第30話 感傷
日の落ち切った雨の街。雨の予報はないのに、曇り空が一層辺りを闇に染める。月すら覗けないその街に、赤黒いマフラーが靡いた。
裸足で踏みしめるレンガ。苔の生えたタイル。それらを眺めて、チェシが言った。
「臭い...」
「雨の街特有の匂いだよなぁ」
「中に居ると気づかないもんだな」
全員が鼻を抑えながら、ネヴィを先頭に馴染みの街を歩いて行く。廃れた道を突き進んで、ようやくの我が家。
「よおし。ここが、俺とヴィラモとチェシの家だ。でっかいだろ」
「森よりは小さい...」
「それと比べんなって」
日を跨いで、彼らは失せ物屋に向かった。
やたら風呂に入りたがらないチェシを追いかけまわしたり、棚に並ぶ酒の匂いに嘔吐くのを介抱してやったり、大変な一晩であった。
ニュースはどこも数日間の雨の話。予報外れに降りまくった雨は、街の政治組織であるカーチリパを非難することで終息へと向かっていた。街の者に解決策は思いつかなかった。
しかしヴィラモは確信していた。乖離はその謎を知っていると。
「なんで言い切れる?」
「先に言い切ったのはあの人だよ。“謎が解ける。そして新たな出会いが生まれる”ってな」
「たしかに…?」
記憶を遡ってもあまり思い出せない。ネヴィにはただただ酷い奴にしか見えていなかったから。それほど、チェシに、チェシの姿をしたオルヴァルドに同情していたのだ。
「あれ、死体?」
チェシがそっと指さしたのは、裏路地のゴミ箱に肩を預けた人影。
「見んな見んな。死体だろうが苦労人だろうが変わんねぇよ」
ヴィラモはチェシの目を隠し、先を進もうとした。しかしネヴィはその影をジッと見つめた。
「……ラドゥヌ...?」
「え...」
その名前に、ヴィラモが振り返った時には、ネヴィは駆け出していた。
裏路地のゴミ箱に寄りかかって座っていたのは、彼らの友人であった。友人という広範囲である中の、数少ない、交流が多かった奴。
機械弄りのラドゥヌは、いつも油臭くて、人としてだらしがない。けれど好きなことをして生きて来た人物だ。ヴィラモの料理をうんと褒めてやった。ネヴィと飲む酒が最高だと言ってやった。
ネヴィは泣くこともなく、その泥にまみれた冷たい亡骸を眺めた。
「…それ、知り合い?」
チェシは遺体を“それ”と言った。生きていない者は、物と判断したのだろう。ネヴィは唇を噛みしめた。
「あぁ。俺もヴィラモも仲が良かった。でも、それだけなんだ...」
ちょっと仲が良かっただけ。他と比べればその程度。悲しくないわけではないけれど、悲しいと言うには、この街はあまりに冷たかった。
「これが、死ぬってことなんだよな...」
ネヴィに死は訪れない。
死ぬ身体ではないから、何度でも自殺を繰り返す。死ぬ予感も感じないから、必死に死ぬ方法を探した。どうしたら死ぬのか。どうしたら痛くないのか。それを周りは非難して、ひたすら罵倒した。生きている者への冒涜だとか、命を授けて下さった神を侮辱しているだとか。
ネヴィにとっては、ラドゥヌだけが救いだった。
「へぇ、じゃあ俺も死にたくなったらオマエに聞くわ。やっぱ痛ぇのは嫌だからな。まぁやりてぇことやり切った後だぜ?何年後でも、オマエは生きてんだったら関係ねぇしな」
死ぬことも生きる事も興味のないラドゥヌだから、ネヴィは救われた。死ななければいけないと感じていた使命感を消してくれた。
「…遺体の回収は任せよう」
ネヴィはヴィラモたちに向き合って、その死体には触れなかった。
「…いいのか」
「あぁ。ラドゥヌの雨は、もう降っただろうし」
「そうか...」
そんなやり取りを、チェシは眺めて「変な人たち」とだけ呟いた。
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