第3話

 夜中から降り出し、くるぶしあたりまで積もった雪で遊ぶ元気な声を聞きながらケイは教会の中で幼少の子どもたちの相手をしていた。

「見て見て!」

 その声に顔をあげれば、鼻と頰を赤くした男の子と女の子が小さな手に収まるくらいの雪だるまを差し出して満足そうに笑っていた。3段の雪だるまはいびつだが誇らしげに微笑んでいる。

 ケイはやれやれと肩をすくめながらふたりの頭をなでた。

「よくできてるな。でも、雪を中に持ちこむんじゃない」

 入り口の階段あたりに飾ってこい、と言うと、嬉しそうに返事をした子どもたちが花びらのような雪粒を散らして駆けて行く。それを白い息とともに見送ったケイは、ふと背中に刺さる視線に気づいて振り向いた。

 地下の居住空間へ続く扉が少しだけ開いている。その奥に銀色の髪がさっと消えていくのが見えた気がした。

 ――スヴェン?

 今朝になっても熱が下がらなかったため朝食と薬を置いて寝かせていたはずだが、賑やかな声につられて起きてきたのだろうか。

 そのまま出てこなかったあたり、自分の置かれている状況は理解しているらしい。

「神父さま、どうかしたの?」

 不思議そうな声に呼びかけられてそちらを向くと、絵本を抱えた少女が首をかしげていた。何でもない、と言うケイにひとつ目をぱちくりさせた少女は顔を輝かせて持っていた絵本を差し出してきた。

「ねえねえ、これ読んで!」

「ああ」

 すると、冬の時期にだけ活躍する小型の薪ストーブの周りにいた子どもたちが我先にと集まってくる。ケイは最年少の男の子を膝に乗せ、絵本を開いた。


 預かっていた子どもたちを親元へ返し、ケイはスヴェンの様子を見るついでに昼食の用意をするべく居住スペースの扉を開けた。しかし。

「スヴェン……?」

 部屋には誰もいなかった。

 暖炉の火がかすかな風に揺れていた。その風はクローゼットの裏から吹きこんできている。

 もしや、と覗けば、案の定クローゼットの裏にある扉が半開きになっていた。ケイは数瞬の思案のあと、ノブに手をかけて扉を開けた。

 そこは古い図書館のような空間だった。

 明かりは必要最低限だがワンルームの居住空間の数倍はあろうかという広さ。年月を重ねた書架が整然と天井を支えている。びっしりと並べられた本は端がほつれた古いものもあれば、新品同然のものもあった。

 勝手知ったるケイは書架の間を抜け、この空間で一番明るい場所を目指す。

 ランプの光を吸い取った銀髪がうっすらと光って見えた。

 使いこまれた椅子の上に膝立ちになり、様々な資料や書物が広げられたままの机に身を乗り出たスヴェンが手にしたペンダントをしげしげと眺めている。

 実際のチェスで用いられるよりも一回り小さい黒いキングの駒がつけられたペンダント。

 ケイは足音も立てずにスヴェンに近づき、それを後ろからひょいと取り上げた。

「あっ」

 驚きと少しの名残惜しさが混ざった声を漏らしたスヴェンが顔をあげた。わずかに見開かれた瞳と視線が交わる。隠しきれない好奇心がきらめいていた。

 すかさずスヴェンが尋ねてくる。

「それ、普通のペンダントじゃないよな? ペンダントの周りに赤い光と黒い光がふわふわしてるのが見える」

 きれいだ、と無邪気に笑ったスヴェンは周りを見渡した。

「それにここ、見たことない本がいっぱいある。すごいな」

 素直な感想を漏らす彼の全身から未知に対する興味と期待があふれている。

 ――まだまだ子どもだな。

 ケイは手の中のペンダントに目を落とす。

 夕日のような赤と夜闇のような黒い光の粒子がペンダントトップであるキングの駒のまわりに浮かんでは消える。これは常人には見えないもの。

 ――こいつも、曲がりなりにも神秘に属する者だということか。

 ケイは懐にペンダントをそっとしまい、机の上の資料を読み始めていたスヴェンをこちらに向かせた。銀色の前髪をかきあげて額に手を当てる。

「お前、自分が病み上がりだってことを忘れてないか?」

 ランプに照らされた顔色はだいぶ良くなっているが、手から感じる熱がまだ高いように思う。スヴェンが気分を害したように少しだけ頰を膨らませた。

「もう大丈夫だって」

「1日動けなかったやつが何を言う」

 うっとスヴェンが言葉につまる。目をそらした少年にため息をついて額から手を離し、乱れた前髪を整えてやる。

 裏を返せばたった1日でここまで回復したのは、ひとえにスヴェンに半分だけ流れる人外の血によるものだろう。だが、半分だけだ。

「休めるときに休んでおけ」

 わかったよ、と不服そうにそっぽを向くスヴェンを横目で見、ケイは少し考えてから口を開いた。

「お前の体調が戻ったら改めて書庫を案内しよう。ここにある知識はきっと役に立つ」

 弾かれたようにケイを見上げたスヴェンが嬉しそうに笑った。

「さて、遅くなったが昼食にしよう」

 促すと素直に後ろをついてきた。ふたつ分の足音が書架に吸い込まれていく。

「なあ。結局、あのペンダントって何なんだ?」

 少し高めの声が尋ねてくる。ケイは肩越しにスヴェンを振り返った。

「もうひとつの仕事道具さ」

「昼」から「夜」を隠すための仕事をするときに必要な大切なもの。

 いつか教えてやる、とケイはスヴェンの髪をなでた。

 知らなければならない。彼もまた「昼」と「夜」の狭間に生きねばならない者だから。


 教会に足を運べない信者たちの元を巡り終えて戻ってきたときにはすでに雪をかぶった山際が赤く染まり、藍色の天頂に星が散らばっていた。

 昼でも夜でもない、光と闇が混じりあうこの時間が一番心地いい。

 闇に生きる魔物でありながら光に生きる人間たちとともに過ごし、人間ひる魔物よるを殺させないために暗躍するケイにとっては。

 靴や裾についた雪を払って西日に照らされている教会の扉を開ける。ミサのときには長椅子の大半が埋まる室内も今はがらんとしていて寒い。

 その片隅にぽつんと立ったスヴェンが縦長の窓から外を眺めている。ひどく遠くを見つめる幼さを残した横顔に孤独の影が落ちている。柔らかいくせ毛が淡い橙に染まっていた。

「スヴェン」

 静かに呼びかければ彼はすぐにこちらを向いた。ケイ、とつぶやかれた呼気が白い。

「寒いだろ。夕食にしよう」

 うなずいたスヴェンがぱたぱたと駆け寄ってくると、スヴェンはふいにケイの手を取って年相応の笑顔で言った。

「ケイの手、すごく冷たい」

「雪の中を歩き回っていたからな」

 ケイは端的に答えて歩き出す。

 スヴェンの子どもらしからぬ手は温かかった。

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吸血鬼は宝石を匿う ソラ @nknt-knkt

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