第4話 願望
ネヴィは、理解が遅れて、顔を上げた。少年は、死なない青年に殺害予告をした。
「え…?」
少年は指さした手を降ろして、ネヴィに一歩近づいた。その顔を覗きこむように首を傾げ、その前髪の奥から、赤い瞳が見えた。
「殺してあげようか。そんなに死にたいなら」
「え、あ...えと...俺、死なないんだけど」
「僕、ターボラになりに来たんだ。だから、あんたのことも殺せる」
ターボラ
不死身殺しと呼ばれ、組織に属していると言われている者。その真相は定かではないが、不死身(ルオヴ)を殺す事が出来るという。そしてそう呼ばれる者達は、このエチャーリクロプにしか存在していない。
「えっと...俺を殺せるってこと?」
「そう言ってんじゃん」
実際、何度も死にに行っているネヴィには実感がない。
「どういう、感じで?」
「心臓を潰すんだよ」
「・・・」
ネヴィは一気に信用しなくなった。ジッと目を細めて、呆れた。
心臓を潰したことならある。身体をバラバラにしたこともある。火葬されたこともある。それでも死ななかったのだ。
少年は小石を蹴り上げながら、文句垂れた。
「こっちの人たちはエルエーだなんて勝手に名付けてたけど、潰れれば死ぬんだから心臓なのに代わりはないよね」
しかし、それらの言葉には妙な説得力を感じた。ネヴィは想像する。己が死んだ姿。今死んだら予報外れの雨が降るんだな、とか。明日シフト入ってなくてよかった、とか。
「えっと...来月でもいい?」
「は?」
「いやほら、死ぬにはちょっと...さ...」
言い淀んだ言葉。あんなに死にたがっていたのは何年前だったか。
「死ぬには、生きすぎたんだよね...」
「なにそれ」
「明日は休みだけどさ、来月までのシフトはもう出てるし、お偉いさんからも仕事をもらってるんだ。死ぬってわかったら、お世話になった人にも挨拶したいし...」
「死ぬのに?」
「死ぬから」
少年はまた首を傾げて「ふ~ん」と唸った。
「勝手だね...」
「俺の都合だからな。お前がそのターボラになるために、俺の死体が必要だっていうなら、勝手に持って行けばいい。それはお前の都合だ」
「・・・しないよ、そんなこと」
「それはよかった」
ネヴィは立ち上がって、汚れを払うと、少年と向き直った。
「俺が良いって言ったら、殺してくれないか?」
その穏やかな微笑みに、少年は頬を膨らませた。
「なんで僕がそんなこと」
「お前が言い出したんだろ...」
「第一、あんたは――」
必死な言葉を遮った、ど派手な銃声が轟いた。少年は反応が遅れたが、弾に当たりはしなかった。ネヴィが庇ったからだ。彼の視界には銃を構える男が見えていた。
「なっ...!?」
ネヴィは前のめりに倒れた。撃ったのは先ほど撒いた男たち。頭を潰された男も迫真の顔で叫んだ。
「よくも殺してくれたな!」
「・・・死なないからいいじゃん」
「そうだな、だからお前は死なないように痛めつけてやるよ!」
少年は「会話が出来ない」とため息吐いた。倒れたネヴィはその間にも「いたた」と身体を起こす。
たしかに撃ち抜かれた心の臓。それでも起き上がる彼に、驚く者はここには居ない。男さ「テメェがネヴィだな」と鼻で笑った。
はっきり言って、ネヴィは有名人だ。不死身だろうと雨にしてしまう、それが恐ろしの"悪顔潰しのネヴィ"だ。
当の本人は、そんな知名度を露知らず、「面倒なのと絡むなよなぁ」と少年に愚痴を溢した。
「ちょっと欲しいものがあったんだ」
「何盗ったの?」
「財布」
「馬鹿かよ」
ネヴィは笑いながら、石を拾った。
「そういう時は、中身だけ抜いて戻すんだよっ!」
そして、その拳より大きな石を投げつけた。石は男の肩に当たり、怯んだ隙に少年を脇に抱えて走り出した。
「またぁ!?」
「相手したくないんだって!」
「じゃあ降ろして!!」
「いいから―」
「いいから!!」
大きな声に、ネヴィは角を曲がり、少年を降ろした。ペタンと足が地面に着いた瞬間、ネヴィの身体が浮いた。
原因は、少年がマフラーの先端を巨大な腕にして、ネヴィを握っていたのだ。もう片方の先端がグンと伸び、家の屋根を鷲掴み、身体を浮かせたのだ。
器用に屋根の上まで上がれば、屋根の上にネヴィを降ろした。二人で地上を見下ろし、追いかけてきた男たちを見送る。男たちは辺りを見回し手分けして路地裏へ走り去って行った。
ネヴィは声を漏らしながら座り込んだ。
「それ...そのマフラーなんなの...さっきまでただのマフラーだったじゃん...」
「お母さんが絹から編んでくれたんだ」
「そういうことじゃなくて・・・」
少年は自慢気に仁王立ちした。
「はぁ...仕方ないからこのまま帰るか...」
「ばいばい」
「お前も行くんだよ」
少年は固まった。
ネヴィは少年に向き直ると、ふっと笑った。
「俺のこと、殺してくれるんだろ?来月まで待ってよ」
「いや、ホントに殺す気ないし...」
「殺してくれないの?」
驚いたのはネヴィの方で、てっきり殺してもらえると思っていたのに、「殺さない」と言われたことで、少し悲しそうに眉尻を下げた。その表情に、少年は「ぐぬぬ」と唸った。何だコイツ、という暴言を押しとどめた。
「殺さない...ターボラになって帰るの」
「帰るって、どこに」
「スクニエフ」
「は・・・」
スクニエフとはエチャーリクロプの隣国だ。壁で完全に閉ざされたエチャーリクロプと同じ大陸にある国だ。自然が豊かで、国土の大半を占める森には神様が住まうという。
「身分証もないってことは、密入国かよ...」
「そうだね」
ネヴィは諦めて、屋根の上を歩いた。
「そのターボラってやつは、身分証なくてもなれんの?」
「実はよくわからないんだ。この街に来ればなれるって聞いてただけ」
少年は大人しく着いて行った。
「誰に」
「・・・クソガキ」
「誰だよ」
ひょいと飛び越えてしまえる程の家と家の間。そのまま二人はネヴィの家へ向かった。
「そうだ。俺、ナヴィ・ト・バルカって言うんだ。お前は?」
「え...」
「今は一人暮らしなんだ。身分証もない密入国なら、寝床には困ってんじゃないのか?」
ネヴィの気まぐれな提案に、少年は口元をマフラーに埋めた。図星ではあった。 空き家で雨風を凌いでいたのに変わりはない。故郷であるスクニエフのように、草木の生い茂る街ではないから、すべてが冷たく感じてしまう。
「・・・一緒に住んでいいの?」
「もちろん。ちょうど一人は寂しいと思ってたんだ」
「じ、じゃあ仕方ないなぁ」
ネヴィは手を差し出した。
「改めて、ナヴィ・ト・バルカだ。気軽にネヴィと呼んでくれ」
「僕はチェシ。ただのチェシだ」
「よろしくな、チェシ」
また、屋根を伝って歩いて、ネヴィは自宅にたどり着いた。
「下降りるの面倒だし、天窓割るか」
「いいの?」
「使ってない部屋だし、いいよ」
懐から取り出したアイスピックで、窓の一点を突き刺す。ひび割れた窓は静かに部屋に反響していた。そして、腰のポケットから取り出した拳程の石で、縁のガラスを叩き落としてく。
一メートル四方の天窓から室内の降りたネヴィは、両手を広げてチェシを見上げた。
「自力で降りれるし」と、ふてくされたチェシはマフラーをしゅるりと腕に変えた。
「絹から編んでくれたマフラーが解れるぞ」
ネヴィが送った視線は、窓枠にまだ着いているガラスだった。それに気づいたチェシも、悔しそうに、腕のままのマフラーを抱えて、恐る恐るに飛び降りた。
それを上手く抱きとめて、ネヴィは「よし」と笑った。
「どーもありがとー。降ろして」
「ちょっとちょっと、ガラス散ってんだから」
暴れるチェシを、その部屋の椅子に座らせれば、「裸足なんだから、怪我するぞ」となだめた。
ずっと、裸足で街を駆けていたのだ。黒く汚れた足の裏。服も汚れてしまっている。年相応にふてくされる少年の頭も、撫でてやればべたついているのがわかる。
「まずは風呂だな」
「・・・うん」
ネヴィはまたチェシを抱えて階段を下りた。
「自分で歩けるー!」
「あっはは」
二階建ての一軒家。一階はバーのようにカウンターと酒棚が並んでいる。そんな広い家で、ネヴィは一人で住んでいるのだ。昔は、一緒に住む友人がいた。呼べば来てくれる友人も居た。けれど、今は居ない。
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