10
リーンは頬を引きつらせているセシリアを小突く。
「セシリアのお母さん、なんかすごい人ね」
「うん。母様は異様に過保護な人だから……」
「過保護って」
「私に友人ができないことを心配してくれてるみたいでね」
わがままばかり言っていた幼き日々を思い出す。
セシリアの両親は決して悪い人間ではないのだが、子供にめっぽう甘かった。なんでも買い与え、どんな些細な願いでも叶えようとする父親に対して、母親であるルシンダは娘をとても丁重に扱う人だった。一つでも咳をすれば医者を呼びつけ、擦り傷でも作ろうものなら顔を青くさせて卒倒していた。
セシリアが前世の記憶を取り戻してからはだいぶましになってきたものの、今でもこうやってたまに過保護が出てきたりする。特に、セシリアの友人関係に関しては、彼女は人一倍敏感になっていた。
「それじゃ、早速準備しなくっちゃ。皆様は準備ができるまでサロンでくつろいでらっしゃってね!」
「私は良いけど、止めなくて良いの?」
使用人を呼びつけるルシンダを指しながら、リーンは言う。セシリアは首を横に振った。
「ああなった母様はもう止められないわよ」
本能で察しているのか、それ以上声を上げるものはいなかった。みんな諦めたように彼女の背中を見守っている。
セシリアは扇子で顔を隠したまま冷や汗を輪郭に滑らせた。
(さて、どうこの死地を乗り切るべきか……)
顔をまともに見られたが最後、セシリア=セシルになってしまう可能性は十分にある。髪型も違うし化粧もしているので多少はごまかせるかもしれないが、それでも長くは一緒にいない方が賢明だろう。つまり、お泊まりだなんてもっての外である。
(だけど、お母様を止める手立てなんて思いつかないし……)
「……今日はなんだか客が多いんだな」
その時、聞き慣れた声が扉の方からして、一同は振り返った。そこには護衛の騎士を引き連れた王太子・オスカーがいる。
(オスカー!?)
セシリアは咄嗟に身を縮め、人影に隠れる。
思わぬ人物の登場に、最初に声を上げたのはやはりルシンダだった。
「あら、殿下!」
「すみません。いろいろ手間取ってしまって、予定より遅くなりま……は? お前たち!?」
やっとそこでリーンたちの存在に気がついたのか、オスカーは目を丸くした。
「やっほー、オスカー! 奇遇だね!」
オスカーの首に腕を回しながら、ダンテは笑顔を浮かべる。
「なんでお前たちがここに?」
「それはこっちの台詞です。殿下……」
眉間を押さえながら、ギルバートが渋い顔をする。それに答えたのはオスカーではなく、ルシンダだった。
「あら。数日前に殿下から『王宮に帰る前にこちらに寄りたい』ってお手紙をいただいたから『是非来て下さい』って返しておいたのよ」
いつもならギルバートが握りつぶしているやつである。
「ちょうど二人とも帰ってくる予定だったしね。セシリアも久しぶりに殿下に会わせたいでしょう?」
「お母様……」
自分の母親ながら、つくづく余計なことをしてくれるものである。
今ここでオスカーに会うわけにはいかないと、セシリアはその場をゆっくりと後にしようとする。
おそらくこの世界で、一番セシルの正体を知られてはいけないのが、オスカーである。ゲームの中で、彼は幾度となくセシリアを牢獄送りにし、処刑してきた。ルートによってはその場で切られるような話もあったはずである。この世界のオスカーはセシリアに対して嫌悪感はあまり持っていないようだが『男装をし、彼を騙していた』という事実がどう悪い方向に動くかわからない。
(しかも私、オスカーにちゃんと謝れていないし……)
チャイナ服で押し倒して以来、セシリアはオスカーにちゃんと謝れていなかった。クラスに行っても不在のことが多く、いたとしても誰かと話していて声がかけづらい。しかも、彼は多忙で、学院も休みがちだった。これでは謝るチャンスもない。
つまり、現在のセシルとオスカーの関係はあまり良好とは言えないのである。
(そーっと……)
セシリアは踵を返し、忍び足で歩を進める。とりあえず、空いた部屋にでも飛び込んで身を隠したい。
しかし、その逃げる背中に、彼の声は容赦なく突き刺さった。
「君は、セシリアか?」
身体が跳ねる。錆びたブリキのような緩慢な動きでゆっくり振り返ると、大きく目を見開いた状態のオスカーがいた。これはもう逃げられない。
セシリアはさらに扇で顔を隠した。緊張で声がうわずる。
「お、お久しぶりでございます。殿下」
「本当に、……久しぶりだな」
ほっとしたような優しい声がして、セシリアは扇の端からチラリと彼を見る。
オスカーは本当に嬉しそうに頬を緩ませていた。目を細めて、優しい笑顔をセシリアに向けている。顔を隠している不敬にも、全く触れてこない。ゲームの中ではあれこれ文句を言ってきたにもかかわらず。
(なんで……)
あんなに嬉しそうなのだろうか。
セシリアがその疑問にいたる前に、またもやとんでもない言葉が耳を突き刺した。
「そうだ! 殿下もぜひお泊りになってはいかがですか?」
「は?」
「へ?」
「今から皆さん、うちの所有するコテージに泊まる予定なのです。見る限り皆さんとは面識があるようですし。是非、いかがですか?」
「いや」
突然の話にオスカーもたじろぐ。セシリアも母親の袖を持ちながら、必死に首を振っていた。
それはまずい。さすがにまずい。
しかし、娘のためならば娘の意見でさえも聞かないのが、ルシンダ・シルビィである。
「殿下、遠慮はいりませんわ。陛下には私からお手紙を書いておきます」
シルビィ家夫妻と国王夫妻は竹馬の友である。そして、現在の国王陛下は友人の頼みを無碍に断るようなことはできない男である。
「では警備をもう少し増やしておきますわね」
もはや決定事項のように話す彼女を、止められる者はこの場にいなかった。
「それでは皆様、セシリアをどうぞよろしくお願いしますわ」
リーンの何倍も綺麗な淑女の礼で、ルシンダはその場を締めくくった。
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