12

「すみません。まさかこんなところで迷ってしまうとは……」


 皆と同じ夕食を囲みながら、モードレットはそう言って頭を下げた。

 保健医としてだけでなく研究者としての顔も持つ彼は、『障り』に侵されたらしい野犬を見つけて、ここまで追ってきてしまったらしい。そして迷い、オスカーの騎士に捕まった。


(そういえばモードレッド先生って、極度の方向音痴って設定だったものね……)


 扇で顔を隠し、食事には手を付けないまま、セシリアは前世の記憶を巡らせる。

 学院の敷地内と自分が普段行き来している場所以外、彼は案内無くしては歩けないほどの方向音痴という設定だった。そんなモードレッドとリーンが出会うのも、実は彼の方向音痴がきっかけだったりする。

 入学前、買い物をしていたリーンは、街中でおろおろしている男性を見つける。聞けば、彼は行きたい店に行けなくて困っているのだという。リーンは親切心から彼を目的の場所まで案内し、帰りには案内してくれたお礼にと、ちょっとしたデートのようなものをして家路につくのだ。そして、学院にて再会。二人は教師と生徒という立場ながら、そこからだんだんと想いを深めていくのだ。


(と言っても、途中までしか知らないんだけどね。三番目の神子候補の手掛かりがあるって知ってたら、誰よりも優先して攻略したのになぁ……)


 セシリアは小さく息を吐く。今更後悔しても、人生単位で遅い。

 彼女が息をついている間にもモードレッドは熱く『障り』のことについて語っていた。彼が研究者だと知らなかった面々は、その話を注意深く聞いているようだった。


「『障り』は、まだわからないことばかりなんですよ。どこから来たのか。なにが目的なのか。そもそも生き物なのか。呪いの類なのか。研究をしていた私だって『障り』を見たのは講堂での一件が初めてなんです。だから、どうしても生態を調べておきたくて……」

「だとしても、一人で追うのは危険ですよ」


 ジェイドが眉を寄せながらそう言う。それもそうだ。モードレッドの宝具は戦うことに長けているわけではない。彼の治癒の力は『障り』の力を弱めるので、全く役に立たないというわけではないのだが、『障り』に侵された野犬が束になって通用するような力ではない。


「それで、野犬はどうなったのですか?」

「残念ながら、見失いました」

「つまり、この近くに潜んでいる可能性もあるというわけですね」


 声のトーンを落としたのはギルバートだ。彼は何やら使用人に目くばせをしている。警備の数でも増やすのだろう。モードレッドは申し訳なさげに視線を下げた。


「本当にすみません。教師でありながら生徒である君たちに迷惑ばかりかけてしまって。明日の朝には出ていきますので……」

「出ていってどうするんですか?」


 その質問はヒューイが飛ばした。興味がなさそうな顔をしているが、一応はモードレッドのことを心配しているらしい。


「数日はこの辺りを探そうかと。私はどうしても、あの野犬の寝床を見つけたいんです」

「寝床?」

「はい。林間学校の時『障り』に侵された野犬の群れと戦いましたよね?」


 モードレッドが言っているのは、ジェイドが怪我をするはずだったイベントである。


「群れで行動している野犬を見て思ったんです。もしかして『障り』は伝染するんじゃないかと。もしくは、『障り』に侵された者同士はコミュニケーションをとれるのではないかと。そうでなくては、一斉に襲い掛かってこようとするなんて考えられない。少なくとも人間は『障り』に侵されると、普通の人間との意思疎通は難しくなる。寝床が見つかればそれらの疑問に一歩近づくことになるんです!」

「つまり先生は、彼らが群れでいるのか一匹でいるのかを確認したいということですね?」


 リーンの言葉に、モードレッドは深く頷いた。


「はい、そういうことです。つきましては、シルビィ家領主にここら辺一帯を調べるを許可いただきたいのですが……」

「一人で探すんですか? 宿は?」


 渋い顔をしたのはオスカーだ。


「野営の経験はあります」

「だとしても、それはちょっと危険すぎるんじゃないかなぁ」


 オスカーに続き、ダンテも声を上げる。


「平気です。いざとなれば私の宝具で『障り』を弱体化させて逃げ切ります」

「俺もついていこうか? 先生方向音痴っぽいしさ。最低、迷うことは避けられると思うよ。それに、野犬が群れで来ても俺の宝具でなら隠れられると思うし!」


 たまらないといった感じで、ジェイドも手を上げた。モードレッドは首を振る。


「それはさすがに申し訳ないので、遠慮しておきます」

「けど……」

(これは、仕方がないかな……)


 セシリアは長息をつく。そして、モードレットを見据えた。


「先生。もしよろしかったら、この屋敷を拠点としてお使いになられますか?」

「……それは……」

「森の深くまで入られるようでしたら、うちの兵も貸します。先生の力で弱体化していただければ、うちの兵士でも対処できるでしょう」


 その場合、野犬も一緒に殺してしまうことになるが、しょうがない。命の方が大切だ。


「それは、願ってもない申し出ですが……」


 思わぬ言葉に、モードレッドは困惑しているようだった。

 セシリアはさらに笑みを強くする。


「『障り』の研究は、この国のために必要な研究です。国益につながると言ってもいいでしょう。それならばぜひ、我がシルビィ家にもお手伝いさせてくださいませ」

「……ありがとうございます」


 モードレッドは深々と頭を下げる。

 やはりこういうときは家の名前を出しておく方がスムーズだ。つまり、『お前の研究にうちの家も一枚かませとけ』『研究が大成した暁には、うちの家の名前もちゃんと出すんだぞ』ということである。セシリアとしては家の名前を出しても出さなくても構わないのだが、『こっちにもこういう利益があるんだぞ』ということをはっきりと示しておく方が、相手もいろいろと疑わないで済むというものだ。


「いいの?」


 小声で聞いてきたのはギルバートだ。セシリアも彼にしか聞こえない小声で応じる。


「困ってる人を放っておけるわけないでしょ?」

「この、お人よし」

「いいの! こうなったら一人増えようが二人増えようがあまり変わらないしね!」


 セシリアは隠れるように、さらに扇を上に引き上げる。


「それに、三番目の神子候補の情報を集めるためだと思えば、苦じゃないわ!」

「ま。姉さんがいいなら俺はそれで構わないけど」


 最終的には肩をすくめ、彼女がやりたいようにやらしてくれる。それが最愛の義弟、ギルバートだ。

 そんなギルバートとセシリアの内緒のやり取りを、オスカーは訝しげな眼でじっと見つめていた。

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