第26話 本物
深い森が風に揺らされる。木陰の風は汗ばんだ肌には心地よいものだった。日照りから解放されたネヴィは帽子を脱いで空を見上げる。
木々の間から差す日が目を突き刺すように降り注ぐ。
ネヴィはどこか懐かしく感じた。エチャーリクロプに訪れる以前の記憶はない。けれどもしかしたら、こんな日差しを浴びる生活をしていたのかもしれない。
だんだん険しくなる獣道、剥き出しの根が階段のように連なった先に、大きな樹がそびえ立っていた。
チェシは身軽に根を駆けのぼり、己の帰還を告げるように大樹に寄り添った。
「でっかい樹だな...」
「スクニエフには自然の象徴として祀ってる大樹だな、枝に紐が下がってるだろ」
指し示す指の先をなぞって視線を移す。大樹の、いくつも分岐している中に、いくつか、人工的な紐が括りつけられていた。赤いもの、白いもの、酷く汚れてくすんだ色もある。
「ほんとだ」
「戦争で大分燃やされたんだが、残ってたんだな」
「守っていたからな」
緑の生い茂る、穏やかな自然を眺めるネヴィとヴィラモを嘲笑うかのような声で、チェシは告げた。
違和感を覚えたネヴィはハッとする。その間、チェシは背後の存在に気付き、振り向きがけに蹴り飛ばされた。
「チェシ!」
ネヴィは咄嗟に受け止めようと手を出したが、チェシは華麗に手前で着地をする。
チェシを蹴り飛ばした者は、チェシが先ほどまで居た幹元に立っていた。
彼は、チェシと変わらぬ身長で、シャツとズボン一枚のボロ布を纏い、頭には獣の被り物をしている。覗く黒い髪と、金色の瞳が見え隠れし、人の姿をしているというのに、まるで獰猛な獣に睨まれているように足が竦む感覚。
「やっと、戻って来たと思ったら...」
威圧感を放つ少年は、わなわなと震えながら口を開いた。
「人間連れて森に入るなんて...何やってんだよ!」
空気が震えるほどの大声に、どこかで鳥が羽ばたいた。溢れる怒りを抑えられない彼は、幹を何度も殴りつける。
「ずっと、待ってたのに!いつまでも、いつまでも、僕にずっと、まかせっきりで、ふざけんなよ!」
その声はまるで森を鼓舞させるように揺らした。木々の間から現れたのは、唸り声を上げる四足の獣。枝には小動物までも、ネヴィたちを睨んでいるように瞳がぎらついているようだ。
「な...なに...どうする...」
「逃げるのは無茶だろ...」
ネヴィとヴィラモは視線だけで見回しながら後退る。ヴィラモは咄嗟に、チェシを後ろに下がらせた。
獣の彼はそれを見て、ただ叫んだ。
「そこは僕の場所だったはずだ!!」
憤りと悲しみに似た何か。声を荒げて訴える姿は、子供の癇癪にも感じた。ネヴィもヴィラモも意味を知らずにただ、その声を聞いた。
樹を踏みつけ、殴り、ひたすら苛立ちを表に出して、拳を痛めても治まらない。今にも跳びかかろうとしていた獣たちも、思わずそちらを見上げる。
「ふざけるなよ!僕が居るはずだったのに!お前のわがままに付き合ったのに!わがまま聞いてやったのに!お前のせいで!」
獣の彼は、邪魔なものをはぎ取るように、その被り物を脱ぎ、チェシに向かって投げ捨てた。
覗いていた黒髪は、魔法が解けたように明るい色へと変化していった。根元から、徐々に鮮血を思わせるような赤色へ。それはまるでチェシと違わぬ髪色だった。
思わずネヴィは見比べた。
赤い髪を持つこと自体、珍しいものではない。スクニエフの人は茶から橙といった明るい色が多い。赤毛も珍しくはない。チェシの場合が、異様に明るく鮮明だということだけ。そんなことは珍しくもない。けれど、双子だと言われても納得できるほどに、その容姿すら似ていた。
「チ、チェシ...説明してくれ」
「するよ、ちゃんと」
チェシは獣に怯むことなくそちらへ歩み出した。被り物を拾い、大事そうにそっと抱えて、樹の幹を登る。登りながら、彼は告げた。
「俺はチェシではなくて、本物のチェシはコイツってこと」
彼の髪は、すっかり黒へと染まってしまった。露わになった赤い瞳も、今までのチェシのように隠す気はないようだ。獣の頭を被り、ネヴィとヴィラモを見下ろす彼は、チェシではなくなった。
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