「お帰りなさいませ。セシリア様、ギルバート様」

「ただいま!」

「ただいま」


 夏休みに入り、セシリアとギルバートはシルビィ家屋敷に帰ってきた。当然ながら、セシリアは女性の恰好である。久しぶりの二人の帰還に、両親も使用人たちもみな喜んでいるようだった。

 二人は、それぞれ部屋で荷解きをはじめる。荷解きといっても、二週間ほどの滞在な上に、衣類などの必要最低限の荷物は屋敷にあるので、持って帰ってきた物はそんなに多くない。ただセシリアは、万が一のことを考えて男装道具も持ち帰っていたので、ギルバートの二倍近い荷物の量があった。


(やっぱり、こっちの姿のほうが落ち着くなぁ)


 セシリアはスカートの裾をつまみながら笑みを作る。セシルの姿も嫌いではないが、やはりホッとするのはこちらの姿だ。カツラもさらしももう慣れてしまったが、窮屈なことには変わりがない。

 それから黙々と荷解きを進め、そろそろ終わろうかというとき、扉がノックされた。セシリアが「はーい」と答えると、扉が開きギルバートが顔をのぞかせる。


「姉さん、荷ほどき終わった?」

「あ、うん! もうちょっと!」

「ベッキーがお茶準備してくれてるよ。それと、スコーンも」

「わ! ほんと? すぐ行く!」


 ベッキーというのは、セシリアの侍女だ。彼女の作るスコーンは絶品で、屋敷にいたころは週に一度は必ずそれを強請っていた。大好物があると聞き、セシリアの笑顔は輝く。そんな彼女の笑顔を見ながら、ギルバートも心なしか嬉しそうに頬を引き上げた。


「それなら、いつものところで待ってるね」

「うん!」


 セシリアが元気に返事をすると、彼は満足そうに部屋を後にした。

 いつものところというのは、屋敷にある音楽室のことだ。元々は彼女たちの父親がバイオリンを弾くために作った部屋で、幼いころはセシリアもギルバートもそこで家庭教師からピアノを習っていた。鍵も閉められる上に防音もばっちりなので、今では秘密の話をするために二人はその部屋を使っていた。

 秘密の話というのは、当然、セシリアの前世の話である。


(だけど、あの部屋に二人で入ってると、皆なんだかちょっとそわそわするんだよなぁ)


 特に、セシリアのもう一人の侍女、レナは、セシリアがギルバートと音楽室から出てくるたびに『なにもされませんでしたか!? お身体は!?』と毎回謎の心配をしてくれる。しかも血相を変えて。それをギルバートが黒い笑みで制するまでが、大体いつもの流れである。


(みんな私がギルに虐められてるとでも思ってるのかなぁ)


 セシリアとしては仲良し姉弟のつもりなのだが、もしかしたらここでもまた運命ゲームの変なバイアスがかかっているのかもしれない。ゲームの中で不仲だった二人をなぞるように、周りには二人があまり仲のいい姉弟に映っていない可能性がある。


(それならもっと、ギルと仲のいいところを周りに見せつけないとね!)


 死の運命BADENDを変えようというのだ。小さなことからコツコツと運命に逆らっていくべきだろう。


 荷ほどきを終わらせたセシリアは音楽室へ向かう。扉を開くと、ギルバートがいた。彼女が来るまでの間、読書でもしていたのだろう、その手には本がある。


「遅かったね」

「ごめん。ちょっと手間取っちゃった」


 セシリアははにかみながらギルバートの隣に座る。そうして、用意してあるスコーンに目を輝かせた。


「わぁあぁ、ベッキーのスコーンだ! ずっと食べたかったんだよねー!」

「よかった」

「へ?」

「学院を出る前にベッキーに手紙で頼んでおいたんだよ。姉さん、喜ぶかなって」

「そうだったの? ギル、ありがとう!」


 抱きしめて頭を撫でる。やはり、義姉想いの弟だ。こんなに優しい彼と不仲だと思われているだなんて、実に心外である。

 セシリアはスコーンを手に取った。用意されていたスコーンは、チョコレートの入った彼女が一番好きな味だ。きっとこれもギルの手回しだろう。


(おいしそう!!)


 零れてしまわないように皿を片手に齧りつく。サクッとした音と共に、バターとチョコレートの甘さが口いっぱいに広がった。


「んー!」


 久々の味に、悶絶してしまう。カロリーが気になってあまりたくさん食べられないのが難点だが、本当にやみつきになる味だ。


「ついてるよ」

「ありがとう!」


 口の端を親指で拭われる。「子供じゃないんだから」と呆れたように言われるが、少しも嫌な気持ちにはならなかった。けれど――


「私ってギルに頼ってばかりよね。学院でもフォローさせてばかりだし……」


 少しだけ、情けなくなる。これではどっちが年上かわからない。

 ギルバートはスコーンのかけらが付いた親指を舐め、再び本に視線を落とした。


「別に気にしなくてもいいんじゃない? 姉さんが馬鹿で、阿呆で、粗忽で、抜けてるのなんて、今に始まったことじゃないしさ」

「そ、それはそうなんだけど……」

「それに、後々大変なことになってから頼られるよりは、大事に至る前にフォローする方が幾分かマシだしね。どうせ尻拭いするなら早い方がいいし」

「そうなのかもしれないけど……!!」


 ぐうの音も出ない言葉の数々に心臓が抉られる。セシリアが胸を押さえていると、ギルバートがふっと笑うような気配がした。そして、先ほどよりも優しい声色が耳をくすぐる。


「それに、俺は好きでやってるだけなんだから、気にしなくていいんだよ」

「ギル……」

「でもまぁ、もうちょっとおとなしくしていては欲しいけどね」


 最後は黒い笑みでそう言われ、セシリアは視線を下げながら「……すみません」と呟いた。ギルバートのことは好きだが、こういう顔は恐ろしいから是非ともやめてもらいたい。

 セシリアは手に持っていたスコーンを食べ終わると、ギルバートに向き直った。


「ねぇ、ギルはしてほしいことない?」

「してほしいこと?」

「うん。さっきも言ったけどさ、私のことフォローさせてばっかりで申し訳ないし! 夏休み中ぐらいはギルのこと労ってあげたくて! 私がギルの面倒を見てあげる!」


 その言葉に、ギルバートは目を半眼にさせた。


「俺の面倒を? 姉さんが?」

「うん! 料理でもなんでもするよ!」

「それは、俺が死ぬかな……」


 その呆れたような声色に負けじと、セシリアは自分の胸を叩く。


「今回の私の夏休み、全部ギルにあげるよ! 好きに使って!」


 雄々しくそう言った彼女に、ギルバートは一瞬だけ目を見開いて、そして眇めた。


「そんなこと言っていいの?」

「もちろん! 普段から、ギルにはお世話になってるからね」

「……そういうところが間抜けだって、どうしてわからないかなぁ」


 ソファーに置いていた手を握られ、ぐっと顔が近づいてくる。思わずセシリアが身を引くと、ギルバートは彼女の奥にあるひじ掛けに手を置いて、彼女を閉じ込めた。


「それでも、何かしてくれるっていうなら、一つだけお願いしたいことがあるんだけど、いいかな?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る