19:糸繰士

「ボクはイカリ・ノアといいます。イケブクロトライブの狩人です」


 少年がそう名乗る。一人称はボクか。

(池袋? まだブクロあんの? トライブって?)


「あの……あなたは……」

「あ、えっと……俺は阿部愁です」

「あたいはタミコりす」


 彼はすでにタミコを認識していて、少し戸惑ったような表情をしているが、初対面時の愁のように取り乱したりはしない。


「ナカノのカーバンクル族……ですよね……?」

「あたいのなかまをしってるりすか?」

「いえ、初めて見ました。ひいじい――曽祖父に聞いたことがあるだけで」


 しゃべる動物という存在は、この世界の人間にはわりと常識のようだ。


「えっと……アベ、さんは……どこのトライブの方ですか?」

「あ、いや、その……」


 トライブ――種族とか部族とかいう意味だったと記憶している。どこのと言われても、行田市生まれの現豊島区民だ。好きなものは東京名物油そばだ。それをそのまま答えていいものか。


「あ、すいません。いきなり不躾なことを。でも……すごいですね、ソロでカトブレパスの成長個体を倒すなんて……」


 あれがカトブレパスか。毒息を吐くグロテスクな牛だかブタだかだったような。


「あ、えっと、獲物を横どりしちゃってごめんね?」

「いえ、そんな! ボク一人じゃ無理だったし、なかなか逃げる隙がなくて……ほんとに助かりました、ありがとうございました」


 愁はほっとする。とりあえずクレームや訴訟に発展せずに済みそうだ。どの時代でもリスクヘッジというのは社会人の基本。


「いろいろとお話を伺いたいですけど、先にこれを解体しないと、お二人にお礼もお渡しできないですし……向こうに水辺があるので、作業しながらでもいいでしょうか?」


 ノアは手からするすると紐を出し、それをカトブレパスの後ろ脚にくくりつける。菌糸を撚り合わせた紐だ、それで引っ張って運ぼうとしているようだ。


「……んぎぎ……!」


 ノアが紐を肩に通し、顔を真っ赤にしながら引きずっていく。おそらくキロでなくトンの重さだろう、狩人でも容易に運べる


「俺も手伝おうk――」


 ノアの前に回ったとき、愁の目が飛び出んばかりに見開かれる。

 彼は小柄だ、たぶん百五十センチ前後だろう。首から膝までの丈の深緑色のマントを羽織っているせいで体型がわかりづらい。

 だが――右肩から左腰にかけた紐が身体に食い込んでいる。

 スラッシュしたその紐が、胸の膨らみをばっちり浮かび上がらせている。結構なボリューム。

 見てはいけない。頭ではわかっている。だがこの目がそれを拒んでいる。水晶体と角膜が、毛様体と網膜が、「これぞ我らが天命!」とばかりにその光景を掴んで離さない。その忠誠心に頭が下がる。


「……えっと……」

「……きゃっ!」


 ノアが慌てて胸を隠す。顔がいっそう赤くなっている。


「……やっぱ女の子だったんか……」


 愁も同じだ。頬袋に湯たんぽを詰め込まれたように顔中熱い。


「……すいません、あの……隠してたわけじゃ……いや、隠してたんですけど……」


 まあ、男の子を偽る事情もなんとなく察しがつかないでもない。狩人などという職業が成り立つ以上、世の中が以前よりも物騒になっているのは間違いないだろうから。

 でも――だとしたら、どうして一人でその危険な仕事をしているのだろうか。


「あたいもメスりすよ?」

「うん? うん」


 女の子に大荷物を運ばせるのも忍びないので、愁が紐を引っ張り、ノアに後ろから押してもらうことにする。さすがにレベル66の肉体でも車輪のないトラックを引くのはしんどい。それでもずるずると巨体が動きだす。

(でもこの紐、結構頑丈だな)

(何重にもしてあるけど、それでもぜんぜんちぎれそうにない)

 いろいろとつぶしの利きそうな能力だ。狩人以外の仕事でも。

 そこへいくと――愁の能力はメトロ獣との殺し合いのほうに特化しているものが多い。そのおかげで五年も生き延びてこれたわけだが、その先はどう役立てていけばいいのだろうか。

(地上に出たら、そのあとのことも考えなきゃ、か)


 ノアの誘導に従って歩く。血のにおいか音のせいか、道中でメトロ獣が寄ってくるが、愁の獣除け胞子で追っ払う。

 五分ほど進んだところで、彼女の言っていた水辺にたどり着く。

 右から左へ水が流れている。幅は五メートルほどだろうか、水路というより川だ。河原にはきらきらした柔らかい砂が敷き詰められ、その隙間から深海を思わせるカラフルでファンキーな菌糸植物が顔を出している。水深は数十センチ程度だろうか、底が見える。

 ノアがしゅるしゅるとてのひらから菌糸を出す。それは刃渡り二十センチほどのナイフになる。愁の菌糸刀の短いバージョンだ。

 首のないカトブレパスの死骸の下腹部にそれを突き刺し、ぎゅっぎゅっと力をこめて腹のほうへと裂いていく。慣れた手つきだ。


「あ、イカリさん」

「はっ、はい?」

「俺も手伝おうか?」

「あ、ありがとうございます」


 ノアは死骸に向き直り、また解体を続ける。愁はぽつんと突っ立ったままだ。


「あ、あの……イカリさん」

「はっ、はい?」

「俺はなにをしたらいい?」

「え?」


 ノアはぽかんとしている。自分よりも年上で実力も上の狩人が、まさかのド素人で指示待ちしているとは露ほども思っていないのだろう。愁はサーセンと心の中でつぶやく。

 この五年、自分なりに試行錯誤してきた我流のやりかたを持ってはいる。とはいえそれが、本来の職人のセオリーから逸脱していないとも限らない。下手に手を出して呆れられたり怒られたりするのが怖い。ましてや可愛い年下の女の子にそうされたらヘコむどころではない。「体調不良なので会社休みます」と連絡してスーパー銭湯で傷を癒やさないといけない。


「いや、その……君のやりかたに合わせようと思って。カトブレパスって倒したの初めてだから。なんでも言ってよ」

「あ、じゃあ……こっち押さえてもらっていいですか?」


 そこからはスムーズに仕事は進む。ノアは手早く腹を割り、内臓を掻き出しにかかる。平成の世ならJKくらいの年頃だろうに、まったく躊躇することなく血や臓物と格闘している。やがて下腹部の奥からとり出した胞子嚢二つを、そのまま愁に渡す。


「お二人が仕留めた獲物ですから、遠慮なく食べちゃってください」


 愁は少し迷った末に、一つをノアに戻す。


「俺はタミコと半分でいいや。一つは君が食いなよ」


 推定レベルだけで言えば、これよりも上等なものをさんざん食ってきた。今さら一つや二つ惜しくはないし、彼女が食べたほうが恩恵は大きいだろう。

 ノアは目を輝かせ、「ありがとうございます!」と頭を下げる。そして勢いよくかじりつく。JKがどろどろ白濁した液を飛び散らせながら食べ進めるさまから愁は目を逸らす。まじまじ見ていたら逮捕ものだ、というかそういう目で見る時点でアウトだ。平成生まれはセクハラに敏感でなければ生きていけない。


「んあっ!」


 と、急にノアが声をあげる。


「ど、どした!? だいじょぶ!?」

「あ、いえ。すいません。レベルアップしたんで……」

「ああ、身体ビキビキね。おめでとう」


 ちょっと色っぽいあえぎ声だったのでドキッとしてしまったのは内緒だ。


「イカリノアはレベルいくつりすか?」

「タミコ、そんな風に気軽に聞いちゃダメだと思うよ」

「いえ、お構いなく。ボクは今24になったところです」

「ほお」


 ほぼタミコの見立てどおりだ。それが狩人の業界において相対的にどれくらいの位置なのかはわからないが。


「あたいは41りす」


 訊かれてもいないのにあっさりバラすタミコ。自分のほうが上だからだろう。その証拠にむんっと胸を張っている。


「え、す、すごい……40超えなんて、ボクよりだいぶ上なんですね……ちなみに、アベさんは?」

「俺は……たぶん66だと思う」


 危うく胞子嚢を落としそうになるノア。


「……レベル60オーバー……達人級じゃないですか……」

「あ、うん? まあたぶんだけど(達人?)」


 タミコ母の相棒が53で「優秀な狩人」だったそうだから、60超えの愁もそれくらいの評価はされるのかもしれない。実体は世間知らずのド素人だが。

 もぐもぐタイムを終え、解体の続きをする。ノア曰く、剥いだ皮と肉を持って帰りたいそうだ。


「カトブレパスの皮は、狩人向けの衣類の材料になります。レアな成長個体ですから、かなり上質なものになると思いますよ。それと肉は、脂身が多くてとても濃厚な味わいだそうです。ここで塩漬けにして地上でベーコンをつくろうかと」

「べべべベーコン!」


 そんな文化が残っていてくれたというのか。なんと魅惑的な響きだろう。炙ったベーコンの香りと麦酒の喉越しが脳内で再現されてたまらない。よだれが止まらない。


「あ、ちなみに肉って毒とかないの? さっき毒吐いてたよね?」

「大丈夫です。内臓に近いところは避けないといけないですが、これだけの巨体ですから、食べ放題ですよ」


 愁も菌糸刀を出して手伝う。ノアが一瞬びくっとするが、切り分ける部分を教えてくれる。途中までは興味深そうに観察していたタミコだが、飽きたのか海藻のベッドをつくって昼寝を始める。ぴー、ぴー、と呑気な鼻の音が規則正しく鳴りはじめる。


「……あの、すごいですね、アベさん」

「へ?」

「その若さでレベル60オーバーなんて……」

「いやまあ……つーか、すごいの?」

「謙遜しないでいいですよ。それに菌能も、【戦鎚】に【戦刀】……それに【大盾】や【解毒】まで……菌職は〝聖騎士〟ですか? ボクは見てのとおりの〝細工士〟ですけど……」

「き、きんしょく? せーきし?」


 なんだか耳慣れない単語がいくつか飛び出してくる。それらが愁の頭の中で渋滞する。


「……あ、すいません。勝手に菌職とか訊いちゃって……」

「いや、その、なんつーか……」


 愁は腕を組んで少し考える。

 このままよくわからない狩人語? が頻発するようなら、いつまでもモゴモゴしていなければいけなくなる。

 この際だから、自分の境遇をすべて打ち明けてしまいたい。今すぐ五年の間に積もりに積もった質問をすべてぶつけてしまいたい。

 問題は、彼女がどういう反応をするかだ。

 百年も前の人間。旧文明の人間。五年もメトロの奥で暮らしてきた。そんな話をしたら、彼女は――この世界の住人はどのように思うのだろうか。想像もつかない。

 目覚めて初めて会えた人間だ。とてもいい子そうだし、しかも可愛い。

 そんな子に、信じられないと鼻で笑われるくらいならまだいい。からかわれたとプンスカ腹を立てるくらいならまだいい。想像したら可愛いからむしろ見たい。

 だが、不審者と思われ、狂人と思われ、心を閉ざされたり関係を切られるようだとつらい。というかたぶん泣く。


「……アベさん……?」


(……でもまあ、避けては通れないか)

(一応恩人だし、邪険にはされないよね?)

 愁は頭をがしがしと掻き、顔を上げる。ノアは少し戸惑ったような表情をしている。


「あのさ、イカリさん。聞いてほしい話があるんだけど」

「はい、なんでしょうか?」

「今からいろいろ変なこと言うかもだけど、ドン引きしないでもらえるとありがたくて」

「変なこと?」

「……俺さ、たぶん百年前? の人間なんだ。狩人もメトロの迷宮もない、旧世界に生きてた人間っていうか」


 そして、堰を切ったように愁は話しだす。自分の正体を。この五年間のことを。

 メトロもメトロ獣もなかった世界で会社勤めをしていた。ちょっとした事故で大塚の病院に入院し、そこでメトロの氾濫――なにかしらの天変地異のようなものを迎えた。目を覚ましたらこのオオツカメトロの五十階にいた。

 途中からタミコが起き出して、五十階での話を補足してくれる。単身でオーガを前歯のサビにしたとかいう大見得武勇伝は否定しておく。

 五年に渡る死と隣り合わせの毎日を送り、能力を鍛え、ついにボスを倒して五十階を脱出することができた。そうして上へ上へと地上をめざす道中でノアに会い、今に至る。


 ノアはぺたっと腰を下ろしたまま、呆然として話を聞いている。特に口を挟むでも質問をするでもなく。話し手としてはありがたいが、自分の荒唐無稽な冒険譚をどのように受け止めているのか、愁は内心ハラハラしている。

 二十分ほど続いた話が終わると、ノアは手で顔を覆い、大きく息をつく。


「……信じられない……」

「だよね、そんなもんだよね……」

「……十五年前に存在が確認されて以来、たくさんの狩人が討伐に挑んで、誰も倒せなかった……あのサタンスライムを倒したなんて……」

「だよね、ってそっち? あいつサタンスライムなんて呼ばれてたの?」

「ほんとりすよ。タミコがしょうにんりす。アベシューはカーチャンとそのあいぼうのカタキをとってくれたりす」

「……一つだけ、確認させてもらってもいいですか?」


 ノアがふらっと手を伸ばし、愁の手をとる。ちょっとドキッとする愁の、てのひらをすっと菌糸のナイフで切る。


「いたっ! ちょ、なにすんの!?」

「よく見せてください、治るところ」


 もしかしてヤンデレなの? などと訝しむ愁をよそに、血の浮かぶ傷口は青黒いカビに覆われて勝手にふさがっていく。


「青黒い菌糸……【自己再生】よりも遥かに早い再生……ふ、【不滅】の菌能……」

「ふめつ?」


 ノアが顔を上げ、まっすぐに愁を見る。

 表情がなく、青ざめている。その奥にある彼女の感情がどのような類のものなのか、愁には読みとれない。


「……本当なんですね。あなたは旧文明の、東京の民……」

「東京……そうだけど、信じてくれんの……?」


 ノアは愁の手を離し、呆然とつぶやく。


「……十三人目の……〝糸繰士いとくりし〟……」

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