第16話 師匠心、弟子知らず
「気絶させない程度に殺気を放つとは、なかなか器用だな」
周囲に人がいないと判断したクリスが小声で話す。ルドは心配そうに腕の中にいるクリスに視線を落とした。
「本当に大丈夫ですか?」
「別に何もされていないし、指一本触れられていない」
「ですが……」
「私が演技をしていることぐらい、すぐに分かっただろ?」
「はい」
ルドが部屋に飛び込んだ時、どさくさに紛れてクリスは自分で引きちぎったレースのリボンをベッピーノに握らせていた。その瞬間を見ていたルドはすぐにクリスが自作自演していることに気付いたのだ。
それでも心配は心配である。
ルドの心情を読み取ったクリスは軽くため息を吐いた。
「そんなに心配するな。それより部屋に入った時に、師匠と呼んだだろ? なんのために呼び名を作ったんだ?」
「すみません、つい……」
「今回は気付かれなかったから良かったが、次からは気を付けろ」
「はい……」
目に包帯を巻いていても、ルドにないはずの犬耳と尻尾がしょぼんと垂れ下がっている幻が見える。完全に意気消沈したルドに対してクリスは淡々と話しを続けた。
「で、これからどうするんだ?」
誰にも止められることなく城から出ることは出来たが、問題は今夜の泊まる場所だ。
野宿になることも覚悟していたクリスに意外な提案がされる。
「夕方に立ち寄った酒屋が宿屋も兼ねていましたので、前金を払って部屋を確保しておきました」
「手際がいいな」
感心しているクリスにルドが困ったように笑った。
「いえ、実はベッピーノに関しては事前情報で良くない話を聞いていましたので、念のために対策していただけです」
ルドが魔法を使って夜空へ駆け出した。軽い一蹴りで屋根の上や木の枝を渡っていく。時々、周囲を確認しては小さな黒い物を落としているが、クリスは気付いていない。
「まあ、検問所の前で賊が出るような領地だからな」
クリスが呆れたように言ったが、それをルドが否定した。
「そのことですが、たぶんベッピーノによる自演だと思われます」
「自演? つまりワザと賊に私たちを襲わせたというのか?」
「はい。そもそも、この周辺に賊はいないそうです」
「では、私たちを襲ってきたのは何者なんだ?」
「この街の住人のようです。今日の昼に突然、人相が悪い男を集めていたそうですから。賃金が高額だったので、話題になって結構な人数が集まったそうです」
「そんなことに金をかけるとはな。何が目的だったんだ?」
「賊に襲われている私たちを助けて、見返りを求めようとしていたようです」
クリスはベッピーノが部屋に入って来た時のことを思い出した。
「そういえば中央に戻るとか、なんとか言っていたな」
「セルの親衛隊なら中央に知り合いがいると考えたようです。助けた見返りとして、中央に戻るための口利きをさせるのが目的だったのでしょう」
ルドは気付いていないが、ベッピーノは娘のコンシリアを使ってルドに取り入ろうともしていた。だが、それはルドの女性恐怖症によって成功する可能性は限りなくゼロに近かった。
夜風を受けてクリスが片目だけ包帯を少しずらす。眼前には満点の星空が広がっていた。
「自分で功績を上げて中央に戻るという考えはなかったのか」
「どういう状況でこの地に飛ばされたのか知りませんが、場合によっては功績だけでは戻れないこともありますからね」
「もしくは功績を上げるほどの実力がない、だな」
クリスが言った方が正解なのだが、ルドは苦笑いで流した。
「ですが、意外にも治安維持には力を入れているらしく、憲兵だけは優秀らしいのです」
クリスが検問所の手前で起きた出来事を思い出す。
「確かに対応は素早かったたな」
「はい。ベッピーノは自分が襲われることや、反乱が起きることをひどく警戒しているらしく、そちらの方面に関しては予算をしっかり使っているみたいです」
「賊のことといい、やけに詳しいな」
クリスの指摘にルドが照れたように笑う。
「酒屋の主人から軽く聞いただけですけど」
「ただの休憩ではなかったということか」
見抜けなかったことにクリスが拗ねたように顔を背ける。
「情報収集は大切なことですから」
戦場では……という声が聞こえた気がした。思わず顔を上げると、そこにはクリスが知らない表情をした
クリスは無言で包帯を戻すと、そのまま黙った。
酒屋に着いたルドは裏口から主人に声をかけて部屋まで移動した。その時にさりげなく銀貨を渡すと、主人は満面の笑顔で頷いた。
「朝までゆっくり休みな。憲兵が来たら追い返しとくからさ」
「ありがとうございます」
人たらしか? どうやれば、そこまで人を動かせるんだ?
クリスの疑問をよそにルドは部屋に移動した。
綺麗なシーツが敷かれたベッドが二つと、ベッドサイドテーブルとランプがあるだけの小さな部屋だった。そのぶん掃除はしっかりされており、埃やゴミなどなく管理が行き届いている。
ルドはクリスをベッドに座らせると、すぐに隠匿の魔法をかけた。
「包帯を外して大丈夫ですよ」
クリスが包帯を外すと、ルドが部屋の中を確認しながら窓やドアなど人が入れる場所に魔法をかけていた。
「何をしているんだ?」
「ドアや窓の鍵を壊して侵入してくる可能性もありますから、その時は魔法が発動して相手を捕らえるような仕掛けを作っています。あと壁は強化魔法をかけて壊せないようにしておきます」
「相変わらずだな」
クリスが軽く欠伸をする。
「自分は見張りをしますので、先にお休み下さい」
「お前は休まないのか?」
「自分は部屋の外で見張りをしていますから」
クリスが顔を歪める。
「お前なぁ、ここは普通の宿だろ? それなのに、そんなことをしてみろ。悪目立ちするうえに、この部屋に何か大切なものがある、とアピールしているようなものだぞ」
「ですが……」
クリスが立ちあがってルドの襟首を掴むと引きずるように歩き出した。ルドの力であれば振り切ることも出来るのだが、されるがままズルズルと引っ張られている。
「とにかく、お前も休め」
クリスはそのままベッドにルドを放り投げようとしたが、最後の最後でルドが抵抗した。
「それは出来ません」
「いいか……あっ」
体重をかけて引っ張っていたため、ルドが突然止まったことでクリスのバランスが崩れた。
「危ない!」
ルドがクリスの背中に手を回すと、そのまま体を反転させて床に倒れかけていたクリスをベッドの上に寝かせた。
「ふぅ、大丈夫で……」
ルドが言いかけて言葉を止める。丸くなった深緑の瞳に琥珀の瞳が写る。お互いの息がかかりそうなほど距離が近い。
時が止まったのかと思うほどの静寂が包む。
そこにクリスの口が動いた。
「さ……」
「さ?」
ルドが首を傾げる。
「さっさと退け!」
言い終ると同時にクリスがルドの腹を蹴った。
「グッ……」
ルドがよろよろと立ち上がる。
「もういい! 好きにしろ!」
そう叫ぶとクリスはベッドに潜り込んだ。
「は、はい。すみません」
ルドは謝りながらベッドから下りると、罠を確認するために部屋の中をもう一度見て回った。
一方のクリスはベッドの中で丸くなる。
くそっ! なんなんだ!
心臓がバクバクとうるさい。さっきまでは逃げることに集中していたせいか、横抱きで移動しても何も思わなかった。だが今頃になって顔が赤くなっていくのを感じる。
寝るぞ!
クリスは心の中で宣言すると、強く目を閉じた。脳裏に先ほどの眼前に迫ったルドの顔がよみがえる。
まっすぐ見つめてくる強く澄んだ琥珀の瞳。男らしい精悍な顔。自分の体を支える逞しい腕。
その中で襟足から伸びる長い赤髪が自分の左頬に触れていた。
そのことを思い出し、無意識に手が左頬に伸びかけたところでクリスが我に返る。
「あぁ! くそっ!」
クリスは悪態をつくと無理やり眠りについた。
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