20:牡丹鍋とキノコーヒー

「あの、イカリさん? その、糸繰士いとくりしって?」


 いーとーまきまき、いーとーまきまき。

 頭に浮かんだ童謡はすぐに消える。その続きを思い出せなかったから。

 彼女はしばらく目を泳がせ、逡巡し、小さく首を振る。


「……どこから話したらいいのか……とても長い話になります。続きは……地上へ出たあとでもいいでしょうか?」

「え? 地上出てから?」


 とんでも身の上話を信じてもらえたのはいいが、そして事情に詳しそうなのはありがたいが――そんなにも大仰な話なのだろうか。


「うん、まあ……今さら急ぐことでもないかもだけど……ていうか俺もいろいろ訊きたいことありすぎて、こんなところで長話するのもアレだよね、確かに」

「すいません。解体が終わってないですし、持ち帰る分の下処理もしないと。今日の夕食は牡丹鍋にしましょうか」

「牡丹鍋!? マジで!?」


 話したいこと訊きたいことが一気に吹き飛ぶ。


「ぼたんなべってなにりすか?」

「猪肉の鍋だよ。キング・オブ・ジビエだ」

「うまいりすか?」

「そりゃ……食ったことないわ」


 ノアがくすっと笑う。


「鍋と野草と調味料はあります。実はボク、それが狙いでカトブレパスを狩りに来たんです。ネリマで食べたあの味が忘れられなくて、ここにいるって聞いて。あんなに強い成長個体がいるとは知らなくて、危うく逆に食べられちゃうところでしたけど」


 そうと決まればお手伝い再開。テンションも十割増しだ。

 指示どおりに骨を外し、肉を切り分け、川の水で洗う。もも肉の切れ端をタミコに渡すと、もちゃもちゃ咀嚼して「ふむ、オオカミよりジューシーりす」とのこと。すっかり肉食に染まったリスだ。

 ノアは肋骨付近のバラ肉に塩をまぶし、なにか香草のようなものを巻きつける。持参したリュックから麻の袋をとり出し、それに肉と「乾燥剤になる」という謎のキノコを一緒に入れる。


「十三階に、獣の入れない隠れ家みたいな部屋があるんです。ちょっと遠いですが、そこまでがんばれば今日は安心して眠れると思いますよ」

「オッケー、行こう。隠れ家大好き」

 

 

 

 ノアの先導に沿って、愁が荷物を脇に抱えて歩く。下処理した肉、約十キロ。今の愁には大した重さではない。

 タミコの聴覚と愁の感知胞子で絶えず警戒する。寄ってくる獣がいれば愁が威嚇して追っ払う。通常種のカトブレパスも見かけるが、先ほどのやつのように無謀に突っかかってきたりはしない。


「すごいですね……」ノアが目を丸くしている。「この階層のメトロ獣が子犬みたいに逃げていくなんて……」

「まあ、さっきのカトブレパスはともかく、あのくらいなら五十階のやつらにくらべたらマジで子犬かもね」

「ふん、あたいたちのてきじゃないりすね」

「うん? うん」


 自分よりレベルの低い子がパーティーに加わったことで、ちょっぴりイキりモードに拍車がかかっているリス(十歳)。

 上階への道はきちんと記憶しているらしく、一度も道に迷うことなく階段にたどり着く。十九階、十八階、十七階……。ノアのおかげでかなりのペースで進んでいける。


「ちなみに、十三階から地上まではどのくらいかかるんかな?」

「早朝に出れば昼すぎくらいには出られると思いますよ」


 顔を見合わせ、うなずき合う愁とタミコ。

 いよいよだ。明日、ようやく地上に出られる。

 ホタルゴケの色が白から青に変わった頃、三人はようやく十三階にたどり着く。ここまでほぼノンストップで歩きづめなので(タミコ以外)それなりに疲弊している。そこからさらに二十分ほど歩いたところで、ノアが壁の亀裂にするりと身を滑り込ませる。そこが隠れ家のようだ。

 亀裂の先には、ホタルゴケの少ないほぼ真っ暗な部屋がある。感知胞子で測るとおよそ十メートル四方くらいだろうか。ごつごつとした岩の床に腰を下ろすと、くたびれた足がじわっとほぐれていく。

 ノアがリュックからランプを出す。中に入れるのはロウソク――と思いきや、茎の太いツクシのような植物だ。その先端にマッチで火をつけると、ちろちろと優しい明かりで部屋を照らしてくれる。

 ノアがマントを脱ぐと、その下は黒っぽいぴったりした服を着ている。長袖の前開きのシャツとパンツ。ジャージに似ている。


「狩人ってそういう服を着るの?」

「え、そうですね……オーソドックスなジャージだと思います」

「やっぱりジャージっていうんだ」


 ボディーラインがはっきり出ている。改めて見ると、なんというか、かなりでかい。五年ぶりの生身の女の子、太陽のごとく眩しい。あまりじろじろ見ないようにしようと努めるが、忠義に厚い視神経の組織衆はよかれと思って勝手に動いてしまう。臣下の好意なら無碍にはできない。


「じゃあ、鍋の準備をしますね。アベさんとタミコさんは水を汲んできてもらえますか? ここを出て右に少し進んだところに水場があるんで」

「オッケー。任して」


 言われたとおりに進むと、二・三分でちょっとした泉のある広場に出る。菌糸植物が生い茂り、紫色に光る蝶がひらひらと舞っている。五十階のオアシスに似ている。


「なんか、あそこにもどったみたいりすね」

「だな」

「ユニおさん、げんきりすかね」

「元気だといいな」


 泉の水を手ですくってみる。不純物のない綺麗な水のようだ。においもしないし変な味もしない。愁とノア、二人分の水筒に水を汲み、顔と手を洗う。

 角の生えたウサギが少し離れたところから愁たちを不思議そうに眺めている。五十階にはいなかった小型獣だ(と言っても大型犬くらいはある)。平常時なら今日の晩ごはんにしようと意気込むところだが、これからごちそうが待っている。お行きなさい的に見逃すだけの心の余裕がある。


「アベシュー」

「ん?」

「あのイカリノアってニンゲンは、いいニンゲンりすか?」

「普通にいい子だと思うけどね」


 少なくとも害意や敵意はなさそうだ。なにか隠しているというか、こちらに言いづらいことがありそうなのも確かだが。


「なら、あたいはアベシューをしんじるりす」

「ありがたいこと言ってくれるね、このリス公は」


 隠れ家に戻ると、ノアが石をまな板代わりに具材を切っている。肉、ねじくれた野草、見たこともない青っぽい根菜、そして人の拳ほどもあるキノコ。なかなか個性的な具材が踊る鍋になりそうだ。

 石を円形に並べる。その真ん中に黒い碁石のようなものをいくつか置く。そこにマッチの火を放ると、碁石に引火して燃える。バーベキューの木炭のようなものらしい。


「じゃあ、牡丹鍋つくりますね」

「オッス!」

「りっす!」


 鍋は二人用くらいのサイズか、やや小ぶりだ。取っ手の外せるフライパンのような底の浅い鍋だ。そこに猪肉からこそぎとった脂を落とし、具材を炒める。その時点でもうたまらないにおいが部屋に立ち込める。

 水を入れ、調味料を入れる。塩、ちぎったハーブ、それににおいからして味噌だ。くつくつと煮えてからノアがスプーンで汁をすくい、味見する。無言でうなずく。愁とタミオのよだれ量がストップ高を迎える頃、満を持して薄くスライスされた猪肉が投入される。

 愁の手に箸が渡る。割り箸のように直接削り出した感じのある箸だ。タミコには爪楊枝の先っぽを折って渡す。

 そして、ノアが木の器に具材をとりわける。スプーンで汁を、箸で肉や野草を入れていく。その器が愁の前に、醤油皿のような小さな器がタミコの前に置かれる。

 二人はノアの顔を見る。エサを前に主人を窺うイヌのような目で。


「さあ、召し上がってください」


 彼女の笑顔に、二匹のアニマルのタガが外れる。高らかに手を合わせ、「いただき(ます)(りす)!」と声を合わせる。

 まず汁をすする。濃厚な味噌の風味が舌を鷲掴みにする。脂の甘みとにんにくのパンチが脳を揺さぶる。

 猪肉は噛むほどに弾力が返ってくる。ややワイルドなくさみはあるが、ほとんど豚肉と変わらない。脂身が口の中でとろける。うまみをたっぷり吸ったキノコはジューシーで、野草はそのほろ苦さがスープの味とベストマッチしている。銀杏のような木の実も入っている、ホクホクした食感が楽しい。


「うめえ……ああ、うめえ……それしか言葉が出てこねえ……」

「はふはふ! しょっぱ、しょっぱうまりす!」


 タミコは爪楊枝の先っぽで器用に具材を引き寄せてかじっている。顔中汁でべちょべちょだ。


「うまうま、うまたにえんりす! あたいこんなのはじめて!」


 五十階でもオオカミ肉やゴブリン肉を焼いたり野草と一緒に煮たりしてきた。愁たちにとっての贅沢料理ではあったが、調理スキルもろくな調味料もない状況ではあくまでも「いつもより多少マシなあったかいメシ」でしかなかった。

 デンジャラスこそグルメを地で突き進んだ五年間。そこへきてこの牡丹鍋。五年ぶりの「まともな料理」。


 うまくないわけがない。感動せずにはいられない。


「なんだこりゃあ……全身でうまいが止まらない……」


 涙を流しながらかっこむ二人を見て、ノアは満足げだ。彼女も鍋から直接箸でつまみ、肉を頬張って身悶える。


「んー、おいしい! 自分たちで手に入れた肉だから、なおさらですよね。狩人やっていてよかったって思える瞬間っていうか」

「ほんとだね」

「具はいっぱいありますから、どんどんつくっちゃいますね。次はタミコさんに合わせてもう少し薄味にしてみましょうか」

「りっす! イカリノアさいこうりす!」

「餌付けされてんなよ(俺もだけど)」


 今日の夕飯用の肉はどかっと一キロ近くあったはずだが、気づけば三人で全部たいらげてしまう。心の底から「ごちそうさま」を言うことができる。

 三人で鍋と食器を洗いに水場に向かい、水の補充も済ませる。隠れ家に戻り、ノアがサビ焦げだらけの小さなポットをとり出し、水を注いで火にかける。


「コーヒーはお好きですか?」

「めっちゃ好き」


 カップとお椀にお湯を注ぎ、黒っぽい粉末を溶かす。インスタントコーヒーのようだ。


「ネリマ産のキノコーヒーです」

「キノコーヒー?」

「コーヒーキノコを焙煎して砕いた粉末です。これを溶かして飲むのがキノコーヒー」

「なるほど」


 見た目も香りも完全にコーヒーだ。ノアが躊躇せずすするのを見て、愁もそれに倣う。


「ああ……うめえ……」


 やや濃いめ苦めだが、確かに間違いなくコーヒーだ。懐かしすぎる、うますぎる。

 タミコにも一口舐めさせてみるが、「にがいりす」とあまりお気に召さないようだ。お子様にはまだ早いか。

 愁はちびちびと味わって飲み、食道を通る温かみにほっと一息つく。

(なんだろう)

(今日このまま死んでもいいやと思えるほど幸せ)

 今この瞬間のために生きてきたと言っても過言ではないかもしれない。


「アベさんは……この世界のこととか、狩人のこととか、自分の身になにが起こったのかとか、なんにもご存じないって話ですよね」

「うん」

「たぶん、ボクがお役に立てると思います。その……前の世界の話とか、他の人よりちょっぴり詳しかったりするので」

「マジで?」


 ノアはお椀のコーヒーをぐっと飲み干す。


「明日、一緒に地上に出ましょう。その目で確かめてもらってからのほうがいいと思うんで」

「ありがとう、助かるよ。いろいろとよくしてもらって」

「こちらこそ。お二人は命の恩人ですから」


 ノアの笑顔は屈託なく、言われてみれば女の子らしい、年相応のあどけなさを備えている。


「ちなみに……イカリさんって、何歳? って聞いていいんかな?」

「あ、はい」ノアはさらっと答えてくれる。「こないだ十八歳になりました」

「なるほど(もろJKやん)」


 自分が十八の頃はなにをしていたかな、などと考えてみる。受験勉強を本格的に始めたのは二学期に入ってからだった。それまでは毎日学校と家を往復して、自室でゲームをしてマンガを読んでエロサイトを見て、ときどき友だちの家で麻雀をしたりエロサイトを見たり。彼女もできずに青春のページを灰色に塗りつぶす日々だった。

 と、今さらになって疑問に思う。

 若干十八歳にしてこの子は、なぜこんな危険な場所にいるのだろう。なぜ狩人などという危険できつくてくさい仕事に就いているのだろう。


「アベさんはおいくつなんですか?」

「え、あ……眠ってた時期を除けば、たぶん今年で二十八かな……」


 アラサーまでにメトロを脱出するという目標にギリギリ届かなかった感がある。命があっただけでも儲けものとも言えるが。

 愁の顔をじろじろ見て、少し意外そうに首をかしげるノア。


「そうなんですね……失礼ですけど、もうちょっと若く見えます……」

「だと嬉しいけど」

「あたいはじゅっさいりすよ」

「こないだおねしょしてたもんな」

「邪ッ!」

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