30
ベルナールとティッキーの主従関係が、そのままブルセ侯爵家とコールソン公爵家の関係の縮図である。
貴族の格のせいもあるのだろうが、何より農業や飲み水等に使える川がコールソン家の領地の方にしかないことが、この異様な主従関係の原因だった。両家の領地は隣であり。およそ五十年前、ブルセ家はコールソン家に付き従うことを条件に、その川から水を引き入れるための水路を作らせてもらっていた。それゆえに、ベルナールも幼いころからコールソン家の人間には逆らってはならないと教え込まれていた。
当然、コールソン家に倣うように、学院にも行かせてはもらえない。
「全部、全部、全部、アイツが悪いんだ」
ベルナールの一日は、そう悪意を吐き出すところから始まる。
ベッドにうずくまり、一通り毒を吐いてから、朝食を食べに部屋から出る。そうでもしないと、とてもじゃないがこの生活に耐えられないのだ。
わがまま放題、暴れ放題。ベルナールのことは顎で使う。悪事には平気で加担する癖に、バレれば全部
それでも耐えなければならないのが、ブルセ家に生まれた彼の宿命だった。
しかし、数か月前。彼の感情は唐突に爆発してしまう。
当時、ベルナールはストレスのせいで不眠症に陥っていた。どうやっても眠ることができず、彼は早朝に散歩をするのが日課になりつつあった。
ある日、ベルナールはその早朝の散歩中に、新聞を取りに家から出て来たのであろう一人の少女と目が合った。自分でも支配できそうなぐらいにか弱そうな彼女を見た瞬間、彼の抑圧された感情が爆発した。
気が付けば馬乗りになり、彼女の頭をそこにあった石で殴ってしまっていた。
「あれは、よかったな……」
その時の高揚感を思い出しながらひとり呟く。あれは快感と言ってもいいのかもしれない。結局は邪魔が入り、少女を殺し損ねてしまったが。それ以来、彼は不眠で悩まされるようなことはなくなっていた。
彼女を殴った時の興奮を思い出して、『もう一度……』と思ってしまうときもある。しかし、彼女が死ななくて、一線を越えなくて本当に良かったと思ってしまう自分がいるのもまた事実だった。
一通り毒を吐き終え、部屋から出ようとしたその時だった。彼は扉と床の隙間に差し込まれるようにして置いてある黒い封筒に気が付いた。梟の透かしの入った、特徴的な封筒だ。
「これは……」
彼は封筒を手に取る。それは、ブルセ家の諜報員が使っているものだった。
貴族にとって他の貴族の情報は、時に金よりも価値がある。なので格の高い貴族の中には、そういう人間を専属で雇っているところもあった。
両親のもとにこの黒い封筒が届いているのは何度か見かけたことがあったが、ベルナールの元に届いたのは初めてである。何か自分に伝えたいことでもあるのだろうか。
ベルナールは中身を確認する。そして、目を見開いた。
「これで、あいつに恨みが張らせるかもしれない――」
そう言う彼の唇は、楽しそうに弧を描いていた。
..◆◇◆
グレースとの情報交換から三日後、学院にはいつもの光景が広がっていた。
「セシル様ー!」
二階の教室からかけられた黄色い声に、校舎の下を歩いていたセシリアは顔を上げる。視線の先には頬を赤く染める女生徒の姿。王子様らしい微笑を浮かべながら手を振れば、女生徒の中の何人かは、顔から湯気を出しながらクラクラと倒れてしまった。
そんな彼女たちのやり取りを見ながら、呆れたような顔を浮かべるのは隣を歩くギルバートである。
「ホントよくやるよね、それ」
「それ?」
「王子様ごっこ」
半眼になりながらそう言う彼に、セシリアはガッツポーズをしてみせる。
「大丈夫! もう結構慣れて来たから!」
「別に心配してるわけじゃないからね」
「え? そうなの?」
「というか、どう聞いたらそういう風に聞こえるのさ」
どこまでも自分の都合のいいようにとる義姉である。
そんな風に和気あいあいとした会話をしていると、不意に校舎から先生が顔を覗かせた。そして、ギルバートを見つけて声を上げる。
「あ、いたいた! ギルバート!!」
背中でその声を受けた二人は振り返った。先生は駆け寄ってくる。
「どうかしましたか?」
「お前に来客だぞ」
「来客? まさか……」
嫌な予感にギルバートの眉が寄った。とうとう学院までティッキーが乗り込んできたのだろうか。そんな彼の憂いを察知したのだろう、先生は首を振る。
「いや、今回は違うぞ。今日来ているのはブルセ家の嫡子だ。ベルナールと名乗っていたぞ」
その言葉に、セシリアとギルバートは互いに顔を見合わせた。
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