29


 思いもよらぬ情報にセシリアは大きく目を瞬かせる。


「もう一つの人格?」

「解離性同一性障害。通称、二重人格。いつも私たちが見ている温和な彼の一面を表の顔とするのなら、その裏にある憎悪にまみれた顔がキラーの正体です」


 驚き、言葉を失うセシリアに、グレースは「ここからはゲームの話になりますが」と一つ前置きをした。


「キラーが生まれたのは、妹であるエミリーの死がきっかけでした。『障り』に侵された人間にたった一人の家族であるエミリーは殺され、先生は妹を守ってくれなかった神子を恨むようになります」

「それは……」

「はい。もちろん八つ当たりのこじつけです。『障り』を押さえておくことが神子としての責務だというのなら、『障り』を押さえておけなかった事自体は彼女の罪でしょう。しかし、『障り』に侵された人間が誰かを害しても、それは神子の責任ではありません」


 ギルバートのつぶやきがわかっていたように、彼女はそう答える。


「しかし先生は、そこまで割り切れなかった。溺愛していた妹が死んだ悲しみに耐えきれず、誰かを恨むことしかでしか自分を保てなかった。そうして、神子を恨むキラーが生まれたんです。……けれど、神子を殺すことはとてもじゃないが叶わない」


 グレースは手のひらを胸に当てる。


「だから、神子ではなく神子候補を殺すことにしたんです。そして、最初の被害者が、私、グレース・マルティネスになる予定でした」

「つまり貴女は、エミリーさんを守ることで自分の命を守ったということですか?」

「正確に言えば少し違います。ゲームの中で、私は大けがを負いますが、死にはしませんから」


 ギルバートの質問に、グレースはまた驚くべき事実を口にする。


「ルートの最終章。自分の中のキラーという存在を消し去った先生は、主人公の手を握りしめながらグレースを殺してしまったことを悔やみます。そこに仲間の一人であるオスカーが現れ、こう言います。『グレースは父が王宮で保護している。先生は誰も殺してなんかいません』『グレースが死んだとされる記事は、一命をとりとめた神子候補を守るための偽情報でした』と」

「なっ……」

「その事実に主人公と先生は手と手を取りながら喜び、涙を流すのでした。ちゃん、ちゃん」


 情報が多い。セシリアは頭がパンクしそうだった。本来なら何時間もかけて飲み込むはずのストーリーを数分で説明されているから当然なのかもしれないが、うまく処理が追い付かなくて素直に驚くこともできない。

 グレースは混乱しっぱなしのセシリアに、突然視線を移してくる。


「ちなみに、バッドエンドではモードレッド先生がキラーの人格に飲み込まれ、たまたま近くを通っていたセシリアを惨殺して終わります」

「ひっ!」


 さすがにこれは一瞬で理解をする。セシリアは自身の身体を抱きしめた。


「スチルなどはありませんでしたが、文章では、生きたまま手足を切られ、臓物を――」

「やだやだ! 聞きたくない!!」


 今度は耳を押さえる。

 どうしてこうも、セシリアばかりに死ぬ運命が待ち受けているのだろうか。

 セシリアとは違い、事実をすべて飲み込めたギルバートは顎を撫でながら情報をまとめる。


「つまり要約すると、モードレッド先生の裏人格がキラーで、彼が現れるトリガーが『エミリーの死』。貴女は自分の身を守るというより、キラーを生み出さないようにするためエミリーを助けた」

「はい、そうです。……結果は、成功とは言えませんが」

「と言うと?」

「私も転生などは初めてだったので、ここが『ヴルーヘル学院の神子姫3』の世界だと気づくのが遅れてしまったんです。そのせいでエミリーを完全に助けることができませんでした」


 グレースは悔しそうな顔でした唇を噛んでいる。病院で見せたのと同じ表情だ。

 彼女の話から一つの事実に行き着いたセシリアは、はっとした顔でギルバートを見る。


「じゃぁ、キラーが最近動き始めたのって……」

「エミリーさんが亡くならなかったことにより、人格ができる時期がずれたんだろうね」

「え? キラー、現れたんですか?」


 今度はグレースが驚く番だった。

 セシリアたちが夏休みにコテージで起こったことを説明すると、彼女は難しい顔で額を押さえた。


「これはもう、モードレッド先生の中からキラーを消すしか方法はないですね」

「え。そ、そうなの?」

「はい。放っておけば、被害は拡大するでしょう。リーンはもちろんですが、私も貴女も神子候補だとバレたら一生キラーに狙われる羽目になります」


 その予想にセシリアの表情はこわばった。


「せ、選定の儀が終わったら落ち着くとかでは……?」

「ないと思います。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、というやつですよ。一度ターゲットにされれば逃れることはないと思います」

「では、キラーを消す方法は?」


 切り替えるようなギルバートの言葉に、グレースは指を二本立てた。


「私は二つあると考えています」

「二つ?」

「はい。一つは、キラーを生み出すきっかけとなったエミリーを、何らかの方法で目覚めさせること」


 グレースは立てていた指を一本折る。


「もう一つは、エミリーを害した犯人を捕まえる、という方法です」


 そう言いながら、彼女はもう一本の指も折った。困惑したのは、もちろんセシリアである。


「犯人って、『障り』に侵された人、って情報しかないんだよね? しかも、記憶だってないかもしれないって話じゃ……」


 病室でのモードレッドの言葉を思い出しながら、セシリアはそう言う。


「いえ。エミリーをあんな風にした人間は『障り』に侵されてなんかいなかったんです」

「え?」

「犯人は自分から注意を逸らすため、自らああいう噂を撒いた。そうすれば罪の所在は犯人よりも『障り』に行きやすくなる。現に、先生の怒りの矛先は、犯人ではなく『障り』に向いた」


 セシリアは身を乗り出す。


「じゃぁ、真犯人は?」

「ベルナール・ブルセです」

「ベルナールが!?」


 グレースはしっかりと頷く。


「ティッキー・コールソンの金魚の糞。ジェイドルートでは追い詰めるべき暴行魔。彼の暴行事件、一件目の被害者が、実はエミリーだったんです」


 ベルナールのことはジェイドルートでも掘り下げられていた。彼の屈折した性格はティッキーにより形成されたものであり、ベルナールは日々与えられているストレスを、小さな子供と女性を害することで解消していた、と。

 グレースは続ける。


「本来ならエミリーが死ぬことにより、ベルナールの暴力性は増す予定でした。しかし、エミリーは生きていた。そのことにより彼の暴力性は鳴りを潜め、ゲーム通りに犯行を繰り返さなくなりました」


 以前セシリアは、事件を起こしていないベルナールを見て『性格が変わったのかな?』なんてのんきなことを考えていが。まさかこんな事件が隠れていたとは、予想もしていなかった。


「でも、それならベルナールを憲兵に突き出せば!」

「それはお勧めしません」


 グレースは視線を落とす。


「相手は侯爵家子息です。よほどの証拠がない限り、憲兵も動いてはくれないでしょう。現に私が行ったときは追い返されました。それどころか『お前がやったんじゃないか』とも……」

「だけど、エミリーを起こすよりはベルナールを捕まえる方が確実ですよね?」

「それはそうですが、証拠が……」


 セシリアもグレースと同じように目を伏せた。

 ギルバートの言う通り、エミリーを起こすより、もう正体のわかっているベルナールを捕まえるほうがはるかに簡単かもしれない。しかし、それも比べれば・・・・の話だ。どちらも難関なことには変わりない。

 しかもベルナールは、今後事件を起こさない可能性のほうが高い。そのこと自体は喜ばしいことだが、それは同時にもう新しい証拠は出ないということを示していた。つまり、ベルナールを捕まえるのならば、エミリーの事件のことをさかのぼって調査しないといけないということになる。


(そんなこと、できるのかな……)


 憲兵だってある程度は調べているだろう。そのうえで犯人が見つかっていないのだ。素人のセシリアたちにそんなことができるのかは、謎だった。

 ギルバートは視線を逸らしたまま逡巡する。

 結局、その日はいい作戦が思いつかないまま、情報交換会はお開きになってしまった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る