第9話 微笑み

「ダメだなあのガキ」


 ヴィラモは煙と共に吐き捨てた。街の喫煙所で、煙草を吸う彼の横でネヴィは「う~ん」と腕を組んだ。


「すーぐどっか行くガキ嫌い」

「ヴィラモは子供全般嫌いだろ」


 ネヴィは唸りながら首を傾げた。ヴィラモは煙草を口で咥えて、懐から輪になった糸を取り出して手渡した。


 ネヴィは糸を両手で組み取り、するりと幾何学的な模様を作る。それをヴィラモへ翳せば、指で糸を救い上げて、また違う形を作り出す。


「あいつ、俺のこと嫌いだよな」

「えっ、なんで」


 交互に糸を絡めていきながら、会話を続けた。


「態度があからさま過ぎる」

「まぁ、なんか全員にあんな態度な気がする…」

「腹立つな」


 ヴィラモからネヴィへ、数度目に託された時、その糸はするりと形を崩してしまった。「ミスった」と呟きながら糸を握った。


「チェシは、ターボラになってお母さんのとこ戻るって言ってたよ」

「ふ~ん」

「でも、まだ子供なのに、身分証も持たずに国を跨ぐなんて大変だよな」

「親からしたら子供のうちに捨てておきたがるんだよ」


 ガラスで出来た壁から開いた空を見つめるヴィラモ。家族に対して思うことがあるらしい彼。家族というものを嫌っているヴィラモには、チェシの立場が珍しいのかもしれない。


「…チェシは帰る気だよ」

「気が知れないね」


 ヴィラモはあくびをしながら、煙草をケースに押し入れて懐に仕舞って喫煙所を出た。ネヴィは後を追いながら尋ねた。


「ターボラについてはどうするんだ?」


 ヴィラモは振り向いた。髪をなびかせながら鼻で笑う。


「やる気あんなら教えるよ。俺のことが大嫌いでもね」

「あ、どこ行くんだよ」

「散歩~」


 ヴィラモは歩き去ってしまった。ネヴィは微かに音楽の流れる街のスピーカーに目を向けて「今から…?」と呟いた。


***


 ヴィラモは街灯にもたれかかり、空を見つめた。大して気持ちよくもない曇り空だ。3年ぶりに歩いた通り。人通りが多くて、朝は食材抱えた人で賑わい、昼は雑貨を眺める人で、夜はカフェでしっとりとした通り。


 いつも恋人と手を繋いで歩いていた。そこでヴィラモは思い出した。


「ネヴィに、“ルオヴになった”こと、言うの忘れてたな。」


 ぼうっと空を見つめて考えること数分。街の至るところにあるスピーカーから音楽が流れ始める。時刻を確認したヴィラモは、急ぎ足に屋根のある建物に急ぐ。


 入ったのはパン屋。良い香が漂い、パンを選ぶ婦人方で賑わっている。それをドアにもたれかかり眺めた。

 この店の中にも音楽は聞こえているから外に出る人はいない。外にも人がいる様子はない。だから入ってくる人もいない。


 街全体に流れる音楽は、雨が降る10分前から始まる。5分前になるとその音は大きく鳴り響く。


 人が死んだら雨が降るからこそ、人の死を管理しているこの街ではいつ降るかが明確なのだ。雨が降る日は一日中ラジオや端末やらで情報が流れるから知らない人はいない。


 雨を降らすために、犯罪者を殺す。寿命で死ぬ者は予測できる者にも酷い延命をすることもあるし、逆も然り。もうすぐ死ぬであろう人を殺すこともある。そういった汚れ役はルオヴの役目だし、政府はそれを必死に秘匿する。


 人が死んで雨が降る。

 そんな状況なら民衆が向ける雨への視線も冷たくなるもので、誰も雨の中歩こうとしない。雨に打たれようとも思わない。そんなことをしようものならそれは精神病者だと罵倒を受ける。社会的に死ぬ。だから街以外出身の人も雨には当たらない。

 元凶であろうルオヴでさえも、雨に打たれたいと思う者は滅多にいないのである。


 そんな思想を抱きながら雨が降る空を見上げた。


「俺の近くにもいたな、馬鹿が。」

「どんな馬鹿?」


 呟いたヴィラモの目の前に現れた、小さな顔。ボタンの瞳がずいと寄って、可愛らしい少女のような声で言った。それはぬいぐるみで、遅れた思考で腕からそれを着けた男を見て、声をあげた。


「パ、パペッタ!?」


 横にいたのは、両腕にぬいぐるみを生やした無表情の男。本名不詳で、愛称はパペッタ。発色の良い金髪をフードで隠し、腰にもいくつものぬいぐるみをぶら下げている。

 彼は3年前の戦争に駆り出されたルオヴだ。


「1年とはいかないけど、結構前だよ!ヴィラがいなかったんじゃないか!」


 彼の口元は動いていない。甲高い声は左手から生えた少女のぬいぐるみのようで、せわしなく動いては怒っている素振りをして、小さな腕でヴィラモの頭を小突いた。


「そ、それは悪かったよ。でも雰囲気変わったな、そんなにぬいぐるみ持ち歩く趣味あったか?」


 顔面近くに寄ってくるぬいぐるみに呆れながら押し返す。ふと、彼の口元の縫い痕が目に付いた。向かって右の口角が異様に避けていて、それを補正するように十字の縫い糸がある。


「なぁパペッタ、その口元どうしたんだ?ルオヴなんだし、すぐに治るだろ。」

「…わからない。気が付いたらあって、覚えていない。」


 表情変えぬ顔を指し示すと、彼は地の声を出す。成人男性の低すぎないよく通る声。


「戦争に行ってたんだもんな、大変だったろ」

「覚えてないんだ」

「…そっか」


 優しく、どこか虚しい声色に、ヴィラモは言葉を噤んで微笑んだ。

 戦争に駆り出されたルオヴは、終戦とともに帰還した船にいなかった。燃料節約のために、重石となる荷物と共に海に捨てられると言われていた。

 海の中で、死なない身体に水を溜めて、腐り、不死身の心臓であるエルエーが朽ちるのをただ待つだけだと。


 もちろん真偽はわからない。帰還した兵士は皆政府組織の者達だ。だからこそ、今も海の中で朽ちるのを待っているであろう彼が、何故ここにいるのか。運よく鎖を抜けて脱出したのか、自ら繋がれた部分を切り落として再生させて泳いだのか。


 ヴィラモはぐっと堪えて、「無事で何よりだ」と笑って見せた。心なしかパペッタも、小さく口角をあげた。右腕から生えた熊のぬいぐるみが口をあけた。


「もうすぐで、雨が止むね」

「そうだな」


 端末を見ると、今降る雨が誰で、どんな人だったのかが通知されていた。今日の雨は5分で止むらしい。雨死刑者は1人だった。


「もう少し話そうぜ、パペッタ」

「…いいよ。さっき言ってた馬鹿って誰のこと?」


 ぬいぐるみを持ったまま腕を下げて、並んでドアに背を預けた。地の声で話せば、ヴィラモも「よし」と笑って話を切り出した。

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