第2話
思ったよりも少年の体は傷だらけだった。
脇腹の裂傷だけではない。腕や背中にも大小も時期も様々な傷があり、彼の両手は年齢に不釣り合いなほど剣だこばかりが目立つ戦士のそれだった。
ケイの服を着せた少年に分厚い毛布をかけてそっと息をつく。
呼吸は先ほどよりも落ち着いているが、なかなか熱が引かない。時折うなされているような声をあげて眉根を寄せている。
――面倒な運命を背負ったな、こいつも。
この見た目以上に生きてしまっているケイにはわかってしまった。
少年と黒いスーツの吸血鬼たちとの関係も、彼がどんな存在なのかということも。
「……さむ、い……」
ふと小さな寝言が聞こえた。背を丸めて縮こまるように眠る少年の手が、かたかたと震えている。
そうは言われても、とケイは思う。手持ちの毛布はすべて出してしまったし、暖炉にも火を入れてある。
しばらく思案し、意味はないとわかりつつも着ていたカソックを毛布の上からかけてやった。
「少し待っててくれ」
くせのある柔らかそうな髪をそうっとなでてつぶやくと、ベッドを離れてキッチンへ向かった。
教会の地下に設けられた居住空間は簡素なキッチンと暖炉、ベッドがひとつ。協会へ続く扉とは反対側にもクローゼットで隠すようにあるもうひとつの扉。狭くもなく広くもないここは歴代の司祭に丁寧に使われた居心地のいいものだった。
簡単なスープとパンを用意していると、もぞ、とベッドで動く気配がする。
それに振り向くと目を覚ました少年がひじを支えに起き上がろうとしていた。
ケイはコンロの火を止めながら声をかける。
「まだ動くな。傷に
その言葉を聞かず、無理に上体を起こした少年は肩で息をしながら警戒するように視線をめぐらせる。
「ここは?」
彼の
「教会だ。俺はここの司祭のケイト。ケイでいい」
そう言いながら、食べやすいようにちぎったパンを器についだスープにひたす。湯気の立つスープと解熱剤、ボトルに入れた水を手に少年のもとへと近づく。
じり、と一定の距離を保つように後ずさった少年に内心で苦笑しながらベッドの脇にあるローテーブルにそれらを置いた。
今は刺激しないほうがいいだろう。そう判断したケイは、体がつらかったらスープを食べてから薬を飲むことと水分補給をしっかりすることを言いつける。
「俺は部屋の外にいるから、何かあったら呼べ」
ベッドを離れようとしたケイを「なあ」と少年が呼び止める。
「どうしてここまでしてくれたの?」
ぱっちりとした淡い黄緑の瞳が見つめてくる。その奥には怯えた色が見え隠れしていた。
「同族の匂いがしたから。半分だけな」
もう半分は人間の血の匂い。ケイはそう言っておもむろに振り返った。
「お前、ダンピールだろ」
はっと少年の目が見開かれ、うろたえる。
ダンピール。人間と吸血鬼の間に生まれる運命の子。
生まれながらに巨大な退魔の力を持ち、多くの場合は人間の社会からも吸血鬼の社会からも排斥されて世界の闇に消えていく。運よく生き残ったダンピールは強力な狩人になるとも凶悪な怪物になるともいう。
あの黒いスーツの男たちは、吸血鬼の社会に属するダンピール狩りだったというわけだ。
きっとこの少年は人間側からも同じように追い立てられ、ひとりで戦ってきたのだろう。
「同族……。吸血鬼ってことはあんたも」
オレを殺すのか、と少年はどこか諦めたように笑ってうつむいた。
それにこっそりため息をついたケイは少年と視線を合わせるためにベッドの脇に膝をついた。その銀色の頭に手を伸ばすと、びく、と肩を震わせて少年が目を固く閉じる。
「だったら最初から助けたりしない」
言いながら、ケイはぽんと手を頭に置いた。
「俺は吸血をしなくても生きていける類でな。そのせいで血を求める吸血鬼たちから追われている」
お前を追うダンピール狩りとはまた違った奴らだが、と表情を変えずに言う。驚いて顔をあげる少年をまっすぐに見据え、だから、と続けた。
「追われる者の気持ちは理解しているつもりだ」
信じられるのは自分しかいない一種の強迫観念。
誰かに頼ることも打ち明けることもできない孤独。
いつ殺されるかと怯えながら過ごす日々を、嫌というほど過ごさねばならない。
「東の果てにある島国に知り合いがいる。そこまで行くにはなかなか骨が折れるが、その分、安心はできるだろう」
緩くウェーブした髪をそっとなでる。
「よく頑張ったな」
少年の瞳から、ぽろ、と透明なしずくがこぼれた。
一度溢れ出したそれは止まることを知らず、ただただ頰をすべっていく。
柔らかい銀色をゆっくりとなで続けながら震える肩を抱き寄せた。まだまだ華奢で頼りない肩だ。
少年は漏れそうになる声を必死にかみ殺してケイの胸をすがった。とめどない涙が十字架に落ちてシャツを濡らす。
「お前、名前は?」
少年がいくらか落ち着いてきたのを見計らってケイは尋ねる。
「……スフェン。スフェン・アントネクス。でも、スヴェンでいい」
スフェン。そんな名前の宝石があったな、と薄い背中をあやすように叩きながら思った。
彼の瞳と同じ色をした希少な宝石。
「スヴェン、もう休め」
さすがに無理をしすぎだ、とスヴェンをベッドに横たえる。ほうっと漏れた息は無意識だろう。
なんとか呼吸を整えたスヴェンは力なく笑う。小さく「ありがとう」と言う声はかすれていた。
「いいから眠れ。それまでは傍にいるから」
かすかにうなずいたスヴェンのまぶたが落ちる。すぐに聞こえてきた寝息にこっそり胸をなでおろした。
青白い頰に残る涙の跡をそうっと指でぬぐい、ケイは静かにつぶやいた。
「強くなれよ」
降りかかる火の粉を払えるように。
誰かを守るために手を伸ばせるように。
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