34


 突然響いたけたたましい音に、地下室に通じる階段の前にいた男の一人が降りてくる。そして、牢屋でぐったりと横になるセシリアに声をかけた。

「おい! 大丈夫か」

 大事な人質が倒れていると思ったのだろう。男の声は焦っていた。

 そして、鍵を開けようとした瞬間、かんぬきが真っ二つになっていることに気がつく。

「これっ!」

「ふっ!!」

 男がかんぬきに気をとられているのを見計らい、セシリアは扉に体当たりした。

 開け放たれた鉄の扉は男の額に勢いよくぶつかる。ふらりとよろけた男にセシリアは躊躇なく金的を食らわせた。

「う゛っ!」

 股間を押さえて男が蹲る。声も上げられないようだ。

 セシリアはとどめとばかりに彼の後頭部に三本足になった木の椅子を振り下ろした。

「はじめてにしては、よく、できた方よね」

 肩で息をしながら伸びた男を見下ろした。

 彼女は素早く男の服を脱がすと、自分も夜着を脱ぎ、男の服を着込んだ。

 暗殺集団と聞いて戦々恐々としていたが、倒した男はゲームの中のダンテのような手練れの暗殺者という感じではなかった。山賊崩れの荒くれ者という方がイメージとしてはしっくりくる。

(そういえば、ゲームでダンテはエリート扱いされていたっけ?)

 暗殺者になるために生まれた子。

 ダンテはそんな風に表現されていた。

 そんな彼の素質にいち早く気づいたのが、マーリンだった。彼女は孤児だったダンテを引き取り、育て、暗殺を仕込み、このハイマートを作った。

 ダンテはそんな彼女に逆らうことができず、今までずるずると暗殺家業を続けてきたのである。

 セシリアは彼らとおそろいの服を着込み、階段を上がる。途中のスペースにセシリアが捕まるときに持っていた物がぞんざいに置かれていた。

 その中には宝具もカツラもあった。

「やった!」

 セシリアは手慣れた感じで長い髪をカツラに入れ込む。すると、そこに顔の整った男性が現れた。少し高貴な感じはするが、これならばすぐによそ者だと気づかれることはないだろう。

 次に宝具をつけ、そっと触れる。卵の膜のような物が身体を包んだような感覚があった。

 これで誰も彼女を傷つけることはかなわない。

「これで安心ね」

 誰かに傷つけられるという危険を考えなくてもいいというのはありがたかった。

 近くにおいてあった掃除用のブラシを手に取り、回した。

 当面の武器である。

 セシリアは階段を上る。扉に近づくと、人の気配がした。耳を近づけて確かめると、その気配は一人だけのようだった。

 セシリアは勢いよく、扉を蹴り開けた。すると、男は飛び退いて懐から小さな刃物を取り出してくる。この身のこなしはさすが暗殺者集団といったところだ。しかし、飛んできたナイフはセシリアにはとどかない。謎の膜に弾かれて、ナイフは左右の壁に突き刺さった。

「おい――」

 声を上げようとした男の顎をセシリアは掃除用のブラシで跳ね上げた。瞬間、男の頭が揺れ、昏倒してしまう。

「宝具がなかったら危なかったわね……」

 息をつく。

 男の身体を縛り、口枷をして階段に放り、鍵を閉めた。

これで当分誰にも見つからないだろう。

(結構順調だけど、ここがどこだかわからないと逃げ切れないわよね)

 窓から見える景色は木ばかりだ。きっとここは森の中に建つ古城なのだろう。それならばアジトにも使いやすい。

(逃げ切るためにはちゃんとした武器がほしいわよね)

 見ればブラシは折れてしまっていた。先ほどの一回が限界だったのだろう。

 誰にも傷つけられないとはいえ、油断は禁物だ。セシリアが知らないだけで何かこの宝具にも弱点があるのかもしれなかった。それにギルバートの宝具は防御専門だ。囲まれてしまえば、捕まるのは必須である。

(とりあえず武器庫に行って、何か使える物がないか探してみよう)

 セシリアは左右を確かめると廊下に飛び出した。


..◆◇◆


「待ちなさい、ギルバート!」

 そうギルバートを制したのは、保健医のモードレッドだった。

 彼の後ろにはオスカーとジェイド、それとうつむくリーンがいる。

 三人は先ほど男子寮に飛び込んできたリーンから、セシルが拐われたという話を聞かされたばかりだった。

 モードレッドは冷静にギルバートの背中に声をかける。

「君はシルビィ家の嫡子なんですよ。むやみやたらに動くのは感心しません。君とセシルが仲がいいのは知ってるつもりですが、こういうのはしかるべき機関に任せるべきでしょう」

 背中を向けるギルバートに彼は続ける。

「それに、セシルは男爵家の子です。彼のために君が命を危険にさらすことは本来あってはならないことです。君は君の命がどのくらいの価値があるかわかった方がいい。次期宰相と見込まれている君の命は、君一人でどうこうしていい物ではないよ? それはわかっているね?」

 貴族の序列第一位のシルビィ家、嫡子。さらには次期宰相にと推薦をされている男が、下級貴族のために命を張るなといいたいのだろう。それはわかる。

 正論も正論。ド正論だ。

 たとえ同じ人の命といえど、この貴族社会において貴族の価値すなわち命の価値なのだ。

 ギルバートは頷くかわりに振り返った。

「俺は誰がなんと言おうと、セシルを助けに行くつもりです。止めるのならばご自由に。しかし、止められるとは思わないでください」

「セシルがどこにいるのかわかっているんですか?」

「当てはあります」

 当てというのはダンテのことだ。

 ギルバートはリーンの話から、これがダンテのイベントだということはわかっていた。つまり、少々手荒なマネを使ってでもダンテから居場所を聞き出せばいい。彼はそう思っていた。

 話は終わったとばかりにギルバートは前を向く。

「ギルバート!」

「ギルバート」

 モードレッドの声に被さるように、彼の名を呼んだのはオスカーだった。

 オスカーは険しい顔でギルバートの前に立ちはだかる。

「……殿下」

「モードレッド先生の言うとおりだ。このままだとお前の両親にもよくない報告が行くことになる。上に立つ者が一つの下級貴族を特別視しているとなると、後でいろいろとややこしくなる。とりあえず、落ち着くんだ」

「これが落ち着いてられる事態ですか!? あなたは知らないでしょうけど、セシルは俺のあ――」

 セシルが義姉のセシリアだと明かせば、周りは動かざるを得ない。セシリアは公爵令嬢で王太子の婚約者だ。そこら辺の貴族とは格が違う。

 正体を明かすのが一番確実だし、安全な方法だとギルバートもわかっていた。けれど、それは彼女が今までここで積み上げてきた物を帳消しにするということと同義だった。

 戻ってきた彼女の事を思うと、うまく声が出なくなる。

 一瞬の躊躇を縫うような形でオスカーは声を上げた。

「四月にな、王宮にも新しく兵が入ってきたんだ」

「こんな時に何を……」

「まぁ、聞け。それで、彼らにそろそろ抜き打ちの演習をやらせた方がいいという話が持ち上がっていてな。二年目や三年目、ベテランの兵も巻き込んだ大きな演習を企画している」

 話の意図を理解したのか、ギルバートは口をつぐんだ。

「で、その日程を今日、この時間からにしようかと思うんだが、どうだろうか?」

「いいご判断ではないかと。殿下」

 臣下の礼を取りながら、ギルバートは冷静に答える。

 そこには未来の二人の姿があるようだった。

 いきなり始まった三文芝居に周りはあっけにとられたように二人を見つめていた。

「しかし、演習場所が決まってなくてな。どこかいい場所を知らないか? 先ほど当てがあると言っていたが」

「その辺は早急に調べて参ります」

「俺は腕慣らしに演習に参加するつもりだが、お前はどうする?」

「私もそのように」

「わかった。それではそのように王宮にも君の両親にも手紙を書こう。今から行われる一連の騒動はすべて演習であり、責任は俺が持つ」

 ギルバートが頭を下げると、モードレッドがあきれたような声を出した。

「とんだ、三文芝居ですね。……でもまぁ、そこまでされるということなら、仕方がありません。お好きにどうぞ。外泊届けはこちらで出しておきましょう」

「ありがとうございます」

 ギルバートが頭を下げると、それまで黙って話を聞いていたリーンが突然手を上げた。

「その演習、私も付き合わせてくださいませんか?」

「リーン!?」

 隣にいたジェイドがひっくり返った声を上げる。まさか彼女がそんなことを言い出すだなんて思わなかったのだろう。

「こうなったのも全部私のせいです。是非償わせてくださいませ。セシル様が拐われた場所も、私ならわかります」

 自信満々に彼女はそう宣う彼女に、オスカーは首を振る。

「悪いが、足手まといを連れていくつもりはない。連れて行かなければセシルの居場所は教えないというわけではないのだろう?」

「わかりました。それでは――……」

 リーンは隣のジェイドに向き直る。そして右手を差し出した。

「ジェイド、宝具ちょうだい」

「へ?」

「どうせほかにあげる予定がないようだし、いいでしょう? 隠密行動を行える人はたくさんいる方がいいじゃない」

「そうだけど……」

 突飛な発言にジェイドは目を丸くしながら、友人からの申し出に宝具を手渡した。

「神子なんかになりたいわけじゃないし、宝具も集めるつもりなかったんですけど」

 リーンはジェイドから受け取った宝具を右手につける。

 何の変哲もない銀色のブレスレッドが淡く輝いた。

「私は彼を救わないといけないんです。私のせいで二度もあの子を死なせるわけにはいきませんから」

 そういう彼女の瞳にはこれまでにない真剣さが宿っていた。

 そのままジェイドも含めた四人は作戦会議を始める。

「次期国王に次期宰相。国を影から動かしている商会の息子に、それとおそらく次期神子……。どれだけ大物なんだろうね。セシル・アドミナという男は……」

 話し合いを重ねる四人を見ながら、モードレッドはどこか人ごとのようにそうつぶやいた。

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