第15話 喰われたのは……

 柔らかすぎるベッドで微睡んでいたクリスはノックの音で目を覚ました。


「休み中に失礼。領主のベッピーノだ」


 クリスは盛大に嫌そうな顔をしながらも念のために素早く包帯を目に巻き、少し高めの声で返事をした。


「はい。いかがされましたか?」


「目を患っておられるとお聞きしましてな。我が領地の治療師はなかなかの腕前でして、ぜひ治療を受けて頂きたいと思いまして」


「お気持ちは嬉しいのですが、この目は王都にいる治療師でないと治せないと言われております。長旅の疲れもありますので、今日はこのまま休ませて下さい」


 普段のクリスの声からは想像できない、どこか弱々しく、相手の慈悲にすがるような声。だが、その言葉を言っているクリスが一番のダメージを負っていた。


 なんで、こんな声でこんなことを言わないといけないんだ。


 自己嫌悪で顔を歪めるクリスに対して、ドアの向こうではベッピーノが意気揚々と声を大きくした。


「おぉ、それはいけません。このままでは王都に着くまでに倒れてしまいます。ここで治療をしましょう」


「クソッ、話が通じない人間もどきが」


 クリスが悪態をつくが小声だったためベッピーノには聞こえていない。クリスが再び弱々しい声で訴える。


「お手を煩わせるほどのことではございません。このまま一晩休めば大丈夫です。どうかお引き取り下さい」


「そうはいきません。助けが必要な女性に何もしないなど考えられません」


 ガチャガチャとドアノブを回す音がするが、鍵がかかっているためドアは開かない。


「鍵を開けなさい。目を治療しましょう」


「いいえ、結構です」


 あまりの強引さにクリスがきっぱりと断る。すると鍵を差し込む音がした。


「ここまでクズだとはな」


 クリスは胸の前に手を置くと微かに魔力を流した。




 椅子に座ったままジワジワとコンシリアに迫られているルドは打開策を求めて視線を彷徨わしていた。

 しかし、周囲ではコンシリアとルドがいかにお似合いか。そこから勝手に話が盛り上がり、結婚式から将来の生活へと話題が飛躍していた。


 しかも、その話を盛り上げているのはコンシリアの周囲にいる少女たちだった。

 地味な顔と衣装の少女たちはコンシリアの引き立て役として集められたのだが、ルドはそのことに気付いていない。どうにか無表情を維持しつつ逃げ道を探すのに必死なのだ。


 ところが、宙を泳いでいたルドの視線が突然止まった。そして椅子を倒す勢いで立ち上がると、一点を見つめたまま固まった。


「キャッ!」


「いかがされました!?」


 前触れのない唐突なルドの行動に、明るく華やかだった広間が一瞬で静かになる。少女の中の一人が恐る恐るルドに訊ねた。


「あの、なにかお気に触ることがありま……」


 ルドは少女の言葉を遮るように走り出した。




 ベッピーノが鍵を開けてクリスの部屋に入ってきた。目に包帯を巻いたクリスはベッドの端に腰かけ、寝間着姿のまま迎えた。とはいえ目は見えないため音からの推測になる。


 聞こえてきた足音は二人分。ベッピーノと治療師だろう。


 予想しながらクリスは背筋を伸ばして凛とした声で足音がする方に言った。


「拒否をしている女性の部屋に入ることの意味を理解しておりますか? すぐに出て行けば、このことはなかったことにしましょう」


 クリスの訴えを鼻で笑ったような音がした。


「っと、失礼。目が治れば問題ありません。それどころか私は感謝されるでしょう。長旅で倒れかけていたところを助けたうえに、目の治療までするのですから。あなたの両親がどの程度の爵位の方かは知りませんが、中央に戻る足がかりぐらいにはなるでしょう」


 恩を売って中央に戻る伝手(つて)を作ることが目的か。


 クリスが考えていると、足音が少しずつ近づいてきた。クリスが耳をすまして音だけで慎重に距離を計る。

 そして、ここぞというところで寝間着の襟と首元にあるレースのリボンを握りしめ、力一杯引っ張りながら甲高い声で叫んだ。


「キャ―――――――――――!」


「師匠!」


 申し合わせていたかのようなタイミングでルドが部屋に飛び込んできた。


「え!? あ?」


 何が起きたのか理解できていないベッピーノがクリスとルドを交互に見る。すると、ルドがベッピーノを突き飛ばしてクリスに駆け寄った。


「大丈夫ですか!?」


 クリスが体を小さくして小刻みに震えながらルドの胸の中に顔を埋める。


「こ、この方が鍵を開けて無理やり……」


 そう言うとクリスは破けた襟を隠すように両手で覆った。我に返ったベッピーノが慌てて叫ぶ。


「勝手なことを言うな! 私は何もしていない!」


 ルドはクリスの体を労わるようにシーツで包むとベッピーノを睨んだ。


「では、その手に持っているものは何ですか?」


 ベッピーノはいつの間にか手の中にあったレースのリボンを見て、顔を青くしながら手を振った。


「し、知らない! 私は何もしていない!」


「では、この部屋にどうやって入ったのですか? この部屋には鍵をかけていましたけど」


 淡々としていながらも琥珀の瞳は明らかに怒りで燃えている。

 ベッピーノは剣先を喉元に突き付けられたような恐怖を感じながら首を左右に振った。


「い、いや、それは……あ、開けてくれたのだ。私が目を治療するために治療師を連れて来たと言ったら、開けて私を部屋に招いたのだ。な?」


 ベッピーノが後ろで控えていた治療師に同意を求める。このままでは同罪になると判断した治療師が激しく頭を縦に振った。

 男尊女卑が強いこの国では男性の意見が重要視され、女性は言葉にすることさえできない。男二人対小娘となれば、当然男の方の弁論が尊重されて、この騒ぎはなかったことになる。


 しかしクリスは涙声で途切れ途切れに訴えた。


「違います……私は王都の治療師でないと治療できないと言いましたのに……何度も言いましたのに……なのに、無理やり鍵を開けて……いきなり部屋に入って……」


 あとは言葉にならないとばかりに肩を震わして黙った。


「どういうことでしょうか?」


 ルドの詰問にベッピーノは顔を青くした。何を言っても通じそうにない。むしろ状況が悪い。


 これ以上、自分が不利にならないためにもベッピーノは頭をフル回転させながら、なるべく平静に言った。


「なにか勘違いされているようで……ま、まずはお休み下さい。一晩休めば誤解も解けるでしょう」


「いえ。その必要はありません」


 ルドがシーツに包んだクリスを抱き上げる。


「こんな危険な場所にお嬢様をお泊めするわけにはいきません。失礼します」


「へ? あ、いや、お待ち下さい!」


 ベッピーノが部屋を出たルドを追いかける。ルドは足を止めると、振り返ることなく断言した。


「これ以上、私たちに関わらないように。でなければ命の保証は出来ません」


 ベッピーノがヘタヘタとその場に座り込む。確かにルドは振り返らなかった。なのにベッピーノは琥珀の瞳に睨まれ、全身を剣で突き刺されたような幻覚を見た。


「は……はい……」


 腰が抜けたベッピーノは黙って二人を見送るしかなかった。

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