第2話 雨死刑

 大きな通りから、人気の少ない開けた通りに出たネヴィは、慣れた足乗りで橋を渡った。区と区を結んだ赤い手すりの橋。綺麗な艶をしている手すりは、存外ざらざらとしていて、指の腹で撫でると木が刺さりそうだ。

 ネヴィは指についた木くずを払って、ある店に向かった。

 酒とつまみの香ばしい香りが漂う店内。コンクリートが崩れ落ち、ボロボロで換気扇の管が剥き出しの店で、古い煙草をくわえた老婆。ネヴィを見る成り表情を変えた。


「おや、ネヴィじゃないか。どうしたんだい」

「やぁばあちゃん。ここでミストが働いてるって聞いたんだけど」

「今は荷出し中さ」


 慣れたように置いたカウンターに両肘ついて、煙草を咥えた老婆に顔を寄せた。


「雨にしてもいい?」


老婆はその顔を見つめて、煙を吐く。


「いいよ」

「いいの」

「あいつが居ると金をせしめられるんだよ」

「横領?」

「そ。孫なんだけどね、どうにも態度が悪いったらありゃしない」


 煙をネヴィの顔面に吹きかけて、大口開けて笑い出した。


「そろそろ持ってかれんじゃねぇかって思ってたよ!」

「ばあちゃんも随分と儲けてるらしいじゃん。ぼったくりで」

「あたしでも良いってか?」


 ネヴィは微笑んだ。肩を上げて小首傾げる。


「っかぁ~~!アイツ持ってってくれたら酒は安くしておくよ」

「やったぁ~」


 椅子に座りながら話をした2人。旧知ともいえる仲であり、バーテンダーとして働くネヴィに、酒のあれこれを教えた程だ。

 しばらく話し込んで、ネヴィは店を出た。聞いていた通りのルートに着いて、目的の人物が乗っているであろうトラックを待った。


 紙ぺらに書かれた名前に、赤線を引く。

 細い路地で電柱に背を預けて、街の時計に目を向ける。

「そろそろか」と呟いて、腕時計を外した時、視界に移った赤髪が目を引いた。深い赤色の髪をした少年が、反対車線に立っていた。


 目元は髪で隠れて、グレーのマフラーも先端にかけて赤みを帯びている。十歳程だろうか、と見つめて、フイと目を反らした。目が合った気がしたネヴィは、その髪のなびく見えない瞳に射貫かれるような恐怖を抱いた。

 すぐさま足を進めて、細い路地から橋に向かった。区の境目の橋。赤い手すりに、外した腕時計を置いてため息吐いた。


「さすがにトラウマになるよな・・・」


 ネヴィなりの配慮だった。十歳程の子供に見せていい現場ではない。

 彼はやってくるトラックを見つめて思った。


―トラックに引きずられるのは久々だなぁ。


 この街は、死を管理されている。死ぬべき人を、選んでいる。その選別に、ルオヴは使われる。犯罪者を生み出して、雨の材料にするのだ。それを雨死刑チシードという。

 道行く人たちはネヴィを見つけては青ざめて遠ざかった。政府が指示しているという確証を市民は持っていない。けれど、察しているのだ。国から「もうお前はいらないよ」と言われないように過ごす心がけをする。


 良い社会には静かな牽制と、確実な行使力が必要なのだ。



 やってきたトラックに、一歩二歩と軽やかに突っ込んだネヴィ。響くクラクションとブレーキ音。道行く人は声を上げて、目を反らした。


 トラックは橋の終わりの電柱にぶつかり停止した。ネヴィはといえば、その連なるタイヤの丁度下にいた。


「最悪だ、重い。それどころじゃない。痛い、苦しい。」文句を、掠れ声と嗚咽を含めて口に出す。


 自分でも発せられているかわからない声を漏らしながら、必死に出ようともがいた。筋繊維がぶちぶちとちぎれる音を聞きながら、這い出ていると、立ち尽くす人の中で、平然と歩く素足があった。


「あ」


 橋の手すりから、ネヴィの腕時計を眺めて持ち去る。先ほど見た赤毛の少年。大きなため息を吐こうと息を吸ったが、肺がつぶれていたせいでむせた。


「死にたい」


 そっと呟いて、回収されるのをただ待った。






 次の日、いつものように決められた時刻に、雨が降った。この国民全員が所持している端末。街のブラウン管テレビにも、その雨が誰であったのかが放送される。今回は犯罪者だった。


 人々は自身の指を絡めて祈った。


“遺憾”と“幸福”


 あなたが死んでしまってとても残念。人々のためにと申し訳ないことをした。けれどもあなたが死んだおかけで私は幸せな暮らしができる。

 これからも私以外の不幸で幸せになれますように。


 そんな願いで人々は指を絡めて祈っている。バカバカしいと思う人もいる。当たり前だ。そんな人が居ない方がおかしい。だから、そんな人を、ルオヴは消していく。


 政府カーチリパの言うとおりに。




 この街は、人が死ねば雨が降る。逆を言うなら、人が死ななければ雨が降らない。そうなると人間は、食物連鎖が成り立たず生きていくことなどできない。

 だから、カーチリパと呼ばれる政府が、雨を管理する。

 そしてその雨を降らせるための人間を調達するのも、カーチリパに従う不死身ルオヴの仕事だった。

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