27


 エミリーの病室でグレースを紹介してもらってから二週間。

 もはやそれは、日課となりつつあった。


「あっ! モードレッド先生!」


 放課後、校庭の隅で見かけたモードレッドに、セシリアは駆け寄った。


「こんにちは!」

「……はい、こんにちは」


 笑顔のセシリアに対してモードレッドは、辟易とした顔で応じる。表情をめいいっぱい使って『またか』と語る彼は、本当に嫌そうだ。

 それもそのはずだ。この二週間、セシリアはモードレッドを構い倒していた。理由がなくても、話題がなくても、時間がなくても、彼女はモードレッドを見かけるたび飛びついていった。彼が行くだろう所には先回りをして待ち伏せをし、朝には必ず保健室に寄るようにしていた。

 セシリアにとって、それはモードレッド攻略のための作戦だったのだが、彼の表情からいって、どうやら好感度はあまり上がっていないようだった。

 セシリアは笑顔のまま、モードレッドに話しかける。


「お暇でしたら、一緒にお話ししませんか?」

「またそれですか」


 深いため息とともに、モードレッドは頭を振った。さすがのセシリアだって、そこまでされれば彼に歓迎されてないことぐらいわかる。けれど、彼のルートや分岐点などがわからない以上、こうやって地道に話しかけることぐらいしか、彼女にできることはなかったのだ。


(本当はグレースさんとか、キラーのことも気になるけど……)


 頭の片隅で先日のギルバートの声が蘇る。けれど、こればっかりは気にしてもしょうがない。今の時点ではどの情報も確かめることができないからだ。

 セシリアは別の方向に傾きかけた思考を正し、笑み再びを張り付けた。今は目の前のことに集中するべきだろう。


「先生、そんなこと言わないでくださいよー!」

「最近なんなんですか? 本当にしつこいですよ?」

「それだけ先生と話したいってことです!」

「私には話すことはありません」

「俺にはあります!」

「……メンタル鋼ですか? 君は……」


 そう言いながらも、足を止めてセシリアと話してくれるのだから、彼はなんだかんだといって優しい。セシリアがベンチに座ると、彼も諦めたように隣に腰かけた。しかし、怪訝な顔は変わらない。


「なんで私に近づくんですか?」

「えっと、だめですか?」

「だめというわけではないですが、別に私といても君は面白くないでしょう?」

「そんなことないですよ!」


 セシリアは首を振った後、胸の前に拳を掲げた。


「なんか最近では、無下にされるのが癖になってきましたし!」

「……私にはそういう趣味ありませんからね」


 モードレッドは頬を引きつらす。

 好感度を上げるのには失敗したかもしれないが、話しかけるうちにこういう表情を見せてくれるようになったのは、一つの進歩だった。


「そうそう、実は今日ちゃんと用事があったんですよ!」


 セシリアは、鞄から本を二冊出す。どちらも小説本のようだった。


「実家から送ってもらったものなんですけど、エミリーさんはどっちが好きかなって!」


 セシリアはモードレッドに本を差し出す。一冊は女の子が好みそうなシンデレラストーリー、もう一冊は定番の冒険譚。どちらもこの国の人間ならだれもがよく知る、有名な物語だった。


「これを、エミリーに?」

「あ、はい! 実は最近、話しかけるネタも尽きてきたんで本でも読んであげようかと! あ、でも。もうちょっと年頃の女の子が好きそうな本がよかったですかね? ちょっと年齢層低かったかな……」


 もしかしたらリーンが書くような小説の方が彼女好みなのかもしれないが、あれはとてもじゃないが朗読できるものじゃない。


「眠っていても、もしかしたら聞こえているかもしれませんし。出来るだけ楽しい話を……とは思ってるんですけどね」

「君はもしかして、私がいないときでもエミリーの病室に通ってるんですか?」

「あ、はい! さすがに毎日じゃないですが」


 なんてことない表情で答える彼女に、モードレッドは目を見開いた。その表情をどうとったのか、セシリアは慌てだす。


「あぁでも! 一応、リーンについてきてもらってますよ! ついてきてもらってない日も、扉はきちんと開けてますし! 二人っきりになんてなってません!!」

「そこは心配していませんよ。そのぐらいは、君のことを信用していますから」

「それはよかったです……っ」


 セシリアはほっと息をつく。リーンによれば、モードレッドは妹を溺愛していたという。そんな彼に『妹によからぬことをしていたのでは……』と疑われた日には、もう好感度どうのこうのとは言ってられない関係になってしまうだろう。


「でも、そうか。どうりで最近、花が頻繁に変わっていると……」

「俺の前にグレースさんが来てることもあるので、全部が全部、俺が持ってきた花ではないですけど」

「そう、ですか」


 モードレッドは複雑な表情になる。そして短い沈黙の後、口を開いた。


「けれど、どうしてエミリーのお見舞いに? 君はそこまでして私と仲良くなりたかったんですか?」


 セシリアの行動の意図がわからないのだろう。彼は怪訝な表情を彼女に向けていた。


「えっと。最初は確かにモードレッド先生と仲良くなりたくてお見舞いに行ってたんですけど。でも今は、単純に早くよくなってもらいたくて!」

「……」

「自分と変わらない歳の女の子が、ああやって寝てるだけなんてもったいないじゃないですか!」


 屈託のない顔で笑うと、モードレッドは少し驚いたような顔つきになる。

 セシリアは自分の前世と、エミリーを少し重ねてしまっていた。人生の一番楽しいときにその場から退場せざるを得なかった自分ひよのと、眠ったまま休場しているエミリー。自分はもうその場には戻れないけれど、エミリーには出来るだけその場に戻って今を楽しんでもらいたかった。


「ギルに聞いたんですけど。いろんな人が話しかけることによって刺激が加わって、ああいう状態から目覚めた人もいるみたいなので! 少しぐらいはお手伝いになるんじゃないかと!」

「それで、本……?」

「あはは。俺がもっといろんな話題を持ってればよかったんですけどねー」


 すみません、とはにかみながら頭を掻く。そんな彼女の様子に、モードレッドは俯いた。そして、肺の空気をすべて出すようなため息をつく。


「え? なんか気に障りました? すみません!!」

「いえ。君がどうやって人を誑かしているのかが、よくわかりました」

「たぶ……へ?」

「あの子は、こっちの本の方が好きだと思いますよ」


 言いながらモードレッドが指したのは冒険譚の方だ。その表情は先ほどに比べて幾分か優しい。


「エミリーは、あの子のために用意した本よりも、私が子供の頃に読んでいた本を好んで読んでいましたからね。冒険譚とか、英雄譚……そのあたりの本が好きですよ」

「そうなんですね! ありがとうございます!」


 セシリアがお礼を言うと、彼は一つ笑みを浮かべた後、立ち上がった。


「それでは、私はもう行きますね。……今日は、病院の方には?」

「行く予定でした!」

「それでは後で会いましょう」


 そう言ってモードレッドは去っていく。

 セシリアは彼の背中を見送りながら首を傾げた。


(なんか、今のいい感じだった?)


 どうしてモードレッドが優しくなったのかはわからなかったが、なんとなく一歩前進した気分だ。


(もしかして、本のチョイスがよかったのかな。先生、冒険譚好き?)


 そんなことを考えていると、ふと背後から視線を感じた。振り返ると、背後の低い生け垣がもぞもぞと動いている。


(もしかして、リーン?)


 セシリアはため息をつく。もしかして今度は『セシリア×モードレッド』だろうか。事業にまで拡大してしまった彼女の趣味は単純にすごいと思うのだが、友人をモデルにするあたりだけ、どうにもいただけない。


「リーン」


 そう声をかけると、生け垣がびくりと反応した。セシリアは半眼になる。


「怒らないから出てきたら?」

「……」


 しかし、リーンは全く出てくる気配がない。それどころか、ちょっとずつ気配が遠ざかっていく。このままとんずらする予定だろうか。


「もー! 怒らないってば!」


 セシリアは立ち上がり、生け垣の中を覗き込んだ。そして固まる。


「へ? ……グレースさん?」


 そこにいたのはグレースだった。

 彼女はセシリアと目が合うと、まるで驚いた猫のように飛び上がった。そして、踵を返し、逃げようとする。


「ちょっとまっ――」

「ぎゃっ!」


 しかし、彼女は足をもつれさせて前のめりにこけてしまう。そして、持っていたものが前に転がり出た。それは片手で持てるぐらいの四角い木の箱だった。箱は側にあった石に当たり、ガチャ、と何かスイッチの入るような音を響かせる。

 瞬間、なぜかその場にモードレッドの声が広がった。


『いえ。君がどうやって人を誑かしているのかが、よくわかりました』

『たぶ……へ?』

『あの子は、こっちの本の方が好きだと思いますよ』


 先ほどの会話がその場で再生される。どうやらあの木の箱は、彼女の研究している小型の蓄音機らしい。


(でもどうして、モードレッド先生の会話を……)


 グレースは転がった蓄音機に駆け寄る。


「わ、私の須藤翔コレクションが!!」


 その台詞を聞いて、セシリアは彼女が転生者だと一瞬で理解をした。



 須藤翔――それはモードレッドの声を担当していた、声優の名前である。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る