5:半年後

 正の字カレンダーは三十六個目になる。

 百八十日、つまり覚醒から半年後。


 人間、死ぬ気になればなんでもできるものだ。

 愁は改めてそう思い知っている。

 やっていることはもはや自分の知る人間の範疇を大きく超えているが。

 数カ月前まではオオカミの前に立つたびに足が震え、あちこちかじられ引っかかれ大怪我を負いながら、ギリギリの勝利で食いつないでいた。今では――。


「ガァウッ!」


 対峙するゴーストウルフが吠える。相手を射すくめる強者側のそれではなく、警戒して「こっちに来るな」と突き放すような声だ。その証拠に、ぐっと身を屈め、下から睨め上げるような体勢になっている。


「悪いけど、胞子嚢もらうよ」


 愁は左手を突き出す。てのひらからするすると生じるのは、円形の鍋蓋状の物体。

 表面は菌糸刀やオオカミの牙もはじくほどの硬質さを持っている。すなわち、菌糸盾だ。

 右手の指先には赤い菌糸玉を生み出す。盾を前に構え、右手を振りかぶり、手首のスナップを利かせて燃える玉を飛ばす。

 ゴーストウルフが横にステップする。ボンッ! と地面が爆ぜる。瞬間的に立ち昇る炎にも怯まず、そのままゴーストウルフが突っ込んでくる。


「ふっ!」


 頭を噛み砕こうと迫るその顎を、愁は盾で殴るようにして逸らす。推定二百キロの全体重をかけた突進だが、愁はわずかにあとずさるだけだ。

 相手がすたっと着地すると同時に、ぽぽぽっと三つの指先に再び燃える玉を生じさせる。スナップスロー、三つの小爆炎。それをことごとくかいくぐり、ゴーストウルフが横に回り込んで距離を詰めてくる。

 愁は菌糸刀を生み出す。袈裟に振り下ろす。

 一太刀で首を刎ねるにはじゅうぶんな膂力の一撃を、ゴーストウルフはその口で受け止める。


「うおっ!」


 マジか、と愁は一瞬たじろぐ。こんなガードをしてきたやつは初めてだ。

 左手の菌糸盾はすでに放り捨てている。代わりに二振り目の菌糸刀を出そうとする。


「アベシュー!」タミコがさけぶ。「後ろ――!」


 背中がぞわりと粟立つ。

 振り返ったとき、二匹目のゴーストウルフが大口を開けて眼前まで迫っている。


「ぬお――!」


 ほとんど反射的に、左手の人差し指から菌糸玉を放つ。赤い繭が二匹目の口の中へと吸い込まれ、ボンッ! と燃え上がる。

 牙を放した一匹目が爪を伸ばしてくる。愁はそれをくぐってかわし、下から刀を突き上げる。白い切っ先がぶ厚い皮膚を破り、肋骨を砕き、腹から背中へと通り抜ける。ぷしゃっと血が愁の顔に降りかかる。

 ゆっくりと、ずしん、と地面に落ちる。そして動かなくなる。


「あー、焦ったー……」


 少しチビりそうになったのは内緒だ。

 伏兵がいたとは。ゴーストウルフは基本的に文字どおりの一匹狼だ。つがい連れや子育て中らしきやつらを見たことはあるが、そいつらが襲ってくるようなことは一度もなかった。二匹以上で同時に襲ってきたのは半年間で初のできごとだ。

 それに、まだ愁が低レベルだった頃ならともかく、今の愁の一撃を口で受け止めるとは。他のゴーストウルフより上等な個体だったのかもしれない。


「こいつ、アベシューがたたかうおとで、じぶんのあしおとをころしてたりす。あたいもきづかなかったりす」


 事態が収まったのを察して、タミコがとことこと駆け寄ってくる。愁の肩に乗る。


「なるほど……向こうも対策を練ってたんかな……」


 燃える玉を食った二匹目は、顔面をぐしゃぐしゃにして、目玉も飛び出ているが、まだもぞもぞと身じろぎしている。愁は心の中で手を合わせ、その首に刀を振り下ろす。

 

 

 

「なんだかんだ、ここでの暮らしも慣れてきちゃったなあ」


 二人はオアシスの水場で胞子嚢をもちゃもちゃと頬張っている。このまずさにも多少慣れてきていているのはいい傾向なのかどうなのか。まったくおいしいと思えないのは相変わらずだが。

 タミコは耳を立てたままだ。近づいてくるメトロ獣の気配を逃すまいとしている。頬袋をぱんぱんにしつつ首をきょろきょろ回す様はまんまリスだ。


「もしゃもしゃ……アベシューはつよくなったりす。きょうもまあまあがんばったりす。それもこれも、あたいのてきかくなしどうがあればこそりす」

「もうお前よりレベル高いけどな」


 燃える玉の習得後も、ゴーストウルフから有利をとるまでには至らず。ようやくやつらを完封できるようになったのはレベル11で第四の菌能・菌糸盾を習得してからだ。

 そのままひたすらゴーストウルフだけを狩り続けて半年。愁はレベル17にまで達している。ちなみにタミコは14らしい。

 レベルアップごとに明確に身体能力が向上してきているが、体型は多少細マッチョになった程度だ。明らかに筋肉量と筋力が釣り合っていない。身体に寄生している菌糸の強度が上がることで、身体能力や菌能が強化されていくらしい。そのために必要なのが、他者の胞子嚢。


「とはいえ、さすがにあのオオカミだけじゃレベル上がらなくなってきたかなあ……」


 最近はほぼ毎日一・二匹ずつゴーストウルフを狩っているが、レベル13あたりから明らかにペースが落ち、最後のレベルアップからすでに半月が経過している。

 ネズミを何匹仕留めてもダメだったのと同様に、オオカミもこれより先のレベルの糧には力不足になってきたのかもしれない。


「まあ……つっても贅沢な悩みか。毎回死ぬ思いしてオオカミ狩ってた頃とくらべれば……」


 ペースを上げるというのも手の一つではある。ただ、そうするとこのフロアのオオカミを激減させかねない気もする。

 これがゲームではなく現実だと思い知る事実の一つとして、モンスターもといメトロ獣は「どこからか勝手に湧いてくるわけではない」という点がある(最初の起源がどうだったのかは知らないが)。生殖器官である胞子嚢を持っている彼らは、きちんと己の性をもって繁殖している。菌類も有性生殖だと高校の生物で習ったのを思い出す。


 一度、ひょんなタイミングで産まれたばかりのゴーストウルフを見かけたことがある。べたべたの三匹の幼体がきゅーきゅーと母親を呼ぶ声はあまりにも子犬感満載で、一匹持って帰りたい衝動を抑えるのに必死だった。

 わりと季節関係なく繁殖しているようだが、あまり集中して狩りすぎて数が激減すれば元に戻るまでには時間がかかるだろう。このフロアにどれだけの数のオオカミがいるのかは把握できていないが、下手な乱獲は絶滅を招く恐れがある。

 そうなるとこのフロアの生態系に著しい影響を与えてしまう。別にエコロジカルな思考でそれを危惧しているわけでなく、それによってオオカミを捕食対象とする他の強力なメトロ獣たちにどう影響するかが未知数なのだ。未だに遭遇すら恐れるオーガやオルトロスなどの推定レベル50オーバーという化け物どもがこのあたりを跋扈しはじめないとも限らない。


「たしかに、オオカミやろうどもはすでにあたいらのてきではないりすね」

「お前は一度も戦ってないけどな」


 こいつのレベル14という自己申告が本当なら、ゴーストウルフともいい勝負ができそうではある。絵面的にやらせるつもりはないが。


「せいかつもあんていしてきたし、もうちょっとこのまま、ザコかいでわがよのはるをおうかするのもいいりす」

「志低いわ」


  火を手に入れてから、ここでの生活もそれなりに改善が見られるようになってきた。

 焼いた肉やキノコなどの温かい食べものは、胞子嚢の味に慣れつつある舌には極上の贅沢品になる(今一番ほしいものは、冷蔵庫でもスマホでもなく調味料だ)。深緑色の菌糸植物をお湯につけたなんちゃってお茶も、嗜好品として灰色のメトロ暮らしに彩りを加えてくれている。オオカミの毛を焼いた皮で簡単な上着と新しい腰巻きもつくった(パンツはないのでスースー感は継続中だ)。

 とはいえ、いつでも自由に火を使えるわけではない。狭くて換気も不十分な隠れ家での火起こしなど自殺行為だし、もっと開けた場所でBBQとなると他の獣への注意が必要になる。

 なので基本的には今も雑草食、キノコ食、胞子嚢食がメインの生活は変わっていない。オオカミのモモ肉焼きなどの贅沢はよっぽどメンタルが切羽詰ったときだけだ。


「このままのペースでオオカミを狩っても、じゃあレベル50までどんだけかかるんだってなるしなあ。メトロでアラサー迎えるとかマジ勘弁だし、そろそろ次のステップに登っちゃってもいいんじゃないかね?」

「アベシュー、そういうマインドはゆだんをまねくりすよ」

「へ?」

「アベシューはちゅうとはんぱにつよくなって、チョーシこいてるりす。トーシローとチューケンのまんなかあたりがいちばんあぶないりす」

「リスのくせに正論言いやがって」

「もうすこしレベルあがったら、かくれがのみぎのほうにすすんで、ゴブリンをかるのもいいかもりすね」

「あー、あいつらか……」


 愁たちの活動範囲内で、何度か見かけたことがある。ゴブリン――赤や青の体毛を持つ二足歩行のサルだ。ゲームのように石器らしいもので武装し、小学生くらいの背丈でも筋骨隆々で、面構えも凶悪そうだった。タミコ曰く「通常のゴブリンは緑、青や赤は上位種的なゴブリン」らしい。ゲームで言えばホブゴブリンだ。


「あいつらはいやらしいやつらりす。くさくてきたなくて、こざかしくてギャーギャーやかましくて、きしょくわるいわらいかたをして、ゴキブリでもオオカミでもなんでもたべるりす。あたいもなんどもおいまわされたりす。むかついてきたからねだやしにしてやるりす」

「私怨かよ。やるのは俺なんだけど、実際どんくらい強いの?」

「あおゴブリンは、タイマンならたぶんゴーストウルフよりちょいよわいくらいりす。でもかずがおおいからたくさんかれるりす。あかゴブリンはもっとつよいりす、きんのうをつかうやつもいるりす」

「それは怖いな」

「あとしんぱいなのは、かくれがからちょっとはなれてるから、ほかのつよいのとでくさわないかってことりす」

「うーん、嫌だ……そのへんはタミコにきっちりさぐってもらいながらかな……」

「まかせるりす。アベシューはよわニンゲンだから、きちんとだんかいをふんでいくしかないりす」

「よわが一個とれたね。進歩だわ」

「アベシュー、なやむまえたべるりす。あたいはもうおなかいっぱいりす」

「ああ、お残し分を食べろってことね。遠慮なくもらうよ」


 リスの残飯も食べるという現代人にあるまじき食生活だが、常識やマナーなんて人間のいない空間では無用の長物だ。二つ目の胞子嚢を食べ終えると、突然背中が熱くなる。ほら、だからバカにならない。


「来た来た、来たぞタミコ! 背中アツアツはスキル獲得!」

「やったりす! アベシュー、さっそくためしてみるりす!」


(やべえ、久々すぎて嬉しすぎる)

 菌糸盾以来、約三カ月ぶりか。

 最初の低レベルだった頃の苦境から安定してきて、代わりにレベルアップのペースも落ち着いてきて、今では次のレベルアップが待ち遠しくなっている。

 生存戦略の切実さという意味だけでなく、明らかにこの状況を楽しみはじめている自分がいる。

 目に見える形で着実にステップアップできる、それが自身の肉体にフィードバックされるというカタルシス。画面を隔てたデジタルの世界を傍観する立場では味わえない快感だ。給料アップが毎月やってきたらこんな感じかもしれない。


「よし、じゃあ出してみよっか。タミコ、離れてろよ」


 てのひらに意識を集中する。

(出ろ出ろ……俺の新しいスキル、出ろ出ろ……)

 そして、しゅるしゅると現れた菌糸がまとまっていき、出現するニューフェイス。


「出た! また菌糸玉だ!」


 乳白色の楕円体だ。大きさは燃える玉と同じくらい。中心に緑色の十字っぽいマークがある。


「アベシュー、ためしてみるりす!」

「あ、うん。投げる、食べる、食べさせる、だっけ?」


 そっとつまんでもぎとる。燃える玉のようにデリケートな扱いが必要な可能性もあるが、なんとなく危険な気配は感じない。本能的にそれがわかる。

 タミコを後ろに下がらせ、数メートル離れた地面に投げつけてみる。

 頭を庇う愁とタミコの前で、菌糸玉はぽとっと地面に落ちる。そして――なにも起こらない。やはり。

 近づいて確認してみる。繭がしおしおになって、腐葉土の地面にしみが広がっている。中に含まれていた水分が全部抜けたかのように。木の枝でつついてみてもなんの反応もない。突き刺してちぎってみても、ただボロボロと崩れるだけだ。


「やっぱ投げるじゃなさそうだね」


 となると、食べるか食べさせるか。万が一毒だったりしたら自爆必至なので、申し訳ないが動物実験ということになる。

 もう一度白い菌糸玉を出し、そこいらを歩いているネズミを捕まえ(もはやネズミだろうがゴキブリだろうが素手で捕まえられるほど愁の敏捷性とメンタルは鍛えられている)、かわいそうだが無理やり食べさせてみる。口のそばに近づけると、ネズミはにおいを嗅ぎ、バリッとかじる。バリバリとかじる。もぐもぐ咀嚼する。ちょっと可愛いと思えてくる。


「……なんともなさそうだな」


 隠れ家に戻り、連れ帰ったネズミを引き続き観察する。オオカミ皮の袋の中に閉じ込められたネズミは、三十分以上経っても異常は現れない。それどころか元気になってキーキーとじたばたしまくっている。これ以上はかわいそうなので放ってやると、元気に走って逃げていく。


「ちなみにタミコはあいつとしゃべれないの?」

「ネズミといっしょにすんなボケ。ツルッツルのしおがおはいしころとでもしゃべってればいいりす」

「次の動物実験は俺たちだ。お前も食え、俺のタマを」

「やめろ、ドーブツギャクタイりす! くっさいタマちかづけんな! やめろ、やめ――うまいりす……!」


 そのまましゃくしゃくと菌糸玉をかじるタミコ。


「とってもジューシー、ほのかにあまいかんじりす……これがカーチャンのいっていた、ちじょうのスイーツ……?」

「違うと思うけど」


 愁ももう一本出して自分でかじってみる。菌糸からじゅわっと半透明な液体がこぼれて、それがほんのり甘く感じられる。確かにまずくはないが、キノコっぽい生ぐささも残っている。自分由来のものをかじるというのも、なんだか変な気分ではある。


「毒もなさそうだし、かと言ってめちゃうまいわけでもないし……これなんの効果なんだ?」

「でも、ちょっぴりげんきがでてきたりすよ」


 確かに少し薬っぽいような、身体によさそうな味はしている。

 もうちょっと検証したほうがよさそうだ。ちなみにタミコの顔は甘い菌糸玉を頬袋に詰めてパンパンになっている。

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