4:菌糸玉

 四つん這いで隠れ家の穴をくぐり、ほっと一息つく二人。ここまでくれば大型獣は入ってこれない。

 今日も生きてここに戻ることができた。


「にしても……わかってたけどさあ、前途多難だなあ……」


 そもそもの話、最初の町からスタートしたばかりの勇者がいきなり魔王の城に放り込まれたようなシチュエーションなのだ。甘くないのはもとより覚悟していたが――。

 今日で仕留めたゴーストウルフの数は八匹目だ。タミコの聴覚索敵を頼りに、なるべく身体の小さい個体を選り好みして狩ってきたが、それでもそれらのすべてが文字どおり、身を削った綱渡りの勝利だった。


 これまでのレベルアップで、愁の身体能力は明らかに向上してきている。

 垂直ジャンプすれば身長くらい跳び上がれるし、石も握力だけで砕けるし、短距離走も五輪選手に肉薄できるだろう。

 パワーもスピードも、スタミナも反射神経も。最初の頃とはくらべものにならない。レベルアップの恩恵は大きい。


 とはいえ、だからといってすぐさま獣と対等に渡り合えるわけではない。成長につれてその差は多少縮まってきているが、まだまだ埋めがたいものがある。レベルも、経験も。


「で、結局……綱渡りの辛勝に持ってくしかないって、マジできついよな……」


 がむしゃらに刀を振っても当たらない、刺さらない、倒せない。なので、肉を食わせて骨を断つ。再生菌糸の能力を当てにした捨て身の戦法のみが、愁に勝機をもたらす唯一の手段になっている。はっきり言って怖い痛いつらいでたまらない。それを毎日というのはどうしてもメンタル的に厳しいので、だいたい二日に一度くらいのペースにしている。


「それにこれも……いつまでやってられるかもわかんないし……」


 再生菌糸の能力についても、そのポテンシャルが未知数なのが怖い。今のところはどんな深手でもことごとく治ってきたが、いつどんな条件でハシゴを外されるか。頭を噛み砕かれたり、首から上を噛みちぎられたりした場合でも、果たして再生能力は機能するのか。こればかりは自分で試すわけにもいかない。失敗即死亡だ。


「しょうがないりす。アベシューはまだまだよわよわりす。レベル7てwwwクソザッコwwwてきな」

「お前はレベルいくつなんだよ?」

「カーチャンいわく、ゴーストウルフはレベル10くらいのつよさらしいりす。むしろよわよわのアベシューがかててるのは、なおるチートカビがあればこそりす。もしもこのへんにオーガやオルトロスしかいなかったら、アベシューはとっくのむかしにうんこりす」

「で、お前はいくつなんだよ?」


 あくまで答えないタミコ。腹立ちまぎれにこしょこしょしてやる。本人は仕置とは受けとらずに「おお! くるしゅうない、くるしゅうない!」とうっとりしている。


 わかっている。あくまで自分が今も生き残れていることは、この隠れ家やチート気味な菌能など(言いたくないがタミコの存在も)、数々の幸運に支えられているおかげだ。まあ、こんなところに一人放り込まれていることが最大の不幸であるわけだが。

 そして最悪なことに――現在の最大のライバルであるゴーストウルフが、このあたりでは最下層のモンスターである、という信じたくないタミコ情報もあったりする。


 この階層の少し離れたところには、オーガやオルトロス、レイスやオニムカデなど、レベル50前後という(愁にとって)ラスボス級のメトロ獣がうようよしている。そいつらから見ればゴーストウルフは子犬も同然、愁や他の小動物と同じくこの付近の生態系の底辺に近い存在なわけだ。


 そういった超強キャラがご近所にはびこっているこのオオツカメトロ五十階。今のところタミコの索敵と「あまり隠れ家から離れない」というリスクヘッジもあって遭遇は免れているが、万が一にもそんなことが起これば即詰みだ。


「……とりあえず、まずはレベル10以上をめざすしかないんだけど……」


 他の獲物を狩ることも試してきた。ネズミやモグラ、コオロギやゴキブリといった小動物も厳密にはメトロ獣であり、胞子嚢を持っている。オオカミにくらべればまったくもって安全な獲物だ。


 だが、ネズミを十匹ほど狩ってみても、レベルは一つも上がらなかった。タミコ曰く、胞子嚢の質は獣としての強さと比例するらしく、狩人のレベルを上げるには良質な、より強い獣の胞子嚢が必要らしい。ザコモンスターをいくら狩っても(腹は膨れても)成長は難しいということだ。


「やっぱり……このまま格上のオオカミで稼いでいくしかないんかな……」


 とはいえ、それも言うは易しだ。

 あと何十回肉を食わせ続ければいいのか。死ぬほどの苦痛は耐えるとしても、再生菌糸も及ばない「本当の致命傷」の事故をいつまで回避し続けられるだろうか。

 それに、レベル5までは一匹で一つ上がっていたが、6からはそのペースに陰りが出てきた。ゲームと同じようなシステムなら、上に行くにつれて上がりにくくなっていくということだろう。ますます気が遠くなっていく思いだ。


「もう痛いのやだ……早く地上に出たい……」


 ラーメン食べたい。スマホで動画見たい。

 マンガ読みたい。ネコカフェ行きたい。

 もはや叶わないかもしれない夢だと思うと、余計に気持ちが落ちていく。


「アベシュー、なやむのはいったんやめるりす。せっかくのほうしのうがいたむりす」

「……そうだね、タミコ。腹が減るとネガティブになってダメだね」


 とりあえず腹を膨らまそう。レベルアップしてくれればまた希望が出てくる。

 いただきます、と二人で手を合わせ、正座して胞子嚢を食べる。


 どんなにまずい食事でも、腹の中に栄養を入れるという行為は気力を回復させてくれる。ネガティブに偏りがちな精神をほぐしてくれる。

 一つ目を食べ終えてもレベルアップはしない。ちょっとがっかり。

 ――と、タミコのお残しの分を食べ終えると、身体に異変が起こる。


「うおっ……」


 例のレベルアップかと思いきや、背中が熱くなってくる。背筋というか背骨というか、じゅわっと熱湯を流し込まれたみたいにカーッとしてくる。マジか、毒でも入ってんのか、などと思ったとたん、熱は嘘のように引いていき、なにごともなかったかのように元通りになる。


「……なんだ、今の?」

「どうしたりすか?」

「ねえタミコ。なんか一瞬だけ背中が熱くなったんだけど、なんだったんだろう?」

「ほえっ!? マジりすか? せなかアツアツは、あたらしいきんのうゲットのあいずりす!」

「えっ、マジで!? 別のスキル出せるようになったの!?」


 にわかに期待感であふれる隠れ家。


「……で? どうすりゃいいの?」


 新しい能力を授かった。としても、使いかたがわからない。


「とりあえずだしてみるといいりす」

「どうやって?」

「あたらしいスキルでろでろってねんじるりす。きんしとうをだしたときみたいに」

「なるほど、やってみる」


 てのひらを上向け、目を凝らす。

(出ろ出ろ――俺の新しいスキル出ろ出ろ――)

(ささやき――祈り――詠唱――念じるりす!)

 勢い余ってタミコ語になってしまったが、しゅるしゅると菌糸が生じ、形をなしていく。


「うおお! 出た、出たよタミコ!」

「きゃーきゃー! アベシューのあたらしいきんのうりす!」


 二人して大はしゃぎ。嬉しさを全身で表現する青年とリスの適当ダンス。

 新能力発現のカタルシスをじゅうぶん味わったあとで、愁はとたんに冷静になる。それはてのひらにくっついたままだ。


「……んで、これはどういう効果なんかね?」


 よく観察してみる。

 菌糸刀とはまったく違う。楕円体の糸の塊――つまり繭のような形をしている。長径で三・四センチくらいだ。

 糸は血のように真っ赤で、その中心が白く模様のようになっている。模様というかマークというか。水滴のようにも、ヒトダマのようにも見える


「きんしだまりすね」

「きんしだま? 菌糸でできた糸玉?」

「そうりす。きんしだまのきんのうは、きほんはぶつけるかたべるかたべさせるかって、カーチャンがいってたりす」

「なるほど」


 ぶつけるか、食べるか、食べさせるか。

 なんとなくだが、これは食べてはいけないものだというのは本能的に察している。この真っ赤でちっぽけな球体から、なにか危険な気配を感じることができる。

 となると、ぶつけるか食べさせるかだ。

 食べさせる――それは敵になのか、あるいは味方になのか。要は「食べた者にいい効果を与えるか、悪い効果を与えるか」という違いのはずなので、それならまずは他のネズミなどで実験したい。

 ということで、最初に壁にぶつけて試してみる。


「タミコ、離れてて」


 念のためタミコを自分の後ろに下がらせてから、愁はそっと指で摘み、ぷちっととってみる。菌糸刀と違い、粘着力は強くない。


「行くよ」


 向かいの壁に向かって投げつける。玉が壁に当たった瞬間――ボゥッ! と火球が生じ、爆風と衝撃で壁を砕く。


「うわっ! うわっ!」


 玉のかけらがチロチロと燃えている。慌てて足で踏み消す。素足なのでめっちゃ熱い。タミコは後ろでキーキーと錯乱している。


「……燃える繭かよ……」


 愁は見た。壁にぶつかった瞬間、玉がボロッと崩れ、そして爆発的に燃えた。


「……タミコ……これは……?」

「……ぶつけるきんのうりすね……」


 ゲームで言うところの「火の魔法」ということか。火の玉をぶつける、火の初級魔法的な。


「……今さらだけど、菌能ってめちゃくちゃだな……」


 それを身体から出せる自分も大概だが。


「アベシューのだいさんのきんのう、そのなももえるたま!」

「まんまだな」

「これはきっと、ゴーストウルフにもきくりすよ!」


 確かに。もっと詳しく検証してみる必要があるが、うまくいけばこれは強力な飛び道具――いや兵器になる。トラップにも使えるかもしれない。ゴーストウルフとも有利に戦えるようになるはずだ。


「……そして……」


 それよりなにより。

 愁はぐっとてのひらを握りしめる。


「……これで、焼いた肉が食える!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る