22 閑話休題【ギルバートの夏休み】
コテージから帰ってきたその日の夜。ギルバートは寝苦しさに目を覚ました。仰向けに寝転がったまま額を拭えば、拭ったその手がじっとりと汗で濡れる。
(――暑い)
湿度を含んだ重たい空気が身体にまとわりつく。夏季でも比較的過ごしやすいといわれるプロスペレ王国でも、暑い日は暑いのだ。特に涼しい水辺から帰ってきた今日のような日は、暑さが身に染みる。
(水でも飲んでこよう)
ギルバートは微睡んでいた頭を無理やり覚醒させ、身体を起こす。そうして、視線を横に滑らせて――固まった。
「な、んで……」
絶句してしまうのも無理はない。彼の隣にはセシリアがいた。彼女はギルバートと同じ布団にもぐりこんだまま、すやすやと寝息を立てている。
(まさか、何か――!!)
こうなった時に一番信じられないのは自分自身だ。勢いで彼女に何かしてしまったのではないかと、慌てて自身の身体を確かめる。そして、恐る恐る彼女にかかっている布団を捲り、安堵の息をついた。
(よかった……)
彼女はちゃんと服を着ていた。その事実にギルバートは顔を覆う。
ビックリした。ほんとにもう、ビックリした。
先ほどまでとは違う理由で、汗が肌を湿らせる。
(そういえば、一緒に寝たいとか言ってたっけ……)
セシリアの言動を思い返しながらギルバートは息をつく。
昨晩、セシリアは自分の枕を持ったままギルバートの部屋に来た。夏用の薄い夜着にびっくりしながらも、どうしたのかと聞けば『キラーが怖いから一緒に寝てくれない?』と彼女は言う。どうやらリーンに脅されて、急に怖くなったらしい。いつもより青白い彼女の顔を可哀想だと思いつつ、『警備を増やすように言っておくから』と、ギルバートはセシリアを部屋まで送り届けた。その時は、それで納得したと思っていたのだが……
(まさか、眠っている間にもぐりこんでくるとは思わなかった)
どうやら納得はしてなかったらしい。
ギルバートはセシリアの布団をかけ直す。その時、のぞいていた白い鎖骨に目が止まった。さらけ出されたデコルテ部分は、暑さのためかほんのりと上気している。汗ばんだ彼女の肌に、束になった髪が張りついて、それが妙に艶めかしく思えた。横になった彼女の胸元に汗の玉が浮かび上がる。それが肌を滑って、彼女の谷間に滑り落ちていく。
ギルバートは滑っていく汗の玉を見届けてから、顔を逸らした。
(だめだ)
体温が上がる。彼女は自分を義弟としてしか見ていないだろうが、自分は彼女を女性として見ているのだ。口では『姉』と言っていても、本当に『姉』だと思ったことは一度もない。
キラーは確かに危険かもしれない。けれど、今この状況で一番危険なのは自分自身だった。
「んんっ」
寝苦しいのだろう。セシリアは寝返りを打ち、今度は布団の端から足を出してきた。太ももまで出てきた彼女の足に、ギルバートは慌てて布団をかける。
「はぁあぁ……」
ため息ばかりが口からこぼれる。水を飲みに行こうと思っただけなのに、なんだこの仕打ちは。
こんな状況ではいけないことばかりが頭をめぐってしまう。
ギルバートはセシリアの頬に張り付いた髪の毛を払う。そうして、そのまま親指で唇に触れた。
ふにっと押しつぶすと、柔らかい感触に眩暈がした。
「姉さん。婚約破棄したいんでしょ? させてあげようか?」
囁くような声でそう問いかける。婚約というのはもちろん、オスカーとセシリアの婚約のことだ。ギルバートはそれを破棄する方法を知っていた。
(考えてみれば、簡単な話なんだよな……)
王妃として彼女に求められているのは、知性と品格と血統。それと、純潔さだ。これのどれかを剥奪すれば、彼女の王妃としての資質は失われることとなる。つまり――
(俺がこの場で……)
ギルバートはもう一度セシリアの唇を押し、そのまま唇をゆっくりとなぞった。
「でも、嫌われるだろうな」
奪うことはきっと簡単だ。けれど、それをすれば彼女は傷つくだろうし、もうきっと口もきいてもらえなくなる。
でも、それで彼女が手に入るなら、ずっとそばにいてくれるのならば、安いものではないのだろうか。あんなに毎日のように『好きだ』『好きだ』と言ってくれる彼女のことだ。もしかしたら、時間が立てば許してくれるかもしれない。
「あぁもう!」
ギルバートはその場に寝転がった。普段考えないようにしていることがまざまざと浮き彫りになり、自分自身に嫌気がさす。
「殿下なら、絶対にこんな手思いつかないんだろうな……」
ギルバートから見て、彼ほど誠実で清廉潔白な男はいない。彼ならたとえギルバートと同じ立場に立ったとしても、セシリアを傷つける手なんて思いつきもしないだろうし。よしんば思いついたとしても、論外だと切って捨てるだろう。
天井を見上げていると、数日前に聞いたリーンの声が脳裏に蘇ってくる。
『貴方、義姉の幸せのためなら自分でさえも犠牲になっていいと思っている質でしょう? 心のどこかで、セシリアが幸せになるのなら、殿下に彼女を譲ってもいいとさえ思っている。全力で抗いながら、でも諦める算段もどこかでしている』
『嫌いよ、ギルバート。貴方のそういう計算高いところが。あきらめている人間が、私はこの世で一番嫌いなの』
「そりゃ、たまには弱気にだってなるだろ」
ギルバートは弱々しくつぶやく。
このままオスカーと結婚すれば、きっとセシリアは幸せになれる。彼は何が何でも彼女を守ってくれるだろうし、大切にしてくれる。それはもう誰もがわかっていることで、もはや確定事項に近い。
だから、抗っているのはギルバートただ一人だけなのだ。自分だけが必死に側にいてほしいと彼女の手を握りしめている。
ギルバートは彼女の唇を押さえていた親指で、自分の唇に触れた。
(誰にだって譲る気はない。だけど……)
耳元で規則正しい寝息が聞こえる。横を向けば、瞳を閉じたセシリアがいた。
そして、またリーンの声が頭を揺さぶる。
『推しってやつ。私にとってのヒューイ君みたいな存在ね。……つまり、好きな人ってこと』
「姉さんが好きだった男って、殿下なの?」
セシリアはその言葉に答えることなく、再び寝返りを打った。
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