紙とペンとで。
奥野鷹弘
未来の自分への反省文
「はい、これから君たちには反省文を書いてもらいたいと思います。反省文といっても、ただの反省文ではありません。
はい、竜輝≪りゅうき≫と紗耶香≪さやか≫。悪いな、今日は仲良しではなく”お互いのため”におしゃべりをいったん中止だ。
また、君たちが何か悪いことをしたからという訳での反省文でもありません。君たちには、未来の自分に向けた事を反省文として書いてもらいたいのです。準備をして貰っていたように、今日は自分が一番気に入っているその目の前のペンで・・
はい、哲哉≪てつや≫…。大丈夫だ、あとでペンを借りにおいで。
そう、目の前のペンで、今配られたこの作文用紙1枚で思いを綴ってもらいます。ペンなので訂正はできません。一回限りです。修正ペンも禁止です。
うん春菜≪はるな≫、よく気付いたな。
もし間違えた時には、次のマスから書き進めてください。もし書き終えた時には、他を邪魔しないような感じでペンを置いて待っていてください。君たちが書き終えたころに、一度休憩を挿みと思います。
質問は、あるかな?」
「はい。先生、」
「はい。渉≪わたる≫。」
「これは、なんのために書くのですか。これはなんの為になって、なんの学びになるのですか。書けない人はどうするのですか。一枚に収まり切れない人はどうするのですか。そもそも、いま、学校を休みにしている人はどうするんですか?」
「そうか、渉には疑問なのだね。質問に答えようか。」
「優花≪ゆうか≫、大丈夫だ。いまは目の前に居なくても、今日は保健室に来て書いてもらったぞ。
『何のために書くか。何のためか。何の学びか。書けるか。収まるか、ないか。』
私は、君たちを信じている。
渉、すまない。答えにはなっていないだろう。
もちろん書くことが好きだったりとか、まとまらなくて1枚じゃ納まりが利かない子がいることはもう判っている。そして、逆になんでこんなことを授業でしているのか、はたまた考えが纏まらなくて書き進められなかったり、短かったりする人がいる事も先生は知っている。
だけど、その答えを見つけるのは”先生”でもないんだ。
とりあえず、今、君たちに眠っていることを、この作文用紙に落とし込みをしてみよう。そして、ほんの少しだけ先生と君たちとで振り返ってみよう。」
授業のチャイムが鳴り響いてから約10分間、クラス担任は何を想ったのか生徒に、たった1枚の作文用紙と生徒にとってのお気に入りのペンを1本だけ机に準備させて授業を開始した。不安そうな生徒たちや授業として真面目に取り込みをしようとしている生徒たちは、よくある授業雰囲気とは違う空気を漂わせることになった。それでもクラス担任である先生は、背が低いながらも凛とした真っ直ぐな目で、生徒をひとりひとり点呼をするように見渡していった。
先生の合図とともに書き綴られ始めた作文用紙と個人のペン。他人から見ればまるで拷問のように見えたりはしたが、時節、受験をしにきた生徒のような姿も見受けられた。異例の授業をさせていただくと報告と許諾をしていた校長先生は、クラス生徒背後を教室の扉の窓ガラスから様子を窺っていた。担任は軽く生徒に気づかれないように、校長先生の解釈をした後、また生徒に見せたあのまなざしを降り注がした。
はじめは取り組みのなかった生徒も無言の圧力がかかったように書き始め、または上手く自分の言葉が出来なくて半分埋まったっところで出始めから書き直す生徒も出てきた。不満を漏らすように口ずさんでしまう生徒もいたが、それでもクラスの雰囲気はいつもにはない大人な雰囲気を匂わせた。
ほんの少しだけ空いた窓が風でカーテンを揺らしてしまうため、邪魔にならない程度だけに担任はカーテンを括りつけに動いた。あとは、その生徒たちの筆圧音と紙の音と、山際に面した窓から聴こえる鳥と微かに聞こえる車のエンジン音だけが環境音となった。
最後の一人がペンを置いたころには、だれもが知る生徒はそこには居なかった。たとえ友達でも恋人でも、嫌いな人や好きな人、関わりのない人…何が起きたわけでもないのに誰一人何かを違和感として胸をつついた。担任が「休憩」と声にしても、自分が前に捉えていた休憩とは違う”休憩”が生徒たちの心を先行させた。前であれば、いつもと同じようにクラスの中で騒ぎまわったり、水を自由に飲みに行ったり、サボることを考えに老けたり、トイレに行って個人の時間を設けたり、ストレスを思う存分に相手に意地付けたり…それがなぜか今回ばかり起きなかった。
その様子を再確認した後で、担任は勝手に休憩時間を閉じて授業を再開にした。そう、もしかしたら、生徒たちは自分を見つめ直し続けてしまい、休憩時間になっても何かをする余裕を作ることが出来なかったのかもしれない。
「はい、皆さん・・いかがでしたか。
満足した子は居たかもしれないですが、きっと満足がいかなかった子の方が多かったと思います。いいえ、多いのではないですか。
そんな1枚でなにが書けるというのか。なんの目的で、いや”未来の自分に向けての反省”ということで、どこに焦点を充てて作文を埋めればいいかわからなくなったのではないでしょうか。
竜輝、竜輝の作文にはなんて書いてある?
紗耶香、紗耶香の言葉にはどんな思いが乗っかっている?
哲哉。哲哉の愛用のペンと、借りたペンで書くのと何が違った?
春菜。一枚じゃ埋まらなかっただろう?
渉…、渉は未来の自分は想像できたか?
――優花、過去をそんなに暗いモノじゃない。
他にもそうだ、みんな皆、それぞれの想いがそこには綴られているだろう。
書ききれたからって正解じゃないし、書ききれなかったからといっても正解じゃない。最後までマス埋めといて全部2縦線を引くことだって、何度も何度も訂正して、マスが減っていくこともって間違いじゃない。
いわいる、君たちの人生がその1枚に込められている。
その1枚に、君たちが凝縮されている。
その1枚で、君たちはいま
自分は今、
どんな状況に侵られているか示されている。
でもこれだけはどうか受け止めてほしい。
これが”自分”なのだと。
そして”愛してほしい”。
それから”愛され、愛を注いでほしい”。」
生徒たちが聴く先生からの言葉は、なんとなく胸に染みるように教訓として人生に落とし込まれていった。個人発信が当たり前なこの時とはいえ、逆に言葉が溢れすぎていて声を押し殺さなくちゃやってイケない日々がずっと続いている。それがいつしか地雷となって誰かに当たってしまう前に、個人の時間を設ける必要があった。今は難しくてもいい、だけど大事にしていてほしい、そんな想いが詰まった特別な授業でもあった――
紙とペンとで。 奥野鷹弘 @takahiro_no_oku
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