33
「大丈夫?」
「平気だ。骨には異常はない」
「……ごめんね」
セシリアはオスカーの腕を消毒しながら、がっくりと肩を落とした。
オスカーが彼女を庇って怪我をしたのは三十分ほど前の話。
ベルナールはもうすでにジェイドとギルバートの手で別の場所に連行されており、セシリアとダンテは保健室でオスカーの治療を任されていた。治療といっても、服の上から噛まれた腕は血が滲んでいるものの軽傷で、できることはそんなに多くはなかった。せいぜい消毒と傷口にばい菌が入らないようにガーゼと包帯で保護しておくことだけだ。しかもこれもモードレッドが目覚めるまでの対処療法的な意味合いが強い。彼が目覚めれば、こんな傷すぐに治してもらえるだろう。
ちなみに、いつの間にかダンテはいなくなってしまっていた。「エミリーちゃんの話聞いて、ちょっと思いついたことがあるから」なんて言って出て行ってしまったたが、どうせサボりだろうとセシリアは考えていた。オスカーが怪我を負った時はあんなに必死の形相だったくせに、軽傷だと分かるとこの有様である。
ヒューイに気絶させられたモードレッドは、二人の後ろにあるベッドで静かに眠っていた。彼を運んできただろう二人の姿も見当たらない。
なので、保健室にはセシリアとオスカー、それと寝ているモードレッドしかいない状況になっていた。
「本当にごめんね。俺がよけきれなかったばっかりに……」
「だから、平気だと言っているだろう? それに何度も謝るな。俺はお前が無事なら、それでいいんだから」
「うん。ありがとう、オスカー」
セシリアは落ち込みながらも、以外にもてきぱきと治療を続けていく。彼女は料理の腕は壊滅的だが、決して手先が不器用というわけではないのだ。それにこういった治療は一通り、ハンスに叩きこまれている。
「そういえば、聞こうと思っていたんだが」
「なに?」
オスカーの声に、セシリアは包帯を巻く腕に視線を落としたまま聞き返す。
「最近、モードレッド先生に付きまとっていたのは、このことを調べるためだったのか?」
「え?」
予想だにしない質問に、セシリアは腕から視線を外しオスカーを見る。見上げた彼の頬はにわかに赤くなっており、なぜかじっとりと彼女をにらみつけている。
「うん。そうだけど」
「はぁあぁぁぁぁ――」
何が何だかわからないままにセシリアが頷くと、肺の空気をすべて吐き出すように、オスカーがため息をついた。そして、うなだれる。
「どうしたの?」
「いや、よかったな、と」
「何が?」
「……なんでもない」
覗き込むと、顔を逸らされる。もしかして、何か間違った回答でもしただろうか。
(オスカーのルートでは、保健室でのイベントはなかったはずだけどなぁ)
まぁ、別に怒っていないようなので、気にしないでおく。そもそも最近では、ゲームと話の流れにズレが生じすぎていて、ゲームでの経験が人生の参考にならないことも多い。
セシリアは治療を続ける。そしてふと、ある事に気が付いて顔を上げた。
「ねぇ。なんかこれ、前と逆だね」
「逆?」
「ほら、林間学校で! 俺、オスカーに頬の治療してもらったでしょ?」
そういいながら指すのは、右頬だった。まな板の破片が飛んできて、傷を負った場所である。あの時の二人は、まだこんな風に和気藹々と話せる間柄ではなく、この時の出来事が二人の距離を縮めたといっても過言ではなかった。
オスカーはふっと笑う。
「あぁ。そういえばそうだな」
「あの頃のオスカー、怖かったなぁ」
「そうか?」
「うん! 目なんかこーんなに吊り上がってたし! 『セシリアに会わせろ!』『予定は組めたか!』ってすっごく煩かったもん。正直ちょっと煩わしかったし!」
「そ、そうか……」
『煩わしかった』の一言に、オスカーは鳩尾を誰かに殴られたような表情になる。
「今はいい思い出だけどね! そういえば最近は、そういうこと言わなくなったね」
「そういうこと?」
「セシリアに会わせろとかどうとか」
以前ほどではないが、コテージに行く前だって週に一度ぐらいは『そろそろセシリアに会わせろよ』なんて言っていた彼が、ここ最近はめっきりそういうことを言わなくなっていた。それが快適だと思う分、セシリアはなぜ彼がそういうことを言わなくなったのか、少し気になっていた。
「あぁ、もしかして! コテージで再会したから、それで満足しちゃったとか?」
「別にそういうわけじゃない。……わざわざ会う必要が、もうなくなっただけだ」
なぜか言いにくそうに、彼はそう口にした。セシリアの疑問は一層深くなる。
「『わざわざ、会う必要がない』? つまり、穏便に婚約破棄ができる状況が整ったと?」
「は? 婚約破棄!? なんでそうなるんだ!」
オスカーの目は大きく見開かれる。
「え? だって、オスカーがセシリアとの関係を何とかしたかったのって、穏便に婚約破棄したかったからだよね?」
「はあぁ!?」
怒ったような彼の声に、身が竦む。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。いろいろと呑み込めない。なんで俺がセシリアと婚約破棄したがってるって状況になるんだ?」
「えっと、オスカーってリーンのこと好きなんだよね? だから、その、こう……いろいろ丸く収めるために……」
「は?」
オスカーの頬がひきつる。まるで信じられないものを見るような目で、彼はセシリアを見つめている。
頭痛がするのか、オスカーは頭を押さえだす。
「なんで、俺が彼女のことを好きとか、そういう話になるんだ?」
「えっと。…………勘? 見ててなんとなく――みたいな?」
前世やゲームの話などするわけにもいかないので、そう答える。すると、彼はさらに目を見開き「かん?」と、震える声で聞き返してきた。
思ったものとは違うオスカーの反応に、セシリアは首をかしげる。
「もしかして、今はリーンのことあきらめてる感じ?」
「なんで前はちょっと好きだったみたいな話になってるんだ……」
「違うの?」
オスカーは何も答えず、眉間の皺を揉む。そして、長い沈黙の後、疲れ切った顔でこう言った。
「俺は、リーンのことは好きではない……」
「え? なんで?」
「どうしてそこに『なんで』という感想が入るんだ」
本当に嫌そうな顔でオスカーは低い声を響かせる。その表情にセシリアは混乱した。
(もしかしてこの世界、『オスカーがリーンを好き』っていう最低条件まで違ってきてるの!?)
だとしたら大変である。
オスカーにリーンとは別に好きな人がいるとして。もし知らず知らずのうちにセシリアがその彼女を傷つけるような態度をとってしまっていたら、それこそセシルだろうがセシリアだろうがBADENDに一直線だ。
彼自身がセシリアBADENDの、一番のフラグである。
(ここは何としても! オスカーの好きな人を聞き出さないと!!)
「じゃぁ、オスカーの好きな人って誰なの?」
そこで回りくどく聞いたり、調べるのではなく、直接聞いてしまうあたりが、彼女の長所であり短所でもあった。
「……誰って……」
「俺、オスカーの友人だし! 応援してあげるよ! 誰?」
「……」
オスカーの顔色は悪い。というか、ちょっと怒っている気さえする。
「あ、わかった! さっき『わざわざ、会う必要がない』って言ってたよね? つまり、シルビィ家と格が並んでいる公爵家の女性? 確かにそれなら、シルビィ家も表立って反対はしにくいよね!」
「……」
「ってことは、ソニア・ウィルス様でしょ? 彼女、綺麗だって評ば――」
「違うっ!」
我慢ならないといった感じで、オスカーは立ちあがる。その衝撃で、座っていた椅子が音を立てて横倒しになった。包帯も取れかかってしまう。
「あぁ! 包帯が!」
「俺が好きなのは、ソニアではないっ!」
「え? じゃぁ……」
「俺が好きなのは、お前に決まっているだろうが!!」
「……へ?」
時が止まった。
セシリアは頭の中で、何度も先ほどの会話を反芻させる。おおよそ三分間ほどじっくり先ほどの会話の意味を咀嚼して、彼女は結論を出した。
「またまたぁ、冗談――」
「冗談じゃない!」
三分間の熟考を、わずか0.1秒否定される。
セシリアがおろおろとオスカーを見上げると、彼の顔はこれでもかと真っ赤になってしまっていた。その顔を見て、さすがに思い知る。
(これは、マジなやつでは……?)
ようやくきちんと彼の言葉が入ってきて、頬が熱くなった。
「えっと、オスカーが好きなのって……俺?」
そう確かめるように聞くと、オスカーは静かな声で「あぁ」とだけ返す。
そして、また沈黙が二人を包んだ。
(何を……言えば……)
こんな状況、想定してない。
セシリアが固まっていると、オスカーはいきなり頭を掻きむしり始めた。
「あぁあぁぁもう! 俺は出る!」
「へ? ちょっと!」
「あとは自分でできる! 先生が起きたらちゃんと治療をしてもらうから、心配するな!」
そう言うだけ言って、彼は保健室から足早に去っていった。
その背中を見送って、セシリアは頭を抱えた。
「どうしよう……」
(オスカーが、〝セシル〟を好き……?)
今までの出来事が頭を駆け巡り、恥ずかしさに変わる。
「オスカーって、
そのつぶやきにツッコむものは、今この場にいなかった。
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