21:まぶしいりす

 疲労があるが眠りは浅く、愁は何度も寝返りを打つ。

 ホタルゴケが白っぽい光に変わった頃、ノアがむくりと起きて、「おはようございます」と目をこすりながら言う。


「おはよう、イカリさん」

「早いですね」

「いよいよかーとか考えてたら、あんまり眠れなくて」


 タミコは横でヘソ天してぴゅーぴゅーいびきをかいている。手が宙を掴むようにピクピクしている。

 腹をこしょるとすぐに目を覚ます。


「んにゃっ! なんりすか! ねこみをおそうなんてケダモノ! いますぐやめ、やめ……これはゆめのつづき……?」

「二度寝すんな」

「朝ごはんにして、食べたら出発しましょう。日があるうちに外に出られると思うので」


 干し肉とかたいパンの簡単な朝食は、それでも五年間の食生活を考えればじゅうぶんな贅沢だ。食後のお茶を飲み終えて(タミコでも飲めるほうじ茶だ)、三人は隠れ家の部屋をあとにする。

 まだ半日、メトロの道のりは続く。ここまで来て事故などが起きたら悔やむに悔やみきれないので、絶えず感知胞子をばらまいていく。タミコの耳もビンビンだ。


「そういえば――俺ら以外に狩人はいないんかね?」


 上階ならもっと人がいてもよさそうだが、その姿も(見たいわけではないが)死体も見かけていない。


「オオツカメトロは町からも多少離れてますし、めぼしい資源もなくて狩人にはあんまり人気がないんです。昔はサタンスライムに挑もうとする勇敢な人もいたみたいですが、みんなことごとく返り討ちにあって、ここの悪評に拍車がかかる形になって……」

「あいつそんな大ボスだったんか」

「レベル50超えの複数人パーティーや、達人級の有名なコンビでも討伐できなかったと聞いています。なので正直……お一人でそんな化け物を倒したっていうのが……すいません、疑うわけじゃないですけど……」

「ふたりりすよ」

「あ、ごめんなさい。そうでしたね」


 レベルをそのまま戦力として換算するなら、愁たちよりもその複数人パーティーのほうが討伐できる確率は高そうなものだ。

 いや、レベルよりは菌能の相性、あのスライムの特性の問題かもしれない。愁としても胞子光と菌糸腕がなければ勝てる見込みはなかっただろう。

 複雑な迷路の道をノアは迷うことなく進んでいく。獣除け胞子を撒きつつ、ときたま襲ってくるザコ敵を菌糸ハンマーで蹴散らし、胞子嚢はきっちり頂戴する。ノアが嬉しそうだ。


「んんっ! この白くてドロッとして苦いのが! このにおいきっついのがたまんないんですよね!」

「それ女の子が大声で言っちゃダメなやつだよね」


 菌糸植物の草原を抜け、水路を飛び越え、石筍の丘を越え、パイプの中を四つん這いで通過する。

 十二階、十一階、十階。そして九階――ついに一桁階層に到達する。

 そこからは興奮を抑えるのに必死で、階段を上るごとに鼓動が高ぶり、メトロの風景を楽しむ余裕もない。肩の上のタミコも絶えずそわそわして、自分の尻尾をはむはむしている。

 そして、地下二階。

 地下鉄の線路を思わせる広い道がいくつも分岐している。空気のにおいが変わったことに愁は気づく。

 五十階からここまで、メトロの至るところで感じられたカビくささが、かなり薄まっている。わずかな空気の流れを頬に感じることができる。


「……もうすぐってことか……」


 タミコがちゅんちゅんと鼻を鳴らす。愁はその頭を撫でて、涙を拭ってやる。


「行こう、タミコ。約束の場所だ」


 地下一階は駅の構内を思わせる広いスペースになっている。ホタルゴケが少なくて薄暗いが、奥のほうにわずかに光がこぼれている。最後の階段だ。

 阿部愁がオオツカメトロに目覚めて、千五百十四日目。

 階段を抜けた愁とタミコを、目がくらむほどの光が包む。

 

 

    ***

 

 

「まぶしいりす……」


 肩から下りたタミコが空を見上げている。


「あれが、たいよう……めがゴリゴリするりす……」

「タミコさん、あんまり直視しちゃダメですよ。ただでさえずっと薄暗いメトロにいたんだから」


 晴れている。うっすらと霞のような雲がかかっているが、昼下がりの煌々とした太陽がそこにある。


「でも……きれいりす……」


 ぽろぽろと涙をこぼすタミコ。ぶるぶると尻尾を、小さな背中を震わせている。


「てんじょうがたかいりす……ひろいりす……あおいりす……これがちじょうのそら……ちじょうのセカイ……」

「タミコさん……」


 ノアがタミコの背中にそっと触れ、優しくさする。


「カーチャン……やったりすよ……! あたい、そとにでれたりすよ……!」


 愁はというと――呆然としている。目と口を開けたまま立ち尽くしている。

 もっと心が震えると思っていた。きっと涙が止まらなくなるだろうと思っていた。

 もちろん感動している。達成感に打ち震えている。地下世界に縛られていた重圧から解放され、身体は羽が生えたように軽くなっている。


 けれど――愁の目はあたりの風景に奪われてしまっている。


 ――地上に出たとき、そこに見知った大塚の姿はない。

 それは覚悟の上だった。

 アスファルトの道路も、立ち並ぶビルも、路面電車も。空を切りとる電線も、通りを走る車も、道行く人々も。そこにはないのだと。


 タミコの母は言っていたそうだ。地上は美しいところだと。

 空はどこまでも広がり、緑が豊かで、山は高く、大きな川が流れ、きらきらと光る人間の町があると。たくさんの人間やたくさんの獣が生きていると。

 その話を、愁はどこまで信じたものかわからなかった。あるいはタミコを励ますための方便だったのではないかとも思っていた。


 荒廃した瓦礫の町並みが続いている可能性を疑っていた。あるいは不毛の砂漠、汚れた大地が広がっているかもと想像していた。

 なぜなら、東京は滅亡し、文明は崩壊したのだから。

 オオツカメトロの入り口――地下につながる階段の前に、愁たちは立っている。

 その周囲を、むせ返るほどの緑が覆っている。


「これが……ほんとに東京かよ……」


 地下鉄を抜けた先は、奇怪な菌糸植物の森の中だった。

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