第3話 再会

19:20

酒棚に置かれたデジタル時計がその時刻を掲示した。ネヴィはカクテルカップを吹き終え、棚に並べた。

片付けを済ませたネヴィがカウンターの布巾を畳んでいると、それに気づいた大男が時計に目を向けた。


「あぁ、もうそんな時間か。まだ俺は飲めるぞ~」

「ラドゥヌ飲みすぎ。もう帰れ」

「客に向かってんなこと言うなよ~」呂律の回らぬラドゥヌはまた机に突っ伏した。


 彼はネヴィの勤務時間は必ずやってくる。出勤時間は伝えていないのだが、毎日のように覗きに来ては酒を飲んでいるので、ネヴィも諦めた。


「お前のせいでトランプの方に手伝い行けなかったんだから」

「給料分は飲んだろうが...」

「チップ寄越せよ」


 文句垂れるラドゥヌに顔を寄せて、静かに睨んだ。彼は鼻で笑うばかり。そんな態度に気怠い声が漏れる。

ネヴィはカウンターを後にして、裏のロッカールームに向かった。綺麗とは言えぬ、並んだロッカーの、左手奥から四番目。コートと貴重品を取り出し身に纏う。

ロッカールームを出れば初々しさ漂う青年が一人。


「あ、こんばんは」


 ぎこちない挨拶。まっすぐ伸びた背を曲げぬように手本のようなお辞儀。ネヴィは、レジに置いてあったメモの内容を思い出す。


「新人だよね。バーテンダーだっけ」

「はい。オタビ・ミズといいます。よろしくお願いします」


 握手を交わして、微笑んだ。


「ナヴィ・ト・バルカだ。愛称はネヴィ。僕もバーテンね。たまに助っ人で他のとこ行くから、よろしく」

「ありがとうございます」

 彼の肩に手を置いて、細い廊下をすれ違った。


「よし。それじゃ、夜勤がんばって」


 廊下の先の裏口から出て、細い路地から大通りに向かうと、その通りに走る影。赤い髪とマフラーが靡いていた。


「あ」


 一瞬見かけたその容姿には見覚えがあった。


―昨日の子供!


仕事中に見かけた、腕時計を持ち去った子供。ネヴィは咄嗟に駆けだした。表通りに出て、去った方向に目を向けると、軽やかなマフラーがひらひらと靡いている。


「まっ―」

「邪魔だ退け!」


 突然、肩を押されて、小さな悲鳴と共に尻もちついた。ネヴィは突き飛ばされ、突き飛ばした男は気にも留めず、走り去っていった。

 三人の男が、あの子供を追っているようだった。そして、ネヴィも静かに後を追った。



 行き止まりの路地に追い込まれた少年は、男たちに詰め寄られていた。


「これで逃げられねぇな」

「いい加減盗ったもん返してもらおうか」


 男たちは何かを盗まれたらしい。少年は目元は髪で隠れて見えないが、口をきゅっと結んで、まるで睨んでいるようだ。


―ただの孤児か...どうしようかなぁ...


 ネヴィにとって、あの腕時計は大事なものだった。だからトラックに突っ込む前に外したのに。それが盗まれるとは思っていなかった。だからこそ、返してほしいのだ。


 ネヴィはその道に入り、少年に詰め寄る男たちに近づいた。


「んだぁてめぇ」

「邪魔すんじゃねぇよ」


 乱暴な言葉がネヴィに投げ掛けられ、服を掴みあげられる。


「ちょっとごめん。その子に用があって」

「失せな。こっちが先だ」


 力一杯に放られて、ネヴィは壁に背を打ちつけた。男たちは見下ろして、また少年に詰め寄った。


 これにはさすがにネヴィは腹を立てた。ただ頼んでいるだけだというのに、短気はこれだからいけない。

隠し持っていたアイスピックを取り出して、中央の男の背に突き刺した。男は小さく呻いた。


「ちょっとでいいんだよ。ちょっと話すだけ」


 そっと耳元で囁いた。両脇の2人は、動かない男に戸惑った。

しかし男は痛みに耐えながら、笑った。


「は、俺は死なねぇぞ・・・」

「そうなの?ならよかっ―」


 死なないのなら殺せばいい。しばらく動けなくなってもらえばいい。ネヴィは殺そうとした。しかし、皆まで言う前に、男の頭が何かに潰された。


「え……?」


 ぐしゃりと音を立てて、包まれた何かから血が垂れだした。ネヴィは一歩二歩と下がって、その全貌を確認した。

 男の頭は赤黒く大きな拳に握り潰されていた。

ゆっくりと開かれた拳から、変色した頭が覗いて、身体がばたりと倒れた。

 握っていた大きな手は、追いかけてきた少年のマフラーだった。ひらひらと靡いていたマフラーの先が、今は多きな手の形をしている。


「殺さないから安心してね」


 少年は口角あげて告げた。“死なない”と男は言った。ならば、倒れた男も直に治って起き上がるだろう。両脇の男たちが驚きながらも、彼が起き上がるのを待っているのが証明だ。

 ネヴィは咄嗟に少年の元へ駆け出し、その身体を抱えて走った。


「は!?」

「あ、おい待て!!!」


男は気づいて叫ぶが、ネヴィは振り返らない。

 少年も驚きはしたものの、脇に抱えられ大人しくしていた。


「ちょ、殺さないの!?」

「舌噛むぞ!」


 表通りに出て走っても、後ろから「待て」という怒鳴り声と発砲音。走りながら、また細い路地に逃げていく。



 しばらく走って、息を切らしたネヴィが少年を降ろす。大人しく地に足つけた少年は、見えない瞳でネヴィを睨んでいた。


「なんで殺さないの」

「殺す価値もない、って言ったらいい?」

「・・・キモ」

「うっさいな」


 ネヴィは肩で息をして、路地のゴミ回収の箱に座り込んだ。少年を睨みながら手を差し出した。


「橋で時計拾ったろ。俺のだから返して」

「時計?」

「腕時計。ほら、秒針っていう...針がこう、なんていうんだろ。ほら、身分証とちょっと違うタイプの」

「ミブンショーってのもわかんない」

「・・・」


ネヴィは手を下して、頭抱えた。

身分証がない子供なんて数多くいる。しかし、その共通点はどれも、「幼いうちに捨てられた」というものだ。盗みもする理由が頷ける。

 この街に、この時代に、腕時計というものは既に非売品で、生産も終了しきっている。持っているだけで価値はあがるが、取り扱う骨董品も数少ない。時刻を針で指し示す時計は、時代遅れだった。

 だからこそ、大事にしていたのに。

なんとか手振りで伝えようと努力したが、それの説明の仕方も分からないネヴィは諦めた。


「こういう、腕輪型の端末に似た奴。持ってったろ」

「・・・持ってった」

「返せ」

「僕が拾ったもん」

「捨てたわけじゃない」

「どっかやったよ」

「はぁ!?」


 少年の言葉に、思わず立ち上がった。驚くこともなく見据える少年。ネヴィもその飄々とした態度に毒気を抜かれてまた座り直した。


「はぁ...じゃあいいや...」

「大事なものだったの?」


 少年は軽やかな足取りで隣に座った。足をパタつかせて、ネヴィの顔を覗きこむ。


「大事なものなのに、手放したの?」

「手放したんじゃなくて、壊したくないから外しておいたの」

「なんで死にに行ったの?」


 まるであらかじめ用意されていたように、次々と質問が飛んでくる。ネヴィはイラ立ちもなくなり、ただ最低限の思考で答えて行った。


「死ぬのが、目的だったから」

「どうして?死なないじゃん」

「俺死なないなんて言ったっけ」


 少年は「あ」と口を開けては、箱から飛び降りた。


「あんたは死にたいの?」


まっすぐな問いかけはネヴィには心地いい。


「・・・あぁ、死にたいよ。雨が降るなら、雨になりたいんだ」

「なんで?」

「なんでかは、忘れちゃったな」

「・・・そっか」


 少年はコテンと首を傾けた。それを見つめては、「目って大事なんだな」と考えた。

目元が見えないだけで、表情が分からない。口元がきゅっと結ばれていて、こっちを見ているのかもわからない。

 そんな考えをしているとは知らず、少年はそっとネヴィを指さして、口を開いた。


「殺してあげようか」


静かなその言葉に、ネヴィは不気味な殺意を感じた。

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