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病院に行ってから三日後、セシリアは空き教室の壁に張り付いていた。目の前には不気味な笑みを作るリーン。手にはスケッチブックを持っていた。
そう、今日はお見舞いの交換条件である小説の挿絵のモデルをする日だった。この日のために一応ギルバートにも相談して『まぁ、一人の立ち絵ぐらいなら何も言わないけど……』という了承を貰ってきている。
しかし、問題はセシリアの姿にあった。
「な、なんでこんな格好……」
セシリアは自分の身体を隠すように抱きしめる。彼女はいつもの制服姿ではなかった。赤いサテンの生地に金色の鳳凰の刺繍。詰襟に華やかな花ボタン。スカートのスリットは太腿まで入っており、足元は赤いパンプスを履いていた。
そう、これはいわゆるチャイナドレスである。
「ふふふ、喜びなさい。この三日、夜なべして作ったのよ。さぁ、そこに立つのよ、セシル!」
リーンの言葉にセシルは首をこれでもかと振る。
「無理! 何このコスプレ! は、恥ずかしいよ!」
「何言ってるのよ、普段から男装しているくせに! それに一人ってこと以外、何でも言うこと聞く約束よね?」
「だ、だとしてもこれはないって! しかもセシルの恰好で! 女物の服のモデルなら、今からさらし取るから……」
単にチャイナドレスを着ているのが恥ずかしいわけではない。男の姿にもかかわらず、女性もののチャイナドレスを着ているのが恥ずかしいのだ。これならセシリアの姿で着た方がはるかにましである。
「何馬鹿なこと言ってるのよ!」
服を脱いで、さらしを取ろうとしたセシリアを、リーンはものすごい形相で止めた。今日のために徹夜をした彼女の目は血走っており、それが余計に恐怖を駆り立てる。
「こういうのは、女が着ても面白くないの! 男の子が恥ずかしがりながら着るからいいのよ!」
「へ、変態!」
「そうよ! だから何!?」
開き直り方もここまでくると清々しいものがある。
リーンはセシリアから距離をとると、恥ずかしがる彼女を指で作った枠でとらえた。
「ふふふ……、さぁ、どんなポーズをとってもらいましょうかねぇ」
「ひっ!」
舐めまわすような視線に背筋が粟立った。目尻にはジワリと涙が浮かんでくる。
「さぁ、セシル。全国の女性たちがあなたの恥ずかしがる姿を待っているのよ!」
「ぜん、こく?」
「ジェイドが印刷所を買収したのは知ってるわよね? それで最近、国内に本を売り出す算段が付いたのよ!」
前々からとんでもない話になってきているとは思ったが、本格的におかしな方向へ舵を切っている彼女である。ジェイドも『創作仲間』から『ビジネスパートナー』へとわけのわからない格上げを果たしているではないか。
「何も知らない子女たちに贈る一冊目が女装物っていうのは、ちょっと奇をてらいすぎている感があるかもしれないから、この挿絵を使うのはきっと二冊目か三冊目になってしまうかもしれないけれど。大丈夫安心して! 素晴らしい作品に仕上げてみせるから!」
「い、嫌だ!!」
「貴女の犠牲は決して無駄にしないわ!」
「そもそも犠牲になりたくない!!」
半べそ状態でセシリアは必死に首を横に振る。このままでは全国民に自分のこんな姿がさらされてしまう。そう思うと寒気しかしなかった。
「さ。喜びなさい、セシル! 晴れて全国デビューよ!」
スケッチブック片手ににじり寄ってくる彼女に、喉の奥から小さな悲鳴が上がる。
「ご、ごめん! 本当に無理ー!!」
「あ、ちょっと!!」
セシリアはその姿のまま逃げ出した。咄嗟にリーンも追ってくるが、十二年間鍛え続けていた脚力に、徹夜明けの彼女の脚力が勝てるわけもない。
幸いなことに廊下には誰もおらず、セシリアは無事リーンを巻くことができた――のだが……
(どうしよう。制服がない……)
思わずといった感じで逃げてきたので、制服までは持ってきていなかった。全国に晒されるのも勘弁だが、学院内で誰かに見られるのも勘弁してほしい事態である。特にセシルに熱を上げている女生徒たちに見つかれば、きっとただでは済まされない。
(取りに帰ろうにも、リーンと鉢合わせするだろうしな……)
制服は先ほどまでいた教室に置いてあるはずだ。それを取りに行くということは、敵陣へと無策で突っ込むことを意味していた。
目下、一番の敵は親友であるリーンである。
(『親友』って確か『一番の友達』って意味よね……)
苦笑いがこみ上げる。彼女が過激な性格だとは知っていたが、ここまでだとは思いもしなかった。だからといって嫌いになれないところが、彼女の面白いところではあるのだが……
(とりあえず、このままじゃだめよね)
資料室や空き教室ばかりが立ち並ぶ場所だからか、昼休憩中にもかかわらず、見渡す限りに人はいない。しかし、いつ何時誰が通りかかるかわかったものではないので、セシリアは早々に制服に代わるものを見つけるか、制服を取り戻す算段をつけなければならなかった。
(どうしよう……)
「おい」
考え事をしていると、突然背後から声がかかった。その瞬間、セシリアの背は伸びる。
「怪しい奴だな。そんな異国の服を着て、どこから来た?」
叱責するような声にセシリアは振り返る。するとそこにはオスカーがいた。目が合った瞬間、彼の目は大きく見開かれる。
「お前、こんなところで何を!? しかも、なんだその格好……」
「これには深い事情がありまして……」
セシリアは身体を隠しながら視線を逸らす。格好が珍しいのか、オスカーの視線が上から下に流れるのが恥ずかしすぎる。まだオスカーだから良かったが、見つかったのが知り合いでもない女生徒だったら、今ので心臓は止まっていた。
「セシル様! いい加減出てきてくださいませ!」
その時、遠くから聞こえてきた声に、セシリアの身体は跳ねた。誰に聞こえているかわからないからか、その声は猫を被っているとき特有の響きをしている。
「リーンだ! まずいっ!」
「あ、おいっ!」
セシリアは咄嗟にオスカーの手を掴む。そして、一番近くの空き教室に一緒に飛び込むと、鍵を閉めて、窓から見えないように身体を低くした。
『セシル様ー』
先ほどまでセシリアたちがいた廊下をリーンが進む。隣を通る彼女にバレないようにセシリアはさらに身体を低くさせた。
(こ、こわい……)
まさか親友の声にこれだけおびえる日が来るとは想像だにしなかった。
「……おい」
「しっ!」
オスカーの不満げな声を制する。口元を押さえると、彼が小さな声で唸るのが聞こえた。そのまま気配を殺し、やり過ごす。耳元で聞こえる激しい心臓の音にも、全く気が回らない。
しばらくして、リーンの気配が遠ざかり、セシリアは身体の力を抜いた。
「ふへぇー……」
「……セシル」
「あ、ごめんね?」
「いいから、離れてくれ……」
そう言われて初めて、彼女は自分の体勢に気がついた。
セシリアはオスカーの上に乗っかっていた。押し倒し、身体をぴったりと密着させた状態で、オスカーの胸板に頭を乗っけている。先ほどまで口元を押さえつけていた手は取られていて、彼は首まで真っ赤に染め上げたまま彼女を見下ろしていた。
「頼むから」
苦しそうなその声に、セシリアもまた一気に顔を真っ赤に染めた。
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