第92話 出産 エリスの場合 前編

「初めての育児で言うのも何ですけど、こんなに楽で良いんですか?」

 灯の産後の肥立ちも良好、子育ても今のところ順調だったので、灯の口からそんな言葉が出て来た。

 赤ん坊を抱き抱えて母乳を与えている。

「どっちかの実家に頼れればこんな物だと思うぞ?そもそも灯、鬼子母神の加護付いてるお陰で産後の肥立ち良好にも程が有るし。」

「いや、現状母乳やって寝てて時々おむつ替えるだけですし。」

「世の育児に疲れたお母様方から怒られそうだな。」

 現状世話出来る母親が3人居る様な物であるので、現状母乳出せるのが灯だけでも、その他の仕事は分担出来るので負担に成らないと言う状態らしい。

「向こうじゃ子育てが地獄だってエッセイが溢れてたんで、そうなる物だと覚悟してたので・・・」

 大分情報が偏って居るらしい。

「子育ては一人でやるんじゃなくて、一族なり、地域なりで分担するもんだから、あの人達は何で自分だけでやってたんだ?って言うのが正常な反応だと思うぞ?」

 実質一人で部屋に引きこもって育児ノイローゼ状態に成って居た「ちごぷり」とか思い出される。

 現状この家では、赤ん坊一人でいる時に泣き出すと猫が呼びに来ると言う、驚異の報告システムも出来上がって居た。猫まで人の育児に参加している。

 因みに特に分担は決まって居ないので、その時に手が開いて居る物が何かすると言うシステムである。

「寝ます、後お願いします。」

「はいよ。」

 母乳をやり終えて、灯が横に成る、こっちは赤ん坊を抱えて寝かしつけを開始することにした。


「それで、この子の名前どうします?」

「光(ひかり)辺りで良いか?」

「安直ですね、響は可愛いんで良いと思いますけど。」

 灯(あかり)と光(ひかり)である、安直と言われても真っ先に思い浮かんだので言ってみたが、特に反対意見は出なかったので、そのまま採用された。



「多分、そろそろです。」

 夜中にエリスが不意に抱き着いて来た。額に汗を浮かべて不安そうな顔をしている。

「んくぅ・・・・」

 痛みをこらえた様子で声を殺して抱き着いて来る、灯の時とは大分反応が違う。

「呼んで来ます、一緒に居てあげて下さい。」

「頼んだ。」

 灯が産婆さんを呼びに急いで出て行った。

 此方も準備しなくては。

 前回灯の時と同じ様に、エリスを抱き上げて部屋を移動する。

 ベッドに降ろして抱えて居た手を放すと、腕ごと抱え込まれた。

 どうやら今回も逃げられる線は無いらしい、諦めて腕ごと持って行かれる事にしよう・・・

「落ち着いて、深呼吸、すって・・・はいて・・・すって・・・はいて・・・」

 エリスが俺の腕を抱え込んだまま指示に従って深呼吸を始める。拘束が緩んだので少し姿勢を楽に出来る様に直す、緩んだだけで放してくれる流れでは無いので抱え込まれたままであるが・・・

「オン・シベイテイ・シベイテイ・ハンダラ・バシニ・ソワカ」

 今回も薬師如来の真言から。

「南無仏南無大慈悲救苦救難広大霊感 白衣観世音菩薩 摩訶薩 南無法 南無僧 南無救苦救難観世音菩薩 怛只(ロ多)(ロ奄) 伽羅伐(ロ多) 伽羅伐(ロ多) 伽訶伐(ロ多) 羅伽伐(ロ多) 羅伽伐(ロ多) 娑婆訶 天羅神 地羅神 人離難 難離身 一切災殃化為塵 南無摩訶般若波羅蜜」

「ん・・・・」

 エリスが眉をしかめて痛みに耐える。まだ30分間隔か、長くなりそうだ。

「何時もの方もお願いします。」

 リクエストだ、珍しい。

「摩訶般若波羅蜜多心経・観自在菩薩・行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受・想・行・識・亦復如是。舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。是故空中、無色、無受・想・行・識、無眼・耳・鼻・舌・身・意、無色・声・香・味・触・法。無眼界、乃至、無意識界。無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。無苦・集・滅・道。無智、亦無得。以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罜礙、無罜礙故、無有恐怖、遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。故説、般若波羅蜜多呪。即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経」

「お湯沸かしてきたけど、大丈夫?」

 義父上と義母上も起きだして来たらしい、二人共不安気だ。

「今の所大丈夫です、お湯ありがとうございます。」

「何かあったら直ぐ呼んでね。」

「水と軽い食べ物お願いします、灯の時よりちょっと長くなりそうな予感がします。」

「はいはい、エリス、頑張ってね。」

 二人が部屋から離れて行った、義父上は流石に部屋に入れないらしく、只おろおろしている空気が伝わって来る。

 エリスが不安気に此方を見て来る。俺の腕を抱える腕の力が強くなる。

「大丈夫、少しゆっくりなだけだから。焦らなくて良い。」

 お湯の入ったタライに浸したタオルを片手で絞ってエリスの汗をぬぐった。

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