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 気がつけば荷馬車の中だった。

 馬の蹄が道を蹴る音と、規則的な振動でそれとわかるだけで、荷馬車の中は暗く、外は見えなかった。木の扉は閉まっており、抜け出せそうもない。手足は縛られ、声を出せないように口枷までしてあった。

 セシリアは横たわっていた身体をなんとか起こす。腹を殴られたからか身体が少ししびれるような感覚もあったが、次第に引いていった。

(宝具も、盗られちゃってる)

 彼らがそれとわかって盗ったかは定かではないが、いつもついているブレスレットはなくなっていた。カツラも、ポケットに入っていたハンカチや手鏡などもなくなっている。

(だれか、助けに来てくれるかなぁ)

 そうは思ったが、あまり助けは期待していなかった。

 リーンがあれから助けを呼びに行ってくれたとして、ほとんどの者はセシリアをさらった連中がダンテの所属する組織だと気がつかない。唯一、ギルバートだけは気がつくだろうが、彼だって公爵子息という立場を考えれば慎重になるだろうというのは容易に想像がついた。

 それにどうにかして実家を動かしたとして、シルビィ家は文官か武官かと言われればかなり文官寄りの貴族で、公爵家でありながら軍備は乏しかった。私設で軍も持っているが一般的な貴族よりも小規模で、自分たちを最低限守るようにしか用意していない。つまり、誘拐事件などは想定してない数なのだ。単純にこれでは足りない。

(お父様もお母様ものほほんとしているからなぁ。現に今までそれでなんとかなってきたんだろうし……)

 天下の公爵家に喧嘩を売ろうなんて馬鹿が今までいなかったのも、原因の一つだった。

 もし、無事に帰ることができたら、この辺はなんとかするべきかもしれない。

 話を聞いたダンテはきっと気づくだろうが、そこまで仲良くないセシルのために自ら動いてくれるとは到底思えなかった。

(こういうとき、ちょっとだけリーンが羨ましいな)

 愛されるものの象徴として描かれるリーン。

 その対称として、疎まれる存在として描かれるセシリア。

 セシリアの行動により未来は多少変わったが、おそらく基本的なところは変わっていないだろう。オスカーだってギルバートだってリーンとセシリアが拐われたのなら、前者の方がより必死に助け出そうするにちがいない。

(ま。くよくよしても始まらないし、なんとか逃げる方法見つけないとね!)

 誰にも頼れないのなら、自分が動くしかない。こんなものは十二年前からわかっていたことだ。こんな時のためにセシリアは今まで準備してきたのだから。

 セシリアが深く頷いたそのとき、馬車が止まり閉まっていた木の扉がゆっくりと開いて、男が顔をのぞかせた。


..◆◇◆


首領ボス、この女です」

 首領の前にセシリアは押し出される。顔を上げれば、そこにいたのは女性だった。赤とピンクを混ぜたような明るい髪と、頬についた引きつったような傷跡が特徴の女性である。

 彼女の名前はマーリン・スィーニー。ハイマートの首領であり、ダンテの育ての親だった。

 彼らはかつてうち捨てられた古城を根城にしているようで、その玉座に彼女は座っていた。

 マーリンは尊大な態度で足を組みかえながら「ふーん」とセシリアを眺め見る。その視線は、まるで値踏みするかのようだった。

「こいつが王太子の婚約者、セシリア・シルビィだってのは本当なのかい?」

「今調べてますが、特徴は一致するかと」

 酒で焼けた彼女の声に答えるのはセシリアの背後にいる男だ。腕っ節ならば後ろの男の方が強そうだが、彼女もこんな男たちを束ねているのだ。油断はできない。

「ダンテのやつに報復を……なんて思ってたけど、それ以上の魚が自ら捕まりに来てくれたってことかい? 理由は女の友情って? 泣かせるねぇ」

 どうやら話は通っているらしい。

 マーリンはセシリアの前まで降りてくると、彼女の顎を取り、じっくりと眺めた。

「きれいな顔だね。男でも取らせたらよく稼いでくれそうだ」

 頬の傷を引きつらせながら彼女は笑う。

 その笑みに背筋が震えた。同じ女としてよくそういう発言ができるものだと思ってしまう。

「ま、本当に公爵令嬢なら、この国じゃ無理だろうけどね。……大丈夫だよ。ちゃんとお前の両親がお金を払ってくれれば無事に返してやる。こっちもビジネスだからね」

 意外にも優しい顔でそう言い、彼女はセシリアの顎を離した。

「いろいろはっきりするまで牢屋に入れときな。大事な人質だ。丁重に扱えよ」

 マーリンが顎をしゃくりながらそう指示をすると、背後の男は「へい」と短く返事をして、セシリアの背を再び押した。

 その衝撃で前につんのめる。

 ちょうど食事中だったのか、周りの男たちは酒を掲げながら、ケラケラと笑っていた。人がひどい目に遭うのが楽しいのだろうか。

(もう、勝手に笑ってなさいよ!)

 そう前を向いた瞬間、床に何か光る物が落ちていることに気がつき、セシリアはとっさに転けるまねをした。

 床に落ちていたのは、食事をするときのナイフだった。セシリアはかかとを踏み、靴と素足の間にナイフを忍ばせる。

 もしもの時のためにと、これは兵士のハンスから教わった技だった。

 このナイフは何かの役に立つかもしれない。

「おい、何してる! 立て!」

 苛立ったような男に立たされ、セシリアは地下の牢屋に連れて行かれた。


 牢屋は地下にあった。地下に通じる扉の前には二人の見張り。しかし、セシリアが放り込まれた牢屋の前には誰もいなかった。

 縛った状態で牢屋に入れておけば大丈夫と踏んだのだろうか。それとも、病弱との噂の公爵令嬢は抵抗しないと思ったのだろうか。どちらなのかわからない。もしかしたら、どちらともなのかもしれなかった。

 次に男たちがここに来るのは数時間後の食事の時だろう。首領が直々に『丁重に扱え』と言っていたので、食事はきっと運んでくる。時間的猶予はそれなりにあるように思えた。

 けれど、行動を起こすのならば早いほうがいい。首領は女だが、基本的には男ばかりの集団だ。『男を取らせたら……』という発言の件もあることだし、このままではどんな辱めを受けるかわからない。

(こういうときは、相手の油断につけ込んで逃げ出すのが得策なのよね)

 セシリアに荒事のすべてを教えてくれた兵の言葉を思い出す。

 彼女は踵に入っていたナイフを取り出すと、手首を縛っていた紐を切る。口枷もはずし、自由の身になった彼女はぐるりと周りを見渡した。

 牢屋の中には木でできた机と椅子があった。どちらも長い間手入れがされていないのか、がたついて使い物にはなりそうになかった。

 セシリアは椅子の足を外すと、飛び出ていた釘を取り外す。そして、椅子の足だった木を金槌代わりにして、持っていたナイフの刃の部分に穴を開け始める。

 そのまま二時間ほど夢中で作業をした。

「できた!」

 セシリアの手にはナイフがあった。ただしその刃の部分は簡易的なのこぎりのようになっている。

 セシリアは牢屋の鉄格子の扉にそののこぎりを突っ込んだ。そのまま何度か引くと、木くずがパラパラと落ちてくる。

 この牢屋の格子は鉄だが、肝心のかんぬき部分は木を使っていた。きっと元々は鉄が使われていたのだろうが、朽ちてしまい、コストの低い木に変えたのだろう。

 のこぎりのできがよかったのか、ものの数分でかんぬきは真っ二つになった。

「よっし! 次は動きやすい服の確保ね」

 セシリアはナイフで鉄格子をたたいた。

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