7
「お帰りなさいませ。セシリア様、ギルバート様」
「ただいま!」
「ただいま」
夏休みに入り、セシリアとギルバートはシルビィ家屋敷に帰ってきた。当然ながら、セシリアは女性の恰好である。久しぶりの二人の帰還に、両親も使用人たちもみな喜んでいるようだった。
二人は、それぞれ部屋で荷解きをはじめる。荷解きといっても、二週間ほどの滞在な上に、衣類などの必要最低限の荷物は屋敷にあるので、持って帰ってきた物はそんなに多くない。ただセシリアは、万が一のことを考えて男装道具も持ち帰っていたので、ギルバートの二倍近い荷物の量があった。
(やっぱり、こっちの姿のほうが落ち着くなぁ)
セシリアはスカートの裾をつまみながら笑みを作る。セシルの姿も嫌いではないが、やはりホッとするのはこちらの姿だ。カツラもさらしももう慣れてしまったが、窮屈なことには変わりがない。
それから黙々と荷解きを進め、そろそろ終わろうかというとき、扉がノックされた。セシリアが「はーい」と答えると、扉が開きギルバートが顔をのぞかせる。
「姉さん、荷ほどき終わった?」
「あ、うん! もうちょっと!」
「ベッキーがお茶準備してくれてるよ。それと、スコーンも」
「わ! ほんと? すぐ行く!」
ベッキーというのは、セシリアの侍女だ。彼女の作るスコーンは絶品で、屋敷にいたころは週に一度は必ずそれを強請っていた。大好物があると聞き、セシリアの笑顔は輝く。そんな彼女の笑顔を見ながら、ギルバートも心なしか嬉しそうに頬を引き上げた。
「それなら、いつものところで待ってるね」
「うん!」
セシリアが元気に返事をすると、彼は満足そうに部屋を後にした。
いつものところというのは、屋敷にある音楽室のことだ。元々は彼女たちの父親がバイオリンを弾くために作った部屋で、幼いころはセシリアもギルバートもそこで家庭教師からピアノを習っていた。鍵も閉められる上に防音もばっちりなので、今では秘密の話をするために二人はその部屋を使っていた。
秘密の話というのは、当然、セシリアの前世の話である。
(だけど、あの部屋に二人で入ってると、皆なんだかちょっとそわそわするんだよなぁ)
特に、セシリアのもう一人の侍女、レナは、セシリアがギルバートと音楽室から出てくるたびに『なにもされませんでしたか!? お身体は!?』と毎回謎の心配をしてくれる。しかも血相を変えて。それをギルバートが黒い笑みで制するまでが、大体いつもの流れである。
(みんな私がギルに虐められてるとでも思ってるのかなぁ)
セシリアとしては仲良し姉弟のつもりなのだが、もしかしたらここでもまた
(それならもっと、ギルと仲のいいところを周りに見せつけないとね!)
荷ほどきを終わらせたセシリアは音楽室へ向かう。扉を開くと、ギルバートがいた。彼女が来るまでの間、読書でもしていたのだろう、その手には本がある。
「遅かったね」
「ごめん。ちょっと手間取っちゃった」
セシリアははにかみながらギルバートの隣に座る。そうして、用意してあるスコーンに目を輝かせた。
「わぁあぁ、ベッキーのスコーンだ! ずっと食べたかったんだよねー!」
「よかった」
「へ?」
「学院を出る前にベッキーに手紙で頼んでおいたんだよ。姉さん、喜ぶかなって」
「そうだったの? ギル、ありがとう!」
抱きしめて頭を撫でる。やはり、義姉想いの弟だ。こんなに優しい彼と不仲だと思われているだなんて、実に心外である。
セシリアはスコーンを手に取った。用意されていたスコーンは、チョコレートの入った彼女が一番好きな味だ。きっとこれもギルの手回しだろう。
(おいしそう!!)
零れてしまわないように皿を片手に齧りつく。サクッとした音と共に、バターとチョコレートの甘さが口いっぱいに広がった。
「んー!」
久々の味に、悶絶してしまう。カロリーが気になってあまりたくさん食べられないのが難点だが、本当にやみつきになる味だ。
「ついてるよ」
「ありがとう!」
口の端を親指で拭われる。「子供じゃないんだから」と呆れたように言われるが、少しも嫌な気持ちにはならなかった。けれど――
「私ってギルに頼ってばかりよね。学院でもフォローさせてばかりだし……」
少しだけ、情けなくなる。これではどっちが年上かわからない。
ギルバートはスコーンのかけらが付いた親指を舐め、再び本に視線を落とした。
「別に気にしなくてもいいんじゃない? 姉さんが馬鹿で、阿呆で、粗忽で、抜けてるのなんて、今に始まったことじゃないしさ」
「そ、それはそうなんだけど……」
「それに、後々大変なことになってから頼られるよりは、大事に至る前にフォローする方が幾分かマシだしね。どうせ尻拭いするなら早い方がいいし」
「そうなのかもしれないけど……!!」
ぐうの音も出ない言葉の数々に心臓が抉られる。セシリアが胸を押さえていると、ギルバートがふっと笑うような気配がした。そして、先ほどよりも優しい声色が耳をくすぐる。
「それに、俺は好きでやってるだけなんだから、気にしなくていいんだよ」
「ギル……」
「でもまぁ、もうちょっとおとなしくしていては欲しいけどね」
最後は黒い笑みでそう言われ、セシリアは視線を下げながら「……すみません」と呟いた。ギルバートのことは好きだが、こういう顔は恐ろしいから是非ともやめてもらいたい。
セシリアは手に持っていたスコーンを食べ終わると、ギルバートに向き直った。
「ねぇ、ギルはしてほしいことない?」
「してほしいこと?」
「うん。さっきも言ったけどさ、私のことフォローさせてばっかりで申し訳ないし! 夏休み中ぐらいはギルのこと労ってあげたくて! 私がギルの面倒を見てあげる!」
その言葉に、ギルバートは目を半眼にさせた。
「俺の面倒を? 姉さんが?」
「うん! 料理でもなんでもするよ!」
「それは、俺が死ぬかな……」
その呆れたような声色に負けじと、セシリアは自分の胸を叩く。
「今回の私の夏休み、全部ギルにあげるよ! 好きに使って!」
雄々しくそう言った彼女に、ギルバートは一瞬だけ目を見開いて、そして眇めた。
「そんなこと言っていいの?」
「もちろん! 普段から、ギルにはお世話になってるからね」
「……そういうところが間抜けだって、どうしてわからないかなぁ」
ソファーに置いていた手を握られ、ぐっと顔が近づいてくる。思わずセシリアが身を引くと、ギルバートは彼女の奥にあるひじ掛けに手を置いて、彼女を閉じ込めた。
「それでも、何かしてくれるっていうなら、一つだけお願いしたいことがあるんだけど、いいかな?」
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