6:ゴブリン

 これで愁は五つのスキル――菌能を習得したことになる。


 第一の菌能、再生菌糸。

 軽傷ならものの数秒で、重傷でも数分で元通りに再生してくれる。重傷の再生後には強い空腹に見舞われる副作用もあるが、それを差し引いてもチートというかバグかと思うほどの性能だ。その再生の限界はまだ訪れていない(いたらすでに愁自身この世にいない)。

 百年間も今の姿のままで生き延びられたのはこの能力のおかげなのではないかと、最近思うようになっている。目覚めたときは全身このカビに覆われていたのだから、まったく無関係なはずはないだろう。


 第二の菌能、菌糸刀。

 愁のメインウエポンだ。刃渡りは六十センチくらい、反りの少ない片刃の刀だ。刀身はややくすんだ白、材質は骨に似ていて、軽量だが驚くほどかたい。両手の手首付近から先で生み出すことができる。基本的には手に握って使用するが、てのひらに生み出したまま突き刺すような使いかたをすることもある(結合部分が意外と脆いのでそのまま振り回したりはしない)。


 第三の菌能、燃える玉。

 愁にとって貴重な遠距離攻撃手段だ。衝撃に弱く、かたいものにぶつけるだけで崩れ、小さく爆ぜるようにして急激に燃焼する。

 手にとって投げたり、指先に生み出してスナップスローで放ったりする(指先に生むと結合部分が弱いために可能な手段だ)。あるいは地面に隠して地雷的なトラップに使ったりもしたが、オオカミがそれを踏んだことは一度もない。


 第四の菌能、菌糸盾。

 直径四十センチ超、厚さ五センチ超の縁盾。菌糸刀と同じやや乳白色がかった表面は硬質で、オオカミの牙や爪、あるいは菌糸刀でも表面を傷つけるのに精いっぱいなほどだ。軽く、てのひらや手の甲に生やしたままでも結合部分は強く、とっさのときにでも使える。優秀な防御手段だ。


 そして、第五の菌能、白い菌糸玉。

 甘みのある水分をたっぷりと含み、握ったり衝撃を与えたりするとじわっとにじみ出す。食べるよりその汁自体を飲むほうが比較的うまいと判明。食べても特に害はなさそうだが、その具体的な効能については要検証。

 

 

 

 五つ目の菌能を習得した翌朝。

 水辺で身体を洗っていると、突然タミコがキーキー騒ぎだす。


「アベシュー! ユニコーンりす!」

「またか……」


 このところ、三日に一度くらいのペースで遭遇している。真っ白な毛並みと銀色の鬣、鋭い角を持った大型メトロ獣だ。

 見た目がまんま馬なだけあって、草やキノコを主食としている。肉は食わないらしく、自分から他の生き物を襲うことはない。

 一切蹄の音を立てず、まるで地面の上を滑るように近づいてくる。聞こえるのは草木が踏まれるかすかな音だけだ。動作に物音がないのはタミコ曰く「そういう菌能を持っているから」らしい。だからタミコの耳にも引っかからないし、近づいてくるまで二人とも気づかない。

 愁とタミコには目もくれず、他の水場に行き、首を伸ばして水を舐める。鬣がキラキラと輝いて見える。他の一切を意に介さず、悠然と、まるで王者のように振る舞っている。


「……ユニコーンって強いんだよね?」

「べっかくりす。このフロアであのおかたにてをだすやつはいないりす」

「お方って」

「じぶんからはだれもおそわないし、おそわれてもスタコラにげるだけりす。だけど、マジになったらオーガもワンパン、いやワンキックりす。アベシューなんてホネものこらんりす」

「お前も毛一本も残らないだろうな」


(どうにかして狩れないかな?)

(奇襲かけるとか、毒盛るとか)

 その胞子嚢を食べられたらどれくらい経験値が蓄積されるだろう。馬の肉は生でもいけるし、角にしろ鬣にしろゲームなら高級素材になりそうだし――などと考えていると、その邪念を感じとったかのように、ユニコーンが顔を上げて愁たちのほうを見る。愁とタミコはぶるぶる首を振る。それでユニコーンはまた草食みを再開する。

 

 

 

 メイン通り――と名づけた隠れ家の前の線路道。いつもはオオカミを狩りに左に向かうが、今日は右だ。


「きょうはゴブリンのなわばりのしさつだけりす。まだたたかっちゃダメりすよ」

「わかってるよ、無茶はしないよ」


 メイン通りはやや緩く弧を描いている。百メートルほど進むと道が四つに分岐し、さらにいろんな形の小部屋大部屋へと複雑に枝分かれしている。この先はゴブリンたちの領域だ。

 今後のレベリングと活動範囲の拡張のために、今日はそこまで足を伸ばすつもりだ。もちろん危険も伴うので、いつも以上にタミコの索敵はビンビンにしてもらう。


 道中でゴーストウルフと戦闘になる。どうあってもお互いの気配を察せずにはいられなくて、結局は正面からぶつかってしまう。ユニコーンのような足音を殺す菌能を習得できると、狩りも楽になるかもしれない。

 一分程度で仕留める。もうさんざん手の内は知り尽くしているし、現時点では足の速さ以外の身体能力は互角以上になっている。無傷での完勝だ。


「やっぱり強くなったよなあ、俺」


 その場で胞子嚢をえぐり出して頬張りながら、そんなことをつぶやく。

 タミコの話ではないが、こんなときくらい若干調子に乗ってもバチは当たらない気もする。無傷の勝利は数えきれないほどの負傷重傷を礎としてきたのだから。川になるほど血と汗と涙と尿を流してきたのだから。


「ふおおっ! レベルアップりす! タミコ、さらなるたかみへと!」


 むしゃむしゃ食べ進めていたタミコがビキビキッと身体を引きつらせる。これでタミコはレベル15、菌能は二つだ。


「おめでとう。俺の記憶が正しければ、この半年で三回目のレベルアップだよね。ってことは会ったときはレベル12だったわけだ」

「まあ……そういうことりすな」

「ようやく認めやがったな。別に隠すことでもないのに」

「レディーのねんれいとレベルはナイショのほうがユメがあるりす」

「キャバ嬢か」


 タミコの残りを愁がもらう。残念ながら今回も空振りだ。これで17になってからいくつ目だったか。なかなか先に進めないもどかしさがある。


「にしても、アベシューのレベルアップははやいりす」


 思っていたこととまったく逆のことを言われ、愁はタミコと目を合わせる。


「あたいもあっというまにぬかれちゃったし、あたいのみるめはまちがってなかったりす。アベシューはすごいりす、がんばってるりす。あせらなくてもいいりす、アベシューならきっともっとつよくなれるりすよ」


 タミコがにこっと笑う。彼女がこんな風にストレートに賛辞を口にするのは初めてだ。

 愁は顔が熱くなって、目を逸らす。まさかリスに褒められて舞い上がるほど嬉しくなる日が来るとは。


「まあ、他に比較対象がいないからわかんないけど……ここまで順調だとしたら、タミコのおかげってのもあるね」

「あたりまえりす。あたいがいなけりゃおまえなんぞとっくにオオカミのむげんおやつサーバーりす。カンシャしてうやまえ、このダボハゼが」

「ボーナスタイム終了が早いわ」


 さらに先に進むと、大人一人がギリギリ通れるほどの暗い通路がある。この先がゴブリンたちの領域につながっているらしい。


「アベシュー、つぎのへやまでりす。ようすをみて、にひきいじょういるならすぐににげるりす」

「わかってるよ。無理はしない……ん?」


 通路の入口の縁に、まるで飾りつけのように菌糸植物がいくつか生えている。その中で、ちょうど愁の膝くらいの高さに、見たことのない黄色い花が数本ある。ちょこんと小さくて可愛らしい。


「これ、初めて見るやつだ。タミコ、食べられるやつ?」

「え、あ――さわっちゃダメりす!」

「あ?」


 タミコの制止で寸前に指を止めるが、爪の先が黄色の花とぶつかる。その瞬間――

 ジリリリリリリリリリリリ――!


「え!? は!?」


 花が高速で振動し、けたたましいベル音が発せられる。まるで火災報知器だ。


「なに!? え!?」


 タミコがばっと飛び出して、「邪ッ!」と黄色い花の茎をかじりとる。花の部分だけぽとっと落ちると、それでぴたりと音が止む。


「アホシュー! おたんこなす! みしらぬしょくぶつはうかつにさわっちゃダメっておしえたりす!」


 愁の頬にぺしぺしと連続リスビンタ。


「ごめん、マジごめん。毒とかには見えなかったから……」

「いまのはベルランりす! はなにさわるとおとがなるりす!」


 そんな植物もあるのか。菌能並みに珍妙だ。


「あんだけでかいおとだしゃあ、メトロじゅうがあつまってくるりす! やばやばりす、やばたにえんりす!」

「百年後も残ってんのかよそれ!」


 ベル音はすでに消えている。なのに、あたりの空気がざわざわとしている気がする。ボンクラの愁だが、この半年で磨かれた感覚が警鐘を鳴らしている(今さらだが)。危険が近づいている。


「きっとゴブリンのトラップりす! やつらがあつまってくるりす! すぐにかくれがにもどるりす!」

「お、オッス!」


 タミコを肩に乗せ、愁は走りだす。

 

 

 

 隠れ家までは距離にして一キロもない。今の愁の全力ならすぐだ。


「キキャァアーーーッ!」

「キャキャッ! キャキャッ!」


 背後で甲高い声がする。首だけ振り返ると、二足歩行の青いサルが二匹、赤いサルが一匹走って追いかけてきている。案の定ゴブリンだ。


「くそっ、やるかっ!?」

「ダメりす! いまのアベシューでもさんびきはきついりす! とくにあかいのはつよいりす!」

「だっけ! やべえ、こええ!」

「ガゥウッ!」


 横からゴーストウルフが飛び出してくる。タイミング的に愁たちとゴブリンたちの間に割って入る形になり、ゴブリンたちの追走が妨げられる。


「うおっ、ラッキー――」


 体高で言えば両者とも一・三メートル程度だが、体長や体重で言えば圧倒的にゴーストウルフのほうが大きい。


「ギャギャッ!」

「キィアーッ!」


 だが三匹のゴブリンは果敢に飛びかかり、まとわりつく。赤ゴブリンが手から白い手斧のようなものを出し、激しく身体をよじるゴーストウルフを打ちつける。菌能だ、菌糸刀の手斧版。青ゴブリンも石器のナイフでザクザクとめった刺しにする。ゴーストウルフの痛ましい悲鳴が響き、その巨体が崩折れる。正味十秒とかからない。


「……こっわ……」


 その間に愁たちは通路の角まで差しかかっているが、ゴブリンたちが返り血まみれの顔を上げ、殺気立った目を向ける。愁は思わず背筋が凍る。再び走りだす。


「ぴぎゃー! ヤバンりす! ザンギャクりす! だからゴブリンはきらいりす!」

「同意だけど耳元でさけばんでくれ!」


 ゴブリンが興奮してキャッキャと騒ぎながら追ってくる。悔しいことにあいつらのほうが速い。隠れ家に逃げ込むどころではない、このままでは追いつかれる。


「ぜひっ! ぜひっ!」


 息を切らしながら必死に走る。あといくつか部屋をすぎればメイン通りまで――というところで、前方から飛び出してくる影がある。青いゴブリンだ。


「マジかっ!」


(先回りされた?)

 いや、石を削った棍棒のようなものを持っている。三匹とは別の個体だ、他にも仲間がいたのか。


「キャキャッ!」


 立ちはだかった青ゴブリンが石を削った棍棒らしきものを振り上げて威嚇する。ここは通さないと言わんばかりに。


「くそっ!」


 愁は裸足で地面にブレーキをかけながら、両手の指先から燃える玉を放つ。二つの赤い繭が地面で爆ぜ、怯んだ青ゴブリンに「ふっ!」と菌糸刀で斬りかかる。

 白い刀身は棍棒で阻まれ、それを両断しながらも青ゴブリンの肩を浅く薙ぐに留まる。青ゴブリンがよろめき、それでも半分になった棍棒を手に飛びかかってくる。


「邪魔だっ!」


 左手で菌糸盾を出し、殴るようにはじき飛ばす。地面に転がった青ゴブリンに今度は愁が飛びかかり、胸に菌糸刀を突き刺す。

 低い声でうめき、それでも愁へ向かって憎悪のこもった目を向け、手を伸ばす青ゴブリン。愁は刀をねじり、そのまま横に斬り裂く。それでようやく青ゴブリンは事切れる。


「アベシュー! きてるりす!」

「わかってる!」


 振り返ると三匹の姿が見える。甲高く鳴きながら飛び跳ねるようにして迫ってくる。

(ダメだ、逃げきれない)

 愁は荒い息を整える。震える足を踏みしめて、刀と盾で身構える。

 青二匹と赤一匹は歩を緩め、ぺたぺたと歩きながら十メートルまで近づいてくる。

 武器を手に並び立ち、口の端を歪め、「キキッ」「キキッ」と短く言葉にならない声を交わし合う。


「アベシュー、あたいも――」

「俺がやる。タミコは離れてろ」


 不安げな耳を伏せるタミコを指でそっとつつき、肩から下りさせる。

 と、ゴブリンたちが足を止める。あと五メートルほどのところで。

 そのサル顔から表情がなくなっている。イタズラがバレた子どものように、身を縮めてあとずさる。

 つられて愁も振り返る。そして、思考が停止する。


「……アベシュー、もうダメりす……」


 タミコが震える声でそうつぶやく。


「キュウッ! キュウッ!」


 ゴブリンたちの怯えた声が遠ざかっていく。逃げたのだろうが、振り返って確認することはできない。


 目の前に、真っ白な長身の影が立っている。


 初めて見る。だが、その名前はタミコから聞いているし、すぐにこいつがそれだと愁は気づく。


 ――レイスだ。推定レベル、50以上。

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