第10話 愛
「ここは、誰の家なの?」
チェシは前を歩く少女に尋ねた。壁を見ても床を見ても、黒ずんでは苔まみれの家は人が住むことなど不可能だ。それなのに、少女は「大事な人のお家」と言った。
質問に答えない少女は、戸を開けて奥の部屋へ入って行った。
「答えろよな...」
呟きながら、チェシも奥の部屋へ入った。そこは他の部屋や廊下と同様に荒らされた状態の室内。ソファと机が並ぶばかりで、チェシはラクークの店にあった部屋を思い出した。言わば談話室という部屋。少女は机の下に落ちた写真立てを拾い、机に戻す。
少女はてきぱきと、柄の折れたホウキでガラス片を部屋の隅に寄せた。ただ眺めていたチェシに「ん」とちりとりを渡し、受け取ったチェシに指さしで移動させる。
「・・・あのさ、何してんの...」
「掃除」
「なんで僕が手伝わなきゃいけないんだよ」
「じゃあなんで入ってきたのよ」
「僕はお前に着いてきたんだけど」
少女はホウキを止めて、目を見開いた。
「なんでこの建物に入ったのか聞いたんだけど」
チェシは「あぁそっち」と呟いて続けた。
「気になったんだ。やけに古い匂いがして、ライトがちかちかしてたから」
「玄関の?交換しなきゃ」
少女は「ついでだから手伝って」とチェシを顎で使い、床を掃いてガラス片を隅に寄せた。一通り済ますと、駆け足で部屋を出た。チェシもそれに着いて行って、そのまま外へ。音楽の流れる街を、ただ少女の後ろを歩いた。
「・・・どこまで着いてくるの?」
「お前が何をしたいのか気になる」
「それ今じゃなきゃダメなの?急いでるんだけど」
「手伝えって言ったろ、さっき」
「そうだけど...」
音楽が流れる街で、2人は向き合った。少女の金髪が靡く様を、チェシはジッと目に焼き付けていた。
「その髪の色、綺麗だなって思った」
「は?」
「だから、見てたい」
「・・・キモいんだけど...」
少女は顔を歪めた。湿気の匂いが充満した暗い街で、きらきらと光を反射するものが一層美しく感じる。目を引くのだ。こんな街でも、美しいものがあるのだと。
チェシはそんな思考に犯されていた。
「ねぇ名前を知りたいんだけど」
「言わない」
「なんで。なんて呼んだらいい?」
「もう手伝わなくていいから帰った方が...」
少女は言葉を噤んだ。2人の目の前に作業着の大人が立ちふさがったのだ。
「君達、迷子かい?」
大人は真顔でそう尋ねた。少女は警戒するように睨みつけながらも、明確な焦りがあった。「えっと...」とどもる少女の腕を掴む大人。
「あ、あの!」
「とりあえず、雨が降るから乗ってね」
作業着の男は少女の腕を掴んだまま、大きなトラックの荷台に乗せた。その大人しい姿に首を傾げながら、チェシもされるがまま荷台に乗った。
重い扉が閉まる音と、真っ暗になった荷台内。少女は蹲った。
「雨が降るから、なんなの」
チェシは首を傾げて、少女に尋ねた。
「…このトラックは、雨が降る前に出歩いてる子供を回収するの」
「なんで?」
「雨が降るのに出歩いてるなんて普通じゃないから...」
「ふーん?」
動き出すトラック。揺れた車内で、少女は膝を抱えて座った。チェシもその隣に座った。少女は俯いたまま声をかけた。
「この街の人じゃないんだね」
暗い空間故か、表情伺えぬ声は今にも泣き出しそうだった。
「うん。スクニエフから来たんだ」
「何しに?」
「ターボラになりに」
「…へぇ。最低だね」
最低と、言われたのは始めてだった。チェシは言葉を失った。
ラクークに諭された。「ルオヴは人らしく生きるために飼われている」と。人らしく暮らしている彼らを理解しろ、というのだろう。
目の前の少女は、ルオヴを怖れるはずの住民なのに、最低だと言う。
「ルオヴに知り合いがいるの?」
チェシは尋ねた。目が慣れた視界で、少女がゆっくりと顔を上げるのが見えた。
「・・・いる」
「大事な人?」
「・・・家族だったの」
「近いね」
「でもいなくなった。その人の所為で、私は愛してもらえなくなった」
「誰に?」
「お母さん」
チェシはただ「そっか」と返事をした。お母さんに愛されるという意味を、理解できないのだ。
「この乗り物はどこに行くの?」
「施設。親に捨てられた子供が、死なないように管理されるところに行くの」
「・・・ターボラに成れる?」
「なれないと思う」
「それじゃ駄目だ」とチェシが立ち上がった。
「お前はいいの?」
「・・・お前って言うのやめて」
少女も立ち上がった。
「なんて呼んだらいい?僕はチェシ」
「フィウリよ。そう呼んで」
「・・・愛を与えられてるんだね」
「え?」
トラックが停まって、荷台が揺れる。チェシは倒れそうになる少女の手を取った。
「フィウリは、愛という意味だろう」
フィウリが転ばぬように、手を取り、マフラーで肩を支えてやるチェシは微笑んだ。
“愛”を意味する言葉であるフィウリ。エフのスペルは女性らしい名前には多い。スクニエフと似た形式であるエチャーリクロプの言語だからこそ、チェシにも分かる。
「良い名前だね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます