1.王子様は、悪魔だったり猫だったり

 ヴルーヘル学院には『王子様』がいる。

 靡くハニーブロンド。揺らめくサファイヤ。

 雪を欺くほどの白い肌に、通った鼻梁。

 形の良い唇から紡がれる言葉は、常に蜂蜜のように甘く。

 微笑んだ相貌は、艶やかを通り越して凄艶であった。

 その魅力は、身に纏う服が制服の白から黒に変わっても、変わらない。


「セシル様、あの! その格好は――!」


 いつもの制服を着ていない彼に、頬を染めた女生徒が問いかける。

 その声に、校舎の周りを歩いていた彼は、くるぶしまである黒い外套を翻しながら振り返った。中に着ているベストを飾る鎖が、シャラン、と小さな音を立てる。

 その格好はまるで、吸血鬼のようだ。


「もしかして、変かな?」

「いえ、そんな! むしろ、いつもより……」


 赤い顔を更に赤くして、女生徒が俯く。恥ずかし気にもじもじとつま先を合わせる彼女を見て、彼は何かを思いついたかのように唇から白い歯を覗かせた。

 そして、彼女の腰を引き寄せ、耳元でそっと囁く。


「もしかして、俺に血を吸われに来たの? お嬢さん」

「えっ? あの――!!」


 顔から湯気をあげながら慌てふためく女生徒を見て、彼は腰に回していた手を離す。そして、まるでいたずらが成功した子供のような、砕けた笑みを浮かべた。


「……なんてね」


 そのギャップに、今度は女生徒の腰は砕け、周りからは黄色い声が上がった。


『王子様』の名前は、セシル・アドミナ。

 悪魔の格好をしていてもなお、女性を魅了してやまない、男装の貴族令嬢である。


..◆◇◆


 襟の立った黒い外套に、臙脂色のベスト。いつも以上に大きく膨らんだクラヴァットを纏めるのは、こちらも臙脂色の四角い宝石だ。制服のスラックスよりも細身のズボンは、彼女の足をさらに細く、長く、見せていた。


「ごめんね、大丈夫?」

「あ、はい……」


 吸血鬼のような服装に身を包んだ『王子様』は、目の前で腰を抜かす女生徒を助け起こした。生まれたての小鹿のような足取りでようやく立ち上がった彼女は、どこで見ていたのか、集まってきた数人の女生徒に支えられながら、その場を後にする。


「大丈夫!?」

「しっかりするのよ!」

「私、もういつ死んでもいいですわ……」


 よろよろとした足取りの彼女は感動した様子でそう呟く。その声が少し涙に濡れているように聞こえるのは、気のせいではないだろう。


(なんか、悪いことしちゃったな……)


 少しびっくりさせてみようと思っただけなのに、あんなふうになるなんて予想外だ。想像していたのはほんの少し頬を染めるとか、照れるとか、そういう感じである。


「ホント、毎回毎回よくやるな……」

「え?」


 突然、背中に聞きなれた声がかかり、セシリアは振り返った。そこには予想通り、オスカーがいる。やりとりの一部始終を見ていたのだろう、彼の顔には呆れが滲んでいた。


「オスカー!」

「なんか騒がしいと思って来てみたら、やっぱりお前か……」


 彼はセシリアのそばに近づくと、頭一つ分低い彼女を見下ろす。そして、彼女の奇っ怪な格好に、目を眇めた。


「しかも、なんだその格好は? もしかして、『降神祭』の準備か?」

「あ、うん。そうなんだ。なんかリーンがはりきっちゃって……」

「また彼女か……」


 チャイナドレスの件を思い出したのか、オスカーの眉間に皺が寄る。

 辟易とした表情になった彼に、セシリアは困ったような顔で頬を掻いた。


『降神祭』というのは、その名の通り『神が降りてきた日』を祝うお祭りだ。

 プロスペレ王国には、悪魔を封印した女神の話が伝説として残っており、その伝説を模した祭りが年に一度、大々的に催されていた。

 祭りの期間は神が降りてきたとされる日を挟んだ前後二週間で、最初の週を『灰の週』、次の週を『明の週』と呼ぶ。

『灰の週』というのは、悪魔に支配されていた日々を表す週であり、国民はみな、悪魔を模した黒い衣装を着て祭りに参加するのが慣わしになっていた。逆に『明の週』は女神を模した白い服を着て、国民は祭りを盛り上げる。

 近年では収穫祭も同時に行うため、『降神祭』はプロスペレ王国最大の祭りとなっていた。

 さて、ここでポイントなのが、女神が降りてきた日だ。

 それは、十月三十一日。


 ぐだぐだと説明はしたが、要するにこれはゲーム内でいうところの【ハロウィンイベント】である。


(今が九月の半ばだから、あと一ヶ月後ってところか……)


 セシリアは、もうくたびれきった前世の記憶を引っ張り出して、息をついた。

 攻略対象たちがいつもとは少し雰囲気の違う衣装を着て登場するこのイベントは、ゲーム内でも一、二を争う人気イベントだった。しかも、このイベントでは仲良くなっている攻略対象とデートが出来る。二人で祭りを見て回るのだ。

 このイベントが分岐になっているキャラも多く、『降神祭』はセシリアの中でも特に印象に残っているイベントの一つだった。


(まぁ、【ハロウィンイベント】って言っても、みんながこんな風に仮装するってわけじゃないんだけどね……)


 セシリアは身体を覆う外套をつまみ上げる。

『ヴルーヘル学院の神子姫3』は、あくまでも西洋貴族社会をベースにした乙女ゲームである。吸血鬼や狼男などの伝説はあったりもするが、基本は童話で、キャラ達が今のセシリアのような仮装をすることはなかった。攻略対象が着ていたのは、貴族然としたかっこいい黒い衣装が基本である。もちろんキャラクターによってはモチーフが使われていることもあったが、それもほんのりとだけだ。

 では、セシリアにこんな衣装を着させ、世界観をぶっ壊しに来たのは誰なのか。

 それはもちろん、世界観クラッシャー:リーン・ラザロアである。


『セシリアは本来騎士じゃないから、決まった衣装はないのよね? それはつまり、私が衣装を作っても良いってことになるわよね!?』


『ハロウィンイベントなんだし、どうせなら思い切りやっちゃいましょ!』


 そう言って、彼女は意気揚々と足踏みミシンでこの衣装を作り上げたのだ。

 ちなみに、もうポージングして絵は描かれた後である。……次の小説の挿絵になるらしい。


『吸血鬼ものって、定番だけどやっぱりいいのよねー! 屈強な男が妖艶な男に捕食される様子ってそそられない!? 私はそそられる!』

 

 ちょっと、ホント何言ってるかわからない。

 彼女はそのほかにもいろいろと小物のようなものを作っていたが、怖くて何を作っているのかは聞けなかった。どうせ後でつけさせられるのだ。恐怖は一度だけでいい。


「話は大体わかったが。だからって、なんでそんな格好でうろうろしてるんだ? 祭りはまだ先だし、そんな格好だと目立って仕方がないだろう」


 眉を寄せるオスカーにセシリアは苦笑いを浮かべた。


「いや、リーンがさ、『動いても問題ないかどうか、そこら辺歩いてきて!』って。校舎内歩いてる方が目立つかなって思って外に出てきたんだけど、やっぱり外でもみつかちゃったね」


 肩をすくめるセシリアに、オスカーは長い息を吐き出した。


「まったくお前は……。それなら、部屋の中をぐるぐる回っているだけでも良かっただろう? 出てくるからああいうのに囲まれるんだ」

「まぁ、ついでに行くところもあったからさ。こうすると、あまり目立たないし。少しぐらいは良いかなって」


 そう言ってセシリアは外套を外して手に持つ。すると彼女は、正装をしているただの貴族の青年になってしまう。


「これならまだおかしくないでしょ?」

「まぁ、そうだな。……それで、どこに行くんだ?」

「グレースのところ。ちょっと用事があって」


 歩き出したセシリアに並ぶようにオスカーも歩き出す。彼からしてみれば元来た道を戻っている状態なので、もしかしたら送ってくれようとしているのかもしれない。

 オスカーは歩きながらセシリアの持っている外套をじっと見下ろした。


「それにしても、リーンは器用だな。前に着ていた異国の服も、彼女のお手製だろう?」

「あ、うん。上手だよねー。でもその分、クオリティには無駄に厳しいんだけど」

「そうなのか?」

「うん。これも捨てようとしてたんだよね」


 そう言って彼女がポケットから出してきたのは二つのもふもふだった。


「なんだそれ?」

「狼の耳?」

「狼?」


 オスカーが首をひねる。


「リーンってば最初、吸血鬼じゃなくて狼男にしようとしてたみたいで、さすがにそれはやめてもらいました」

「それはまぁ、そうだな」


 吸血鬼なら今のように外套を脱げばいくらでも繕えるが、狼男ではそうもいかない。

 セシリアは、手のひらのもふもふに視線を落としたまま、話を続けた。


「で。これはなんか形を間違えたとかで、捨てようとしていたから救助してきたんだ! 形が違うだけで出来も良いし、もったいないでしょ?」

「もったいないって……。そんなもの救助してきて何になるんだ?」

「んー。つける?」


 そう言ってセシリアは、金具もついていない二つの耳を自分の頭に当てた。そうして、上目遣いでオスカーを見上げる。


「どう、似合ってるかな?」


 恥ずかしそうにはにかみながら見上げてきたセシリアに、オスカーはびくりと反応して固まった。動かしていた足も当然止まっている。

 オスカーはゆっくりと項垂れて、そうしてまるで視界を遮るように目元を覆った。


「…………ねこ」

「え?」

「いや、なんでもない……」


 そう言ったオスカーの顔は、なぜだか少しだけ赤らんでいた。

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