(あれ、でも――?)

 さっき丘から見渡した限り、そんなに近くには感じられなかった。気のせいだろうか。



    ***

 

 

 ノアの先導で、少し日の陰った獣道を歩く。彼女はコンパスを持っているが、ほとんど見ることなくどんどん進んでいく。


 先ほどのトンビのようなことがないように、愁は感知胞子を撒きながら歩く。だが間もなく、今までとは感覚が異なることに気づく。胞子が思うように広がってくれない。

(そっか、風のせいか)

 ほとんど空気の流れのないメトロでは、胞子は愁を中心に円形に飛び散っていた。ところが地上では風がある。ごく微小の胞子はその向きにもろに影響を受ける。思った方向に飛ばせないし、感知できる範囲も歪な形になってしまう。


(盲点だったな……今はほとんど風がないのに)

(もっと風が強ければさらに狭まるだろうな)

 メトロの中ではチート級の便利性能を誇っていたが、意外な弱点が露呈してしまった。

 地上では円形にしたら十~二十メートルくらいが精いっぱいのようだ。一直線に高速で向かってくるような敵への対応には一歩遅れてしまうかもしれない。注意しないと。

 それでもないよりはマシなので、感知を続けながら歩く。タミコもさっきの二の舞はごめんとばかりに肩の上で耳をぴんと立てている。


「ああ、ようやく出れましたね。これが街道です」


 三十分ほど歩いたところで、ようやく開けた道に出る。二車線分くらいの石畳が敷き詰められた簡素な道だ。方角としてはざっくり北北東と南南西を結んでいる。


「ここから南に行けばミョウガダニメトロ、西にゴコクジメトロがあります。両方とも初級者向けのメトロで、イケブクロトライブの新米狩人の登竜門的な場所になっています。ボクもそこで修行しました」

「へえ、護国寺もダンジョン化してんのか」


 要町から飯田橋の大学に通っていた頃、普段は電車賃をケチって自転車で通学していたが、友だちと飲んだりしたときは有楽町線を使っていた。護国寺で下りたのは、飲みすぎて気持ち悪くなってトイレに駆け込んだときくらいだ。結局便器まで一メートルのところで力尽きたのを思い出す。ゲロメトロ。ドロヘドロみたい。


「ここから巣鴨までは一本道で、三時間も歩けば着くと思います」

「ちょ、ちょっと待って。三時間? 巣鴨まで?」


 森の中ならいざしらず、平坦な街道を歩くだけならそこまでかからない気がする。

 ノアはきょとんとして、それから「あー……」と申し訳なさそうな顔をする。


「……そうでしたね、確かひいじいの手帳にも書いてありました」

「なにが?」

「昔と今とでは、距離が大きく違うそうです」

「へ?」


 ノアは手帳をとり出し、ぺらぺらとめくる。


「〝東京審判〟――メトロの氾濫による東京の大崩壊後も、メトロはじりじりと変動と膨張を続けていきました。超局所的な地殻変動――その上にある東京都心部ごと、領土を拡大するように、あるいは無差別に菌糸を伸ばすみたいに。〝超菌類汚染パンデミック〟が終息して人々が地上に戻ったときには、壁の内側は面積比で推定五十倍以上に広がっていたそうです」

「五十倍って、東京じゃないじゃん! もはや南関東じゃん! もうヤダー!」


 再び百年越しの理不尽に晒され、愁はがっくりと膝をつく。

 別に自分が悪いわけでもないのに申し訳なさそうにするノア。そして相棒の悲嘆に暮れる姿を尻目に道端のドングリタンポポに夢中になっているタミコ。

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