26

 セシリアの様子がおかしい。

 オスカーがそのことに気が付いたのは、夏休みが明けて、一週間ほどたったころだった。

 男物の制服を着て、王子様と比喩される言動をし、次々に女生徒を魅了していく様だけでも、普通に考えれば十分におかしいのだが。それを『いつものこと』だと一万歩譲ったにしても、最近の彼女の様子はおかしかった。


「モードレッド先生!」


 跳ねるような声を上げながら、彼女は中庭を横断し、モードレッドに駆け寄る。オスカーはその様子を、二階の窓からじっと眺めていた。


「アイツは一体何をやってるんだ?」


 上気した頬に、楽しそうな横顔。近すぎる二人の距離になぜか変な焦燥がこみあげてくる。

 今にして思うが、どうして自分は彼女を男性だと思っていたのだろうか。どこからどう見ても完全に女性じゃないか。まったく、思い込みとは恐ろしいものである。


(なんで男装をしているかは聞けない、が……)

「今なにをしているのかぐらいは、聞いてもいいだろうか?」


 オスカーは呟くようにそうひとりごちた。

 セシリアが男装あんな恰好をしているのは、必要に駆られているからだ。その裏には何か重大な理由がある。それはギルバートの発言からも明白だった。もしかしたら、急にモードレッドと仲良くしだしたのも、その理由が原因かもしれない。


(先生の手を借りたくて近づいている、とかだろうか……)


 それならば今の彼女の行動も理解できる。

 オスカーはセシリアとモードレッドの背を見送って、窓から視線を外した。


「困ってるのなら、何か手助けしてやりたいんだが……」


 友人としても、婚約者としてもそう思う。それと少しだけ、本当に少しだけ。ギルバートへの対抗心もあった。彼ばかりがセシリアに頼られている現状が、どうしても気に入らない。

 そして、その機会は意外にも早くやってくるのである。



「オスカー! モードレッド先生知らない?」


 翌日、廊下を歩いていたオスカーはセシリアにそう呼び止められた。振り返ったオスカーに彼女は駆け寄ってくる。走ったためか、ほんのりと赤くなった頬が可愛らしい。


(子犬、みたいだな)


 オスカーは咳ばらいをし、緩みそうになった表情を改める。納得はしていないが、一応彼女の嘘に付き合うと決めたのだ。気を引き締めていないと一気に瓦解してしまう。もともと自分はそんなに嘘が得意な方ではないのだ。


「先生がどうかしたか?」


 正体を知る前と変わらない口調でオスカーはそう尋ねる。表情を見る限り、疑われてはいないようだ。


「別にどうもしないんだけど。一応一日一回は会話しようと思ってるから、探してるんだ!」

「一日一回?」

「そ。一日一回」

(なんだそのノルマみたいな考え方は……)


 ますます彼女がなにをしたいのかわからない。

 オスカーの怪訝な顔が見えないのか、セシリアは困った表情で腕を組む。


「先生って授業受け持ってないし、保健室にいなかったらどこにいるかわからないんだよねー。今日はお見舞いに行く日じゃないし。まぁ、どちらにしろ俺は行くんだけどね!」

「最近、妙にモードレッド先生に近づいてるな。……何か目的があるのか?」

「へ?」


 セシリアは大きな目をさらに大きく見開いて、オスカーを見上げる。小首をかしげる様はちょっとした小動物のようだ。……可愛い。

 オスカーは再び咳ばらいをし、唇を引き締めた。


「急すぎて逆に不自然だぞ? もし何かに困っているようなら、俺が手伝ってやるから何でも――」

「え? オスカー、手伝ってくれるの?」

「あ、あぁ……」

「やった!」


 あまりの喜びようにちょっと引いてしまう。すると彼女は突如オスカーの腕を取った。


「じゃ、ちょっとこっち来て!」


 セシリアは彼の腕に両腕を巻きつかせる。

 その瞬間、オスカーの肘に何か柔らかいものが当たった。


「――っ!」


 男装をするために潰されてはいるが、位置的にこれは間違いがないだろう。

 その正体に行き着いて、思わず身体が硬直する。体温が上がるのが止められない。


「ほら、こっち!」


 セシリアは、オスカーを人気のない階段の踊り場に連れて行った。

 もうそれだけで頭痛がしてくる。


(本当に何をやっているんだこの馬鹿は――!!)


 叫び出しそうになるのをぐっとこらえる。

 セシリアはオスカーの腕を離し、頬を染めたまま、もじもじと両手の指先を合わせた。


「えっとね。……実は……」


 肘に当たった胸の感触が頭の中を駆け巡っているので、ちゃんと内容が入ってくるか怪しいが、表情は努めて冷静を装う。


(この馬鹿の、嘘に付き合うと、俺は決めたんだっ!)


 今にも瓦解しそうな誓いである。

 セシリアはオスカーを上目遣いで見上げる。同時にオスカーは自らの顔を覆いたくなった――が、我慢をする。これは、おそらく己との戦いである。


「えっとね。実は先生と仲良くなろうと思って……」

「だから、先生と仲良くなって何をしてもらう気なんだ? もし、俺にできることなら、先生の代わりに俺がやってやるぞ?」

「やるって何を?」

「だから! 先生に何か頼もうとしていたんじゃないのか?」

「頼む?」


 セシリアは首を捻ったまましばらく固まる。そして、首を横に振った。


「ううん。俺、先生と仲良くなりたいんだ」

「仲良く?」

「うん! 単純に仲良く! 恋人と同じぐらいの、親密な関係になりたくて!」

「…………は?」


 うまく言葉が呑み込めない。理解ができない。


(今、恋人とか言ってたか……?)


 頭痛が臨界点を越え、今度は眩暈がした。

 可愛い婚約者が、なぜか理由も教えてくれないまま男装をしていて、未来の夫を前に『別の男性と、恋人と同じぐらいの親密な関係になりたいの!』なんて言っている状況だ。

 控えめに言って地獄である。


「モードレッド先生とは、何でも相談してもらえるぐらいの関係になりたいんだ!」


 無邪気に人の心臓を貫いてくる女である。

 オスカーは思わず壁に手をついた。そうでもしないと倒れてしまう。


(セ、セシリアはそんな不誠実な奴だったのか!?)


 婚約者がいながら他に恋人を作るような奴だったのかと、一瞬そう疑ってしまったが、彼女がそんな人間ではないことは自分が一番わかっていた。


(しかし、両想いというわけではないのだし。もしかしたら彼女は先生のことが――)


 そんな思いも一瞬頭をもたげたが、すぐさま蓋をした。今はその可能性について考えたくない。

 セシリアは嬉しそうな表情でオスカーの手を取る。


「オスカー、協力してくれるんだよね?」


 好きな女性の満面の笑みに、脊髄反射の勢いで頷きそうになる。

 しかし、オスカーは頭を振った。ここは耐える。

 なぜ、好きな女と別の男をくっつける手伝いをしないといけないのだ。

 けれど、期待に満ちた瞳にそう言う勇気もなくて、オスカーはセシリアから視線を外すと額を押さえた。


「す、すまない。少し考えさせてくれ……」


 その台詞に、彼女は可愛らしく唇をすぼめながら「えー」と不満そうな声を出した。

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