第249話 番外 エメラルドグリーンと行商人

「奥様に是非ともおすすめしたいドレスが有りまして」

 何時ものように御茶会と洒落込んで居た所に、来客だと呼ばれたので相手してみた所、何時もの出入り商人とは違う行商人がいた。

 堂々と売り込みに来るだけは有る身なりというか、お金は掛かってそうな身なりはしている。まあ、そんなモノに騙されて居られるほど世渡り甘くは無いのだが。

 行商人のセールスとは言え、娯楽の少ないこの世界、話のネタは多いに越した事は無いと、話だけでも聞いてやろうと暇つぶしに相手をしている次第だ。

 因みに、こういったときにはエリスちゃんが財布の紐を握っているため、無駄遣い的なことは余り起らない。

「最近勢いのある領地と言う事で、このアグリカ領が上がりまして、丁度良く、この素晴らしいドレスを仕入れられたので、是非ともと参上した次第でして」

 ヘコヘコとへりくだる新顔の行商人、それなりに苦労はしているのか、手荒れが見て取れた。

「で、売りたい物は?」

 促してみる。

 行商人がニヤリと内心で笑みを浮かべたのが見えた。

「コレでして」

 なかなか立派なトランクの留め具を外して蓋を開ける。

 ふわりと細かいホコリが舞った。

 ソレは、鮮やかなエメラルドグリーンに染められたシルクの生地だった。

「おや、結構綺麗ですね?」

 思わずそう呟いた。

「そうでしょう、そうでしょう、この染め色はつい最近出来たばかりで、まだまだ流通していません、是非ともこの機会に……」

 商人は得意気にその生地手に取り、持ち上げ広げて見せようとゴソゴソ始める。

『止めさせろ』

 不意に耳元で淡々とEXの声が響いた。

『毒だぞ?』

(ソレはもっと早く?!)

 私より先にエリスちゃんが反応して、トランクの蓋を閉める。

「ぎゃあ?!」

 勢いよく閉まったトランクの蓋に手を挟まれて行商人が悲鳴を上げた。

 エリスちゃんが蓋を抑えて居るので、行商人は手が抜けずにジタバタと藻掻いている。

「何やってるんだ?」

 騒ぎから少し遅れて和尚さんが到着した。

「いや? 何だかこの行商人さんが毒物持ち込んだみたいなんで、思わずこんな感じに?」

 コレの指示ですと、EXの子機で有る結晶コンピュータ付きのヘアピンを指差す。

「何の事ですか?! 毒なんてそんな物有りませんよ?!」

 行商人がトランク手を挟まれたそのままの体勢で抗議の声をあげる。

「具体的には?」

『ヒ素グリーンだ』

 EXが淡々と簡潔に告げた。

「……ああ、ソレは良く無いな」

 和尚さんは一言で納得したらしく、ため息をついた。

「ヒ素ってあのヒ素ですか?」

 名前は兎も角、どんな物だか解らないので、オウム返しにしてみる。

「ニュースだとカレーに入ってたり、ミルクに入ってて死人が出たアレだな?」

 和尚さんが解りやすいように、使用された具体例を出してくれた。

「ああ、その辺なら聞いたこと有りますね?」

「純粋に毒物だが、その口ぶりだと多分緑色、エメラルドグリーンのドレスか?」

「はい! その通りです! 毒物なんかじゃ有りません!」

 口ぶりが優しいので、無罪になるのかと思ったらしく、強く肯定する行商人。

「その色に染める染色材自体が毒物だ阿呆」

 圧が上がって行商人の顔が青くなる、久しぶりに見ましたね、強めの威圧。

 怒られる側ではないので妙な関心をしつつ見守る。

(真面目な顔も良いんですよねえ)

 話の中心が私では無くなったので、既に傍観者の体でぼんやりと眺める。

「まあ、今更逃げられんだろうから、エリスも解放して良いぞ?」

「はーい」

 エリスちゃんが蓋を押さえていた手を離した。

 安堵のため息を吐いた行商人が、改めてトランクから手を抜いた、自分の手が無事で有るかをまじまじと観察している、指先を挟んだ訳では無いので、色々無事な様子だ。

「治療要らんな?」

 和尚さんが何気なく触診して、だいぶおざなりに手を離す。

「他には何かあるか?」

 和尚さんに促されて、別のトランクから立派な額縁に飾られた風景画が取り出された。

「此方なんかどうでしょう?」

 この行商人も面の皮が厚いと言うか、コレだけされても未だ売れる物があると思っているらしい。

「確かに良い緑だな……?」

 其れは確かに深い緑、エメラルドグリーンが鮮やかだった。

「はい、このエメラルドグリーンが何とも言えない深みを……」

『言うまでも無いと思うが……』

 EXが念のためと言う様子で淡々と警告を発する。

(解ってる)

「銅を亜ヒ酸で反応させた緑青(ろくしょう)の塗料で、ナポレオンの死因だな……」

 何とも言えない表情で此方に解説してくれる、どっちにしても死ぬんだ?

「次を頼む」

「この水です、特別な土地で採れる水で、コレを日常的に飲む村人の頬は薔薇色で血色良く、夜の時にも肌が桃色に染まって魅力的に……」

 仰々しく口上を述べながら、硝子瓶に入った水を取り出した。

「ふむ、少し試させてもらうぞ?」

 和尚さんが瓶の水をコップに少量注ぎ、テーブルの上にあったスプーンでぐるりとかき混ぜた。

「はぁ……」

 呆れ顔でため息をつき、黒く変色したスプーンをかざした。

「ヒ素水だな?」

「確かにヒ素ですが、少量なら薬に……」

「成らん」

 バッサリと切り捨てた。

「生体濃縮で残留する半金属系の毒物が薬に成るはずも無かろう」

 最早呆れかえって言葉も無いと言う様子だ。

「其れでも皆さん喜んでいただけて居るので」

 騙されてるの居るのかコレと言う感じに和尚さんの顔色が落胆気味に脱力する。

「で、其れは何処で作ってて、何処で流行ってるんだ?」

 和尚さんの口調は言うほど強くないが、その言葉に合わせて、いつの間にか近くに来ていた、何だか不機嫌そうなぬーさんの爪が行商人の肩の辺りに食い込んだ。

 行商人がギョッと目を剥き、顔色が白くなった。


 後日

「最近舞踏会で緑色のドレスが流行っていて、参加者が体調を崩していると思ったら、そんな事ですか」

 何時もの役人が感心しつつ頭を抱えた。

「もしかして、本当に流行ってました?」

「ええ、割と深刻に……」

 どこから手を着けた物だろうと言う感じの、深いため息をついた。



 更に後日

「所で、村人の血色は良いけど、やたらと病弱で直ぐに死ぬ土地が有るんですけど」

 この流れだとヒ素中毒の中心地だ。

「其れは又大変ですね?」

 依頼かなんかかなと身構える。

「貴方の領地にしておきました」

「はい?」

 段階が幾つかすっ飛んでいった気がする。

「あなた方しか治療やら何やら出来そうに有りませんから」

 いつかの鉛中毒治療と同一視されて居るようだ。

「その領地に関しては10年は税金免除としておきますから、後はよろしく」

 後日、正式な委任状が送りつけられて来て、ヒ素中毒用の放線菌培養でケサランパサランが出現したのは言うまでも無い。


追伸

 ぬーさん(流石に五月蠅いというか、匂いは解らんが嫌な感じはする)

 因みに食料にヒ素なら銀食器が黒くなるので解りやすいですが、この染色材としてのヒ素グリーンは割と最近までお目こぼしで、ヒ素自体も致死量で無ければ血色が良くなるから、薬として毎日飲もうと言う、訳の分からない利用をされていました、当然蓄積して一定量でお亡くなり。

 最終的にはパリで殺鼠剤として利用した為、パリグリーンとも呼ばれています。

 更に言うと、この世界では地面から湧いた物は神様の祝福が有る物だと言う認識だったりするので、悪い物という認識は薄いです(そもそも毒なのでアレですが)。

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