第5話 リミニ領

 ルドは横目で背後から迫って来る馬との距離を計った。馬が走る速度は追っ手の方が早いため、徐々に距離が短くなっていく。


 周囲に人がいないことを確認すると、ルドは懐から小さな玉を後方に向けて投げた。激しい破裂音とともに黒煙が上がり周囲が見えなくなる。

 煙の中で馬の鳴き声と混乱した声が響く。馬は音に敏感な生き物のため慣れない音に混乱したのだろう。


 だがルドが乗っている馬も例外ではない。何事かと暴れそうになる馬をルドがなだめながら走らせる。クリスはルドが抱きしめていなければ落馬していたぐらいであった。


 喧騒の中、ルドが魔法を詠唱する。


『幻影よ! 走れ!』


 ルドは煙に紛れて道を外れると、森の中へと馬を誘導した。しかし、今まで走っていた道にも暴れようとする馬をなだめながら走っていくルドの姿がある。


 クリスがその姿を見ていると馬が森の中に入った。かろうじて獣道といえる道を馬が走っていく。


「師匠、少し離しますね」


 クリスの腰からルドの手が消える。そのままルドは馬を操作しながらマントを外すと裏表を逆にして装着した。それだけで真っ白だったマントがこげ茶色に変わる。


 クリスがその様子を見ていると、道が悪いため馬が大きく揺れた。


「クッ……」


 バランスを崩しかけたクリスをルドが背後から支える。


「このまま森を越えますので、しばらく我慢して下さい」


 クリスが無言で頷く。ルドは先ほど自分が言った言葉を思い出した。


「もう声を出して大丈夫ですよ。追手は幻影の方について行ったみたいですので」


「足が速いヤツらだな」


「この森を越えるために速さより力強さを重視して馬を選んだので、追いつかれるのは分かっていました」


「そもそも、この道でリミニ領まで行けるのか?」


 草が左右に分かれているだけの獣道とさえ言えるのか怪しい場所を馬が進んでいく。


「人は滅多に通らない抜け道ですが、方向は合っているので大丈夫です。目立たないようにマントの色は変えましたし、このまま森を抜けられるでしょう」


 悪目立ちしていた白色のマントは周囲の木々と似たこげ茶色になっており、森に馴染んでいる。


 クリスは感心したように言った。


「なかなか便利な魔法があるんだな」


 その言葉にルドが琥珀の瞳を伏せる。


「戦場で必要なだけです」


 いつもより数段落ちた声にクリスが振り返る。するとルドが白い布の下でニコリと笑顔を作った。


「でも師匠を守ることに役立ったので良かったです」


 いつもの人懐っこい笑顔とは違い、始めて見たどこか寂しそうな笑顔にクリスはかける言葉が見つからず、そのまま前を向いた。




 足場が悪い獣道だったため移動速度は落ちたが、陽が傾きかけた頃には森を抜けた。枯草が覆う土地の先に頑丈そうな城壁に囲まれた大きな街がある。


 ルドがクリスに声をかけた。


「あそこがリミニ領の領主が住んでいるリミニ街です。今晩はあそこに泊まります」


「……そうか」


 どこか疲れた様子のクリスにルドが謝る。


「すみません。もう少し休憩を取れば良かったのですが、それだと日が暮れていたかもしれないので」


「私のことは気にするな。そもそも休憩できる場所がなかっただろ」


 木々が茂る森の中では開けた場所もなく、とにかく進むしかなかった。


「とにかく、あと少しですので。お前も頑張ってくれよ」


 ルドの声に応えるように馬が速度を上げる。城門の前に到着すると門番に止められた。


「馬から降りろ! 通行証と身分証を見せろ!」


 ルドが全身を覆っているこげ茶色のマントを背中に流す。マントの下から現れた白い魔法騎士団の正装服に門番が固まった。


「降りる時間も惜しいので馬上から失礼します。通行証です」


「は、はい! 失礼しました! どうぞ! お通り下さい!」


 通行証をロクに確認せずに門番がルドを馬ごと通す。クリスが呆れたように肩をすくめた。


「あれでよく門番が務まるな。それとも、その服の威力がすごいのか?」


「そこは深く考えないで下さい。このまま中央にある城へ行きま……」


 ルドの言葉が終わる前に建物が倒壊するような音が響いた。ルドが思わず馬を止めて音がした方向を見る。すると入って来た城門より少し南側で土砂煙が上がっていた。それから人々の叫び声と怒鳴り声が響いてきた。


「修復中の城壁が崩れたぞ!」


「下敷きになっている人がいるか!?」


「作業していたヤツが何人かいたはずだ!」


 男たちを中心に人々が集まる。


「ルド、崩れた所に行くぞ」


 クリスは当然のように言ったがルドは動かない。クリスが訝しむようにルドを見た。


「どうした?」


「……今、師匠は狙われています。あのように不特定多数の人が集まる中へ行くのは危険です」


 クリスがルドの襟首を掴んで顔を近づけた。


「お前はそれでも治療師か! 目の前の助けられる命より、あるか、ないか分からない危険を優先するのか!?」


 ルドが琥珀の瞳を丸くする。


「お前はここにいろ! 私一人で行く!」


 威勢は良いが実際に一人で馬から降りるのは難しいらしい。クリスがどうにか降りようとモゾモゾとしていると、ルドが手を出して止めた。


「わかりました。自分も行きます」


 ルドが馬を走らせて倒壊現場に到着する。ルドは先に馬から降りると手を貸してクリスを下ろした。


「怪我人はどこだ!?」


 現場に走っていくクリスをルドが追いかける。

 数人が振り返り、クリスの服を見て喜びの声を上げた。


「治療師か! 助かった!」


「こっちだ! こっちに来てくれ!」


「いや! こっちが先だ!」


「なんだと!」


 言い争いが始まりそうな雰囲気にクリスが怒鳴る。


「喧嘩をしている場合ではないだろ! まとめて診るから、ここに連れて来い! 動かせそうになければ、無理に動かすな! 怪我が酷い者から治療をしていく!」


「わ、わかった」


 手足から血を流している人や頭から血を流している人が集まってくる。人数はそんなに多くなく十人もいないぐらいだ。


 クリスが頭から血を流している人を診ようとして声をかけられた。


「ここの管理を任されている指揮隊長のジョコンド・バッチだ。見かけない顔だが、どこの治療師だ?」


 質問に答えようとしたクリスをルドが止める。


「ワケあって王都に行く途中です。緊急事態ということで治療を許可しました」


 魔法騎士団の正装服を着ているルドを見てジョコンドが慌てて敬礼をする。


「失礼しました!」


「治療してもいいのか?」


 クリスの問いにジョコンドは何度も頷いた。魔法騎士団員と共に行動している、というだけで身元や身分は保証される。


「はい! ぜひお願いします!」


 クリスが頭から血を流している人に近づき、治療を開始する。その様子を見ながらルドはジョコンドに訊ねた。


「瓦礫の下敷きになっている人はいませんか?」


「はい! 片付けをしている途中でしたので、倒壊した城壁の下には誰もおりませんでした」


「では怪我人はこれで全員ですか?」


「そうだと思います!」


 ジョコンドが十歳以上年下のルドにハキハキと答える。


「おい!」


 クリスに呼ばれてルドが走った。


「はい」


 駆け寄ってきたルドにクリスが指示を出す。


「怪我の重症度が高い順に治療をしていけ。二人で治療すれば、すぐに終わる」


「……自分一人で治療をしてもいいのですか?」


「してみろ。一人での治療が難しい怪我だと判断したら私を呼べ」


「はい」


 ルドは並んだ怪我人をざっと見渡した。同時に全員がサッと視線を逸らす。怪我は痛いし治療はしてほしいが魔法騎士団の正装服の威圧感はそれを越えている。


 それも予想内の反応だったため、ルドは淡々と自分のするべきことをすることにした。

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