第2話 急襲

 朝食を食べ終えたクリスは治療師の最高位を表す白いストラを首にかけると治療院研究所へ歩いて向かった。

 クリスの屋敷は街外れにあるため道を歩いていても人と出会うことは滅多にない。


 クリスがいつもと同じ人気がない静かな道を歩いていると、胸を押さえて屈んでいる女性がいた。


「この道に人がいるとは珍しいな」


 クリスが小走りで女性に近づく。


「どうした? 胸が苦しいのか?」


 長い髪に隠れて女性の表情は見えない。クリスが女性を診るために屈もうとした時、胸がチリッと痛んだ。


「なんだ?」


 屈みかけていた足を止めて体を起こすと、目の前を何かが横切って地面に刺さった。


「……吹き矢か?」


 立ち上がらなければクリスの肩か腕に刺さっていた。クリスがすぐに周囲を警戒する。そこに草むらに隠れていた男たちが出てきて、素早く取り囲まれた。


「何か用か?」


 鋭い目つきの男たちはどう見ても一般市民ではない。クリスはさり気ない動作で自分の影を踵で二回蹴った。しかし何も起きない。


 クリスは念のため先ほどよりゆっくりと自分の影を二回蹴った。いつもなら、これでカリストが影を通して動きを起こすのだが変化はない。


 クリスは男たちを見回しながら自分の影を視界の端で確認した。影に変わった様子はないし、確実に影を二回蹴っている。それなのに影から反応がないということは初めてだった。


 平静を装いながらもクリスはどう対応するか考えた。胸を押さえていた女性もいつの間にか立ち上がってクリスにナイフを向けている。


「随分と計画的だな」


 抵抗する気がないことを示すためにクリスがゆっくりと両手を挙げる。そこに馬が駆ける音が聞こえてきた。


 クリスを囲んでいた男たちが音がする方に武器を構える。そこに火をまとった竜巻が地面を削りながら飛び込んできた。


「避けろ!」


 男たちが散り散りに逃げだす中、男の一人がクリスを連れて逃げようと手を伸ばしてきた。


『風よ! すべてを斬り裂け!』


 聞こえてきた魔法の詠唱に男が手を素早く引っ込める。二人の間を裂くように風の刃が通り抜けた。そのまま馬が男を踏みつける勢いで突進してくる。


 男が舌打ちをしながら後ろに下がると同時にクリスの眼前を白いマントが塞ぎ、その中から甲冑を着けた腕が伸びてきた。


「失礼します」


 クリスの足が地面から離れ、速度を落とすことなく走る馬の上にふわりと乗せられた。

 カチャカチャと甲冑が擦れる音がする。よく見れば肘から手先と膝から足先のみ白銀に輝く甲冑を装着しており、顔は目から下を隠すように白い布で覆われていた。


 突然のことだったがクリスは動じる様子なく甲冑男に訊ねた。


「なにが起きている?」


 甲冑男はクリスを守るように懐に密着させると、周囲を警戒しながら答えた。


「後で説明します。舌を噛むかもしれませんので、しゃべらないで下さい」


 甲冑男の琥珀の瞳が鋭く光り、短い赤髪が燃えるように逆立っている。群れを守ろうとしている野生の狼のような、鬼気迫る雰囲気だ。

 どこか世間ズレしているクリスでも緊急事態であることは理解できたので仕方なく黙った。そこにクリスの茶髪を一つに纏めている質素な紐が切れる。


 クリスが慌てて屋敷の方を見ると黒い煙が上がっていた。


「待て!」


 嫌な予感がクリスの頭をよぎった。屋敷に何か起きていたなら影を蹴ってもカリストが反応しなかったのも頷ける。


 焦るクリスを落ち着かせるように甲冑男が声をかけた。


「大丈夫です。屋敷にはセルの親衛隊が到着していますから。それより、ご自身の身を案じて下さい」


「だから何が起き……」


 甲冑男がクリスの全身を隠すように白いマントを被せる。


「このまま検問を突破します。落ちないように、しっかり自分に掴まっていて下さい」


 今から通過する検問所は他の検問所と比べて街の中心部から遠い場所にあるため規模は小さかった。それでも、そこから出入りする人はいて、旅人や馬車に乗った商人などが並んでいる。


 高い塀に囲まれた小さな入り口の前に立つ兵に向かって甲冑男が叫んだ。


「我は魔法騎士団、一番隊隊員である! 火急の要件にて検問を抜ける! 至急、道を開けよ!」


 魔法騎士団の証であり正装でもある白い騎士服と特徴的な甲冑姿に人々が慌てて道の端へと移動する。

 兵が入り口を塞いでいた木の柵を急いで上げて馬ごと走り抜けられるようにする。そこにクリスが乗っている馬が駆け抜けた。


 白いマントの隙間からクリスが外の様子を覗き見る。唖然とした顔でこちらを見ている人が多い中、こちらを鋭い目つきで睨んでいる人が何人かいた。




 検問を抜けた後も馬は速度を落とすことなく草原の中の道を走り続けた。たまに道を歩いている人がいるが、大抵の人は近づく前に馬の足音に気が付いて振り返り、馬の勢いに驚いて慌てて道の端に逃げていく。


 あとは馬車で移動しているため、こちらに気付かなかったり避けれなかったりする場合がある。その時はこちらが道の端へ移動してすり抜けていく。


 この頃にはクリスを隠していた白いマントは風に乗って甲冑男の背中に流れていた。その上を襟足だけ長く伸びた赤髪が波打っている。


 街から検問を通過する時よりかはクリスと密着していないが警戒は怠っていない。甲冑男は琥珀の瞳で常に周囲を睨みながら馬を巧みに操作して走らせた。


 馬車には乗り慣れているが単騎の馬に乗ったことがほとんどないクリスは徐々に疲労を感じていた。そのことを悟ったのか頭上から声がかかる。


「あの丘の上で休憩しますので、もう少し頑張って下さい」


 クリスが前を見ると真っ直ぐ伸びた道の先に小高い丘と目印のように一本の木が生えている。


「わかった」


 馬は上り坂でも強い足取りで速度を落とすことなく登り切った。

 丘の上に到着すると、甲冑男は周囲を警戒しながら軽い動きで馬から降りた。


「少しお待ち下さい」


 甲冑男は見える範囲に人がいないことを確認すると、クリスを馬に乗せたまま隠匿の魔法をかけた。木を中心にして地面に魔法陣が浮かび上がる。


「この中にいれば外から姿は見えませんので安心して休めます」


 そう言いながら甲冑男がクリスに手を差し出す。だがクリスは馬の鞍を持ったまま動かない。

 その様子に甲冑男はクリスの両脇の下に手を伸ばした。


「失礼します」


 幼子が抱っこされたような形で馬から降ろされたクリスはそのまま地面に座り込んだ。


「べ、別に腰が固まって動けなくなっていたわけではないぞ!」


 そう言いながらクリスが顔を逸らす。茶色の髪の隙間から見えた耳は赤くなっていた。


「はい」


 甲冑男はクリスから離れると、労わるように馬の首を撫でながら魔法で水を出した。馬は慣れた様子で空中に現れた水を飲んでいく。


 クリスはその様子を横目で見ながら訊ねた。


「で、なにが起きているんだ?」


「いや、自分も細かくは知らされていなのですが……」


 甲冑男が顔の下半分を覆っていた白い布を外した。その顔は精悍だが、大型犬のような人懐っこさがある。そして体は適度に鍛えられており、世間的には男前に分類されるだろう。


 そんな弟子ルドが、どこか困ったような表情でクリスに言った。


「それにしても、よく自分だと分かりましたね。誰か分からずに抵抗されるかと思いました」


 ルドの感心したような言葉にクリスが視線を背ける。


「魔力を探れば誰かはすぐに分かる。それより、この状況を説明をしろ」


「はい」


 ルドは観念したように頷くと、クリスと向かい合うように地面に腰を下ろした。

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