第5話 暗示

 翌日。

 同じベットで寝起きしたネヴィとチェシ。身支度をのんびりするネヴィに、チェシは洗濯終えた服を着て満足そうに駆け回った。

 そして家を出て、ある場所へ向かっていた。



「まさか、ちゃんと持ってたとはなぁ...」


 ネヴィは道中、腕時計を見つめて行った。

 それは先日、チェシが橋から持ち去って、失くしたと言っていたもの。チェシの服のポケットから出てきたのだ。


「どっかやったって言ってたろ!」

「ポッケに入れっぱなしだったわ」


 そんな会話を寝る前に行ったのだ。

 昨晩の会話を思い出しながら、満足そうに腕時計を装着した。


「壊れてるよ、それ」

「いーの。ただの飾りなんだから」


 チェシは「ふ~ん」と口を尖らせて理解することをやめた。

 秒針も動かない腕時計を眺め、チェシに道案内を兼ねた散策。ある店にたどり着いた。


「チーラ?」

「人形館チーラっていう雑貨屋さん。店主が知り合いで顔が広いんだ」


 フリルの多いカーテンのかかった扉に手をかけて、ネヴィは微笑んだ。


「ターボラの成り方、聞いてみようぜ」

「・・・うん!」


 道案内も、店に訪れたのも、チェシを思ってのことだった。

 来店のベルが鳴り、店内に入ると漂う香水の香り。女児向けの可愛らしい文房具から、学生向きの文房具。マグカップや愛くるしい動物のオブジェインテリアが並ぶ棚を眺めながら、チェシは呟いた。


「くさい...」

「スクニエフの奴って、耳も鼻も敏感なんだよな。まぁここは慣れるしかないんだけど...」


 入ってすぐ、左手にあるカウンターに座る女性。橙色の髪と瞳がキラキラと光を反射して美しい女性が、首を傾け微笑んだ。


「いらっしゃいませ。店内お好きに手に取り御覧ください」

「店長さんいる?」

「ご用件は」

「お話し」


 ネヴィは丁寧な一問一答を済ませた。女性は傍らのスイッチを押して、また姿勢正せば、また「いらっしゃいませ」と決まった言葉を紡いで微笑んだ。

 チェシはといえば、その女性の言動に怯え、ネヴィの後ろに隠れ呟いた。


「この人、怖い」

「店員さんだよ。名前が...えっとなんだっけ...」


 コツリコツリと足音が聞こえ、チェシはそちらを見やった。踵の高い靴と真っ黒なシンプルドレスを着こなす、美しい蒼い女性。


「その子はトリプライトよ。ちゃんと覚えてって言ったでしょ」


 凜とした声色。チェシは見惚れた。靡いた蒼色の髪が光を拾ってキラキラと煌めく。緑色が混じった蒼い瞳が瞬く度に、呼吸を忘れそうになる。その肌は白く、すらりと伸びた腕。けれど、向かって右は、球体関節だった。


「覚えるの苦手なんだって...」

「私の時もそうだったわ。酷い男」


 女性は踵を鳴らして背を向けた。ひらりと髪が靡く。


「話があるんでしょ?中で聞くわ」

「ありがと」


 その女性の後を追うネヴィと、出遅れたチェシ。橙色の女性を一瞥して、駆け足で後を追った。




 カーテンで仕切られた店の奥。通路を抜ければ古びた談話室があった。

 ガラスで締め切られた棚には、小さな球体関節人形が並べられている。ソファに腰かけた女性が、二人に座るよう促した。


「貴方は初めましてね。私はこの店のオーナー、ラクーク。よろしくね」

「僕は、チェシ」

「俺、ネヴィ」

「悪ノリするのやめてよ...」


 ラクークは呆れ睨むと、話題を切り替えた。


「で、話って?」

「ターボラについて教えてほしい」


 ネヴィはその双眸をジっと見つめたが、チェシは直球すぎるその言葉に驚き焦った。

 不死身が、不死身殺しのことを聞くというのは良いのか、チェシはこの街の内情は知らない。ネヴィが信用して来たということは、この女性は、ネヴィが不死身であることもきっと知っているのだろう。


 そして、ラクークはネヴィが不死身であることを知っている。そしてネヴィとは長い付き合いで、彼がこの街に来た時から関係が生まれている。


「私知らないわよ」


 しかし、信用して話しても意味がなかった。ネヴィは口をあんぐりと開けては肩を落として見つめた。ラクークは姿勢正しく座るソファで、髪を肩に直して言った。


「私、そっちの方に全く関与してないから、何も知らないわよ」

「俺がルオヴだから話せないとかじゃなくて...?」

「えぇ。何も知らないの」


 不死身であるネヴィと、不死身殺しと呼ばれるターボラ。それ故の気遣いはないようだった。

 ネヴィは頭を下げて、あからさまに落ち込んだ。それを見ては心配そうに身を乗り出す。


「何、ターボラになりたいの?」

「僕がね」


 ネヴィに向くラクークに、チェシは凛と告げた。心の心配した冗談交じりの問いだった。彼女は驚いたものの、すぐさま目を輝かせた。


「あら素敵。小さいのに立派ね」

「本当に知らない?僕がターボラになりたいんだ。でもなり方すらわかんなくて」


 チェシも、自分のことなのだからと尋ねた。ラクークはニコリと笑みを張り付けて、一瞬だけネヴィに視線を向けて、少年と向き合った。


「ルオヴってどんな人か知ってる?」

「こんなの」


 チェシはネヴィを指さした。「こんなの...」と溢すのを無視して、ラクークは笑った。


「他のルオヴよ。話したことある?」

「ほとんどない」

「ネヴィが他のルオヴと何が違うか知っている?」


 その深く射貫くような瞳に、チェシは殺気だと理解した。言葉を間違えば「出ていけ」と一蹴される。酷ければ殺される。そんな眼光。


「・・・死にたがってる所...」

「そう。この街のルオヴはね、“生きたい”のよ。生きたいから飼われてるの。死にたくないから従っているの。権利が欲しいから、立っているのよ」


 諭すような美しい声色に含まれる威圧感に身が固まる。ネヴィはジッとその言葉を聞いた。チェシは俯きながら尋ねる。


「何の権利?」


ラクークは微笑んだ。


「人らしく生きる権利」



 彼女の言葉は、チェシに重くのしかかった。彼には耐えられない重荷。震えた声で、問いかけた。


「ルオヴは、人の扱いをされないの?」

「そうね。死なないのだから、人間とは言い難いでしょう」

「死なないだけなのに」

「死なないからよ」


 チェシは立ち上がって、ネヴィを見つめた。終始己の話をされている気分の彼は、苦い顔をしている。


「・・・なんで、死にたいの?」


 チェシはそっと尋ねた。ネヴィは気まずそうにラクークを見やり、天井を見やり、チェシの見えない瞳を見つめた。


「死にたいって考えてたからかな」

「なんで」

「なんでって言われても...」


 曖昧な言葉にチェシが声をあげた。


「人間らしく生きてるじゃん!」


 空気が震え、棚のガラスが微かに揺れた。出会って初めての、感情的な投げかけは、ネヴィにはよく効いた。

 突然の大声に驚いて、ネヴィはソファから落ちた。それを見下ろす、前髪の乱れたチェシの表情は震えていて、赤い瞳が訴えている。

 その表情が訴える感情は、悲しみを思わせた。


 ネヴィは顔を反らして、言い訳すら諦めた顔でうつむいた。その様子を見ていたラクークは立ち上がり、チェシの背に回って腕を回して抱きしめた。


「チェシは立派な子なのね」


 包み込んで、優しく告げる。


「貴方は、平等に死を与えたいのね?」

「っ―!違う!僕は!」


 その優しい言葉が、温い温もりが、不快で仕方がない。マフラーを揺らし彼女の手から離れる。ソファに飛び乗り、視線を合わせた蒼い瞳。その目に魅了されて、先の言葉を言えない。

 彼の目的はターボラになることではない。不死身を殺す職を求めているのは彼ではないのだから。


「ターボラになって...スクニエフに戻るんだ。それで、母さん、に認めてもらう。それだけ...」


 聞いていた言葉だ。そう言っていた。言っていた通りを告げる。それなのに、否定する言葉が溢れて止まない。

 彼女は見透かした。


「そこは貴方の故郷なはずなのに、“帰る”とは言わないのね」


 ハッと、気づいてしまった彼は、壊してしまった。


 バキャ、と脆い音を立てて、マフラーの腕で彼女の肩を握り潰していた。

 球体関節が砕け、肩からは赤い液体が滲んでいる。向かいのソファに崩れ落ちる彼女をただ見下ろした。

 ネヴィは音に気付いて顔を上げ、彼女の名前を呼んで寄り添った。チェシは、耐えられず部屋を飛び出した。

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