11
(これはまずいことになった……)
その日の昼すぎには、もう一同はコテージに到着していた。自然豊かな湖畔の隣に建つそれは、『コテージ』というより、『屋敷』に近い大きさを有している。使用人や警備の人たちの分を考えても部屋数は十分すぎるほどにあるし、なんなら隣に別に棟もあるので、広さには全く困らなかった。
いきなりのことに最初は困惑した様子の一同だったが、肝が据わっているのかなんなのか、もう思い思いにコテージで過ごし始めている。というより、遊び始めている。水場ではしゃぐ彼らは、皆笑顔だった。
(楽しそうだな……)
病弱設定のセシリアは近くの木陰に腰かけたままため息をつく。そのため息の理由は、楽しく遊ぶ彼らを羨んでのことではなく、彼女の隣にあった。
「大丈夫か?」
心配そうに声をかけてきたのは、オスカーだった。彼は皆の輪に加わることなく、セシリアの隣に座っている。彼は彼女が一人でいるのを気にして、側にいてくれているようだった。
嫌な汗を滑らせている輪郭を扇で隠したまま、セシリアはオスカーに微笑みかける。
「私は大丈夫ですわ。ですから殿下、どうか遠慮なさらず、皆様の輪に加わってきては……」
「いや、俺はいい。君と話したいこともあったしな」
サラリとかわされた上に『話したいことがある』とまで言われたら、追いやることもできない。できれば近くにいたくないし、話しかけたくもないのだが、この状況では仕方がないだろう。
セシリアはオスカーからわずかに距離を取る。数センチ離れたってそんなに意味はないかもしれないが、心の安寧には必要な距離だ。
(なんで、こんなに積極的かなぁ……)
前にオスカーは『セシリアのことは嫌いではない』『(リーンとの将来のために)関係を再構築したい』などと言っていた。だから、きっとこの行動も『関係の再構築』に向けての一歩なのだろう。
(でも、リーンにはヒューイがいるのに『再構築』って……)
ゲームの中の彼がそうであったように、この世界のオスカーもリーンが誰と一緒になっても、変わらず彼女のことが好きなのだろう。それはわかる。しかし、もう気持ちが定まっている彼女のために、望んでもいない婚約者との関係をなぜ『再構築』するのか。それはわからなかった。
もしかしてオスカーはまだ、リーンが振り向いてくれるのを期待しているのだろうか。
(だとしたら、ちょっとかわいそうだけど……)
ちらりと、オスカーを見る。その瞬間、ばっちりと目が合った。もしかして、ずっと眺められていたのだろうか。
セシリアは慌てて顔をそむけた。
(とりあえず、この状況を何とかしないと!)
助けを求めるような視線を、一番近くにいたリーンに送る。
しかし、彼女は
「ヒューイ様。ほら見てくださいませ! あんなに大きな魚が!」
「……本当だな」
「一緒に泳いだら、気持ちよさそうですわよね! あれなら一緒に泳ぎますか?」
「やめとけよ。そもそも、その服でどうやって泳ぐんだ?」
「あ、あの。私、ヒューイ様の前だったら脱いでも……」
「だーかーら!! そういう冗談はやめろって言ってるだろうが!!」
「うふふ」
恋人との時間を満喫していた。というか、ツンデレ属性の彼をからかって遊んでいた。
しかし、最後には恋人らしく
「もし私が溺れたら、その時は助けてくださいますか?」
「それは……当たり前だろ?」
なんて会話しているので、うらやましい限りである。
(このリア充がっ!!)
誰のせいでこんな事態になっていると思っているのだろうか。
「姉さん、体調大丈夫?」
親友に恨みがましい視線を送っていると、待ちわびた声がした。声のした方を向くと、そこには案の定、ギルバートがいる。急いできてくれたのだろうか。肩で息をする彼は先ほどまで使用人たちに指示を出していた。両親がいないので、このコテージにいる間は彼がここの最高責任者である。
「ギル!」
まさに天の助けだと言わんばかりの登場に声が跳ねる。しかし――
「ギル! いいところに帰ってきた!」
その声と共に、ギルバートの肩に腕が乗った。腕を乗せたのはダンテである。その後ろにはジェイドもいた。
「このコテージ釣り道具ない? あと網も!」
「……ありますけど……」
本当に嫌そうな声でギルバートは答える。
「それなら、貸してくれよ! ジェイドと魚釣ろうって話になってさ」
「暇なら、ギルも一緒にやろう! さっき、このぐらいの魚がいたんだよ」
そう言って手を広げるのはジェイドだ。
この二人、いつの間に仲良くなったのだろうか。
ダンテはギルバートの首に腕を回す。
「ってことで、セシリアさん。弟借りるな!」
「ちょ!」
「なっ!」
「とりあえず、釣り道具だけどこにあるか案内してよ」
「餌、なににするかなぁ」
(ギル――!!)
半ば強制的にギルバートは連れていかれる。ダンテが踵を返す瞬間、オスカーに目くばせをしたのが気になったが、頼りにしていた義弟が連れていかれるという事態に、セシリアの頭はそこまで回らなかった。
「あいつが他の奴と絡もうとするなんて珍しいな」
オスカー自身もダンテの目くばせの意味は分からなかったらしく、そんな感想を漏らしていた。
とうとう二人っきりになり、セシリアは覚悟を決める。
これはどうやら自分自身の力で乗り越えなくてはならないものらしい。
(でも、なにを話せばいいの!? とりあえず、チャイナ服のことを謝る……いやいや! それはセシルの時にしないと意味ないし!)
なにを言っても墓穴を掘りそうである。
「セシリア」
その時、いつもより少し硬い声で名前を呼ばれた。セシリアはオスカーの顔を見る。
彼は真剣な顔で彼女のことを見つめていた。
「君に会ったら、どう話そうか迷っていた。しかし、どうもまどろっこしいのは性に合わないみたいでな。率直に聞く」
「はぁ」
「君はもしかして、俺と婚約したことを後悔しているか?」
「へ?」
思わぬ質問に変な声が出る。オスカーはさらに続けた。
「君は俺のことを嫌っているのではないか? だから、十二年もの間、俺のことを避けていた。……そう考えてしまうのは、ただの被害妄想だろうか?」
「えっと……」
あまりにも真剣なトーンで聞かれるので戸惑ってしまう。そもそも、セシリアはオスカーのことを避けているつもりは全くなかった。直接顔を合わせるのはまずいと会うのは断っていたが、それも幼い時の話だし、ここ十年近くは会いたいという連絡も貰ってはいない。手紙や他の手段で連絡を貰ったことも、一度だってない。
セシリアは見つめてくるオスカーから視線を逸らす。
よくわからないが、彼は自分がセシリアに嫌われていると思っているらしい。
(どう答えればいいのかな……)
オスカーのことはもちろん嫌ってはいない。けれど、関係を断つなら『嫌っている』という方が賢明だろう。
(でも、もし『嫌っている』なんて言ったら、それこそ逆恨みとかされない?)
今のオスカーはセシリアのことを嫌っていない。なのに彼女がオスカーのことを『嫌っている』なんて言ってしまったら、それこそ嫌われる可能性が生まれてくるというものだ。
「君が俺のことが嫌いで、婚約したくないというのなら――」
「大丈夫ですわ」
セシリアは被せるように声を上げた。
「私が殿下のことを嫌いになるなんて、そんなことがあるわけがありません」
笑顔でそういえば、オスカーの頬は赤らんだ。そして、優しく表情を崩すと「そうか」と嬉しそうに一つ頷く。
「もし君が本当に俺のことが嫌いだというのなら、こちらかから婚約を破棄する予定だったが。そう言ってくれるのならありがたい」
「え?」
(もしかして、千載一遇のチャンス逃した!?)
華麗にオウンゴールを決めた瞬間である。脳内セシリアは頭を抱える。
(どうして、こうなるかなぁあぁぁ!!)
ここでオスカーが婚約破棄してくれれば、また一つ破滅の運命から逃れられたのに、どうしてこう空回りばかりするのだろうか。
その時、置いていた右手に彼の左手が触れた。
「セシリア」
「……はい?」
真剣な顔でささやかれているが、それどころではないセシリアである。顔面は繕えているが、話は半分も聞けてはいない。
「君が許してくれるのなら、今度……」
「殿下。失礼します」
その時、オスカーの連れてきた護衛の騎士が、彼の後ろに立つ。
オスカーはセシリアの手を放すと、嘆息したのち、振り返った。
「……どうかしたか?」
「不審者を捕まえました」
「不審者?」
「はい」
騎士は身体を横にずらす。その奥には、一人の男がロープでぐるぐる巻きになった状態で目を回していた。その男の顔を見て、オスカーは思わずのけぞった。セシリアも驚きで目を見開く。
「モードレッド先生!?」
セシリアはそう声を上げた。
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