第1話 エチャーリクロプ
海に囲まれた大きな大陸に、小さな街がある。
元はただの商人たちが落ち着いて物売りを出来ていたことで始まった。賑わい出したその街は、いつしか雨が絶えなくなった。
不審に思いながらも、“雨の街”と親しまれるようになった。
しかしそれも長くは続かず、いつものある日、平和に晴れた日のことだった。ある商人の男が馬車に引かれて死んだのだ。その数秒後、突然雨が降り出した。
それに疑問を持った者が、雨が降った瞬間に街を走り回るようになった。「死んだ者はいないか」と。
それが、この街の始まり。
人が死んだら雨が降る街、そう総称される国・エチャーリクロプ。
高く分厚い壁に囲まれたその国は、貧富の差はあれど、大きく発展した。白を基調とした中央区は、その国の富裕層が住まう。対して、栄えていない区域は、機械仕掛けにコンクリートや木造が連なり、排気ガスと熱のこもった剥き出しの管に巻かれ、綺麗とは呼び難い土地だった。
それでも雨が定期的に予報されるのは、そこら辺で野宿する者達の管理が行き届いている証拠だ。
そんな廃れた街で、仕事なんて限られている。
「おいネヴィ! 仕事帰りか、俺と一戦どうだぁ」
古びた小屋。倒れた看板を椅子にして座る、横にも上にも大きな男は、歩く青年に声をかけた。
「仕事帰りに一戦頼むって、どういう神経してんだよ…」
眼帯と三つ編みが特徴的な青年・ネヴィは頭をかいて、大男を見やる。
「ラドゥヌ、俺は帰って寝たいんだよ。またカーチリパからの仕事が来てるんだ」
コートの懐から紙をちらつかせてみれば、ラドゥヌと呼ばれた大男は笑った。
「まぁたそっちの仕事か! 今度は誰だ。イカサマのジェルワンか。そぉれか、金取りババアのシャルオか!」
歩みよるネヴィに手を差し出しながら、ニヤニヤと予想をする。ネヴィは呆れた様子で「機械弄りのラドゥヌだったりしてね」と歩み寄って紙ぺらを渡す。
ラドゥヌは満足げに「そいつはいい」と紙ぺらを受け取っては笑った。
「俺の名前はなさそうだな」
「良かったね。俺はもう行くよ、帰って寝たい」
大きな欠伸をすると、ネヴィは紙ぺらを奪って背を向けた。
「…酒場の仕事を減らせ」
「カジノね。減らせないよ、そっちが本職なんだから」
ネヴィは微笑んだ。
彼の職はカジノのバーテンダー兼ディーラー。そして副職として、カーチリパという政治組織の手伝いをしている。
「今回は、トラックに突っ込もうか」
そう呟いて、彼は路地を後にした。
人通りの多い道。出店が道を狭くして、行き交う人々は、その街には珍しい新鮮な野菜や果物を眺めている。
ネヴィは紙ぺらと人々を交互に見つめながら「違う違う」と呟いた。すると、彼を後ろから声をかける男。
「おっ、ネヴィじゃないか!」
ネヴィは呆れ顔で振り向いた。
「何? ジェルワン。いつ話しかけてくるのかと思ってたよ」
にっこりと笑うネヴィに、たじろぐ細身の男。彼は少し前からネヴィの後を着けていたのだ。煽るように微笑んで、ネヴィは続けた。
「最近カジノに顔出さないよね。イカサマは辞めたの?」
「お前みたいなのが居ると知ってりゃ行かねぇよ…」
今にも折れてしまいそうな程身体の細い男は、ジェルワン。イカサマ好きのジェルワンで名が通っている。賭け事の店では彼はいつも顔を出している。
そして、ネヴィは“悪顔潰しのネヴィ”と呼ばれている。彼が不快と感じた悪行を成す者を犯罪者にするのだ。
「気色悪い犯罪者は消えればいい。この考えはおかしいかい?」
この国の法律は、緩い。政治組織が成り立ち、法律も出来た。しかしこれと言った重い刑罰はないのだ。
盗みをしたら罰金。人を殴ったら罰金。物を壊したら罰金。基本罰金。唯一重いのは、「人を殺したら禁固刑」というものだ。
人が死んだら雨が降るこの街で、人殺しなんてしようものなら社会的に死ぬ。まずは予報外れの雨が降って、警官が犯人と思しき者を連行する。街を監視するカメラはどこにだってあるので、逃げることは実質不可能だ。
ネヴィはそれを利用する。
「それで、今回の標的は誰なんだ。その時代遅れな紙ぺらを持ってるってことは、もう絞ってんだろ」
「安心しなよ、君じゃないか―」
「じゃあ誰なんだ!」
遮ってまでも叫ぶジェルワンに、ネヴィは驚く。「うるさ」と呟きながら、蒼白した彼の肩を組み、呆れ顔で裏路地に引っ張った。
「で、何。今日のアンタやけにしつこくない?」
先程とは打って変わって、にこやかな笑顔が消えたネヴィ。ジェルワンの肩を離して突き放す。彼は人通りの多い所では基本猫を被る。良い顔をする。それが特に意味することはないが、彼はそう教わった。
「心配が先だっただけだ…」
ジェルワンは袖で汗を拭きながら答える。それを見て、一つため息を吐くとネヴィは紙ぺらを見つめて口を開いた。
「2区のワリアム・ソロミ窃盗。4区のミスト・パーズ売り上げ横領。12区のアルカ・ミサルワン暴行。以上。どう? 満足?」
「全員犯罪者にするのか…?」
その問に、ネヴィは微笑んだ。
「うん。治安が悪いと俺が困る。平和に過ごしたいからさ」
ネヴィと呼ばれる彼。ナヴィ・ト・バルカは犯罪者を生み出す。
気に入らない奴を犯罪者にするために、彼は自ら被害者になりに行く。「人を殺したら禁固刑」つまり彼は、死にに行く。
ジェルワンはいぶかし気に語り出した。
「こないだ、チャーヴィウで酷い虐殺があったんだ」
「…で?」
チャーヴィウとは、国の外にありながら、エチャーリクロプ国内とされている。“死んでも雨が降らない場所”のことだ。そこには悼儀場というものがあり、人を殺せないこの街のために出来た“人殺しが許された場所”だ。
ネヴィはそこへはよく通っている。いわば常連だ。そのため驚きはしない。この街の者なら行ったことがなくても、存在は知っているはずだ。どうしてジェルワンが怯えた様子なのかが分からない。
「やったのはお前と同じくらいの年齢だろう。まだまだ若い。二十歳そこらだ。それがのこのこ、この街に戻って来やがった…」
「だから何? チャーヴィウはいくら殺しても犯罪者にはなれない。そいつが俺の不愉快の対象になると?」
「だってネヴィは、チャーヴィウへよく行くだろう」
ネヴィは呆れ、鼻で笑った。きょとんと目を丸くしたジェルワンは続けた。
「犯罪者づくりの品定めに行ってるんじゃないのか?」
「違いますー。死ぬために行ってるんです~」
「は?」
空いた口が塞がらない。
「お前、ルオヴだとしても、それは…」
「俺の勝手でしょ」
ネヴィは「飽きた」とでも言うように、紙ぺらを握りコートのポケットに手を入れた。
「死なないからってそれはどうなんだ」
路地裏から去ろうとするネヴィに、ジェルワンは投げかけた。彼は振り向き笑う。
「だったら降らせてよ」
ジェルワンは「何を?」とは紡げない。彼をよく知っているから。
「俺が死んだら、雨を降らせてよ」
心臓が停止しても、脳がつぶれても、胴が爆散しようとも、この街に雨は降らない。
“蘇る”というのかが正しい言葉かは不明だが、この街には、この世界には、彼のような者達がいる。“死んでも死なない存在”
死ぬことがないから命を弄び、街歩く誰かに、自らを殺させて犯罪者を生み出す。
その存在を、この街の者は“命泥棒・ルオヴ”と呼んだ。
これは、彼と彼を取り巻く者達の、生き様の物語。
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