30


 その日はセシリアの気分とは裏腹に快晴だった。

「どうしよう……」

 温室のガラス越しに空を見上げながらそう零す。

 隣にはギルバートがいた。いつもの組み合わせである。

「リーンはダンテに興味なかったはずじゃないの?」

「そのはずだったんだけど……」

 リーンの様子は事細かにチェックしていたつもりだった。しかし、現実はゲームのようにルート分岐や好感度が目に見えない。ここ最近ギルバートと喧嘩していたり、テスト勉強をしていたりして、以前ほどチェックできてなかったのも確かだった。きっとその間にリーンはダンテと仲良くなったのだろう。

 ギルバートは思案顔で唇を撫でた。

「ヒューイって人は、とりあえず無害なわけ?」

「うん。ヒューイは暗殺者の見習いみたいな感じで、彼関連で物騒なイベントは起こらないはずだけど……」

 ヒューイ・クランベル。クランベル男爵家の次男として学院に転入してきたが、その正体はダンテと同じ暗殺組織の構成員だった。ダンテの弟分で十六歳。本来ならばギルバートと同じ学年になるのだが、ダンテと話し合いをするために年齢を偽って二年に転入してきたのである。

 サブキャラとは思えない可愛らしい容姿に有名な声優さんが付いたことから、ファンディスクでも攻略できないのにファンからは人気があるキャラクターだった。

(そういえば、一華ちゃんもヒューイのことが好きだったなぁ……)

 セシリアは前世に思いを馳せる。

 何でもかんでも腐らそうとする一華だったが、ヒューイだけは特別だった。


『ヒューイくんめっちゃ可愛い!! めっちゃ!! ひよの、私ショタっ気あったのかな!? どうしようヒューイくん見てると、ドキドキする!!』

『めずらしいね。でも、一華ちゃんって夢っ気なかったよね?』

『なかった! なかったはずなんだけど!! もうあの可愛らしさにやられちゃったのかなぁ!!』


 心臓を押さえながら胸をときめかせていた彼女は実に可愛らしかった。

 それから彼女はダンテルートを経由して、ヒューイがかかわるイベントを何度も繰り返しプレイしていた。

(なつかしいなぁ。今ここに一華ちゃんがいたら、『生ヒューイくん!!』って言いながら喜んだだろうなぁ)

「で、どうするの? このままじゃ、リーンがダンテルートとやらに入っちゃうんでしょ?」

 ギルバートの言葉にセシリアは現実に引き戻される。

 そうだ、感慨にふけっている暇はない。

「……でも、どうすればいいのか……」

「このまま見守ってみる?」

「それはあまりにも危険というか……」

 ダンテルートは正直攻略サイトなしで進むのは無理だった。ひよのも両手の指の数では足りないほど、彼のルートでは失敗を繰り返していた。

 大体、選択肢の『頑張って』と『頑張ってね』で違いがあるのがおかしいのだ。『頑張って』なら生き残れるが、『頑張ってね』だと死んでしまうだなんてエグすぎる。

 このときの『ね』はおそらく世界一重たい『ね』だろう。

 しかし、セシリアがいくら考えてもダンテルートを避ける良い案は浮かばなかった。

 逡巡していたギルバートは、ややあって顔を上げる。

「あのさ。ヒューイが来ても、リーンがダンテの正体に気づかなかったらルートには入らないんだよね?」

「うん。そうだけど」

「なら、止めたらどう?」

「止める?」

 意味がわからずセシリアはオウムのようにギルバートに言葉を繰り返した。

「リーンにダンテとヒューイの言い争いを聞かせないようにしたら良いんだよ。そうすればリーンがダンテの秘密に気づくこともないし、狙われる理由もなくなる」

「そっか! それならなんとかなるかも!」

 ギルバートの妙案にセシリアは手を打った。


 その日の放課後、ギルバートの提案で二人は中庭に待ち合わせた。イベントはヒューイが転入してきたその日の放課後、中庭で行われるとわかっていたからだ。しかし、ヴルーヘル学院の中庭は広い。なので、二人は南側と北側に手分けして見張ることにしたのである。

 リーンが来次第追い返す予定だ。

 セシリアは中庭の南側で木陰に身を隠した。

(ちゃんと、追い返さないと!)

 しかし、いくら待ってもリーンは来なかった。

 それから三十分、セシリアは木陰に隠れたままただ無為に時間を過ごした。

(ギルバートの方でイベントが起こったのかな?)

 目をこらしてみても、ただでさえ広い上に木々に視界を遮られ彼がいる方までは見えない。持ち場を離れるわけにも行かないので、セシリアはただただそこでじっとその時を待った。

(いい加減、遅いよね。ギルの方に行ってみよう)

 しびれを切らし、立ち上がろうとしたその時だった。中庭の南側の入り口からヒューイとダンテが現れる。

 セシリアは慌ててしゃがみ込んだ。

(え!? でもまだリーンが来てないのに!)

 ゲームではリーンが放課後木陰で本を読んでいるときにヒューイとダンテが現れる。セシリアは辺りを見渡したが、どこにもリーンの姿は見当たらなかった。

 そうこうしているうちに二人は言い争いを始めてしまう。

「なぁ、ダンテ、戻って来いよ!」

「俺は戻る気はない」

(これってやばくない?)

 今出口に向かえば、確実に二人に見つかってしまうだろう。それは避けなくてはならない。

(これって、もしかしてリーンと同じ状況なんじゃ……)

 木陰に隠れる人間は変わっているが、状況的にはそっくりそのままである。

 二人の舌戦は続く。セシリアは更に身を小さくさせた。

(私はリーンじゃないし! 大丈夫!!)

 そう何度も自分に言い聞かせた。

「もう知らねぇ!!」

 没交渉に終わり、ヒューイは踵を返して中庭から出ていく。とりあえず、二人同時に見つかってしまう危機からは脱したらしかった。

 肩の力を抜けば、汗がどっと噴き出てくる。

(確かゲームではこのあと、隠れていたリーンをダンテが見つけて)

 彼はリーンの隠れていた木陰をのぞき込み、妖しく笑うのだ。

「こんなところで何してるの?」

「そう、『こんなところで何してるの?』って――えぇ!!」

 上からのぞき込んでいたダンテから慌てて距離を取る。ダンテの顔にはイベントで見たあの妖しい笑顔が張り付いていた。

 ひゅっと冷たい息を吸い込む。身体が強ばった。

「ダ、ダダダダンテ!?」

「盗み聞きなんて悪い子だね」

(台詞まで一緒ー!)

 リーンに向けるはずだった台詞をセシリアに向けて、彼は何かを考えるように下唇をなぞった。

「もしかして……見ちゃった?」

「へ? な、なにも! 俺は何も見てないし!! 聞いてない!!」

「ふーん」

 このときばかりは嘘が得意ではない自分を呪った。こんな態度では自分から見ていたと言っていたようなものである。

(ゲームでは、リーンは好感度が上がってる状態だから殺されないけど……)

 自分はセシリアである。好感度どころか先日までまともに話したことがなかった仲である。

(なんとか、しないと……)

 このまま殺されるわけにはいかない。今のダンテは暗殺自体をやめたわけではないのだ。人を殺すことに躊躇はないが、オスカーだけは殺したくないと思っている状態である。

 つまり、ダンテにとって邪魔な存在だとわかった瞬間、彼は躊躇なくセシルを殺すということだった。

 セシリアは一か八かの賭に出ることにした。

 震える声を整える。

「……ダンテ、俺は全部知ってる」

「全部?」

「そう、ここで話していた事も。それ以上も。君が隣国のジャニス王太子に言われてここに来ていることも、君の所属している暗殺組織がハイマートという組織だと言うことも……」

 見事に言い当てられ、ダンテの顔から表情が消える。その恐ろしい顔にセシリアは震えた。しかし、ここで怯んでは逆効果だ。

「俺は、君のもっときわどい情報も知っている」

「ふーん」

「でも俺は、それを誰にも言うつもりはない」

 ダンテは目を眇めた。セシリアの出方を見ているのだろう。

「だから、取引をしよう」

「取引? お金でもせびるつもり? そんなもの必要ない。今ここで君を殺せばいいだけの話だ」

 彼らしくない低いだけの声に、唾液を飲み込んだ。

「ここまで知ってる俺が、ダンテのことについてなんの対策もしてないと思ってる?」

「ん?」

「俺は今、もてるすべての情報をある人物に預けている。俺が死んだらそれが公開される手はずになっているんだ。だから、俺に対する行動は気をつけた方が良い」

 ダンテは眉を寄せたあと、しばらく考え込むようにこめかみを指で叩いた。

「……まったくのはったりってわけでもなさそうだね」

 実際、全くのはったりというわけではない。多少盛ってはいるが、自分が死んだらギルバートが教えた情報を全て公開するだろう。

 諦めたようにダンテは肩をすくめた

「取引って何? 俺は君に何をすれば良いのかな?」

「えっと……」

(逃がしてくれればそれでいいだけ……なんだけど……)

 そういうわけにもいかないだろう。

 今の彼は『逃がしてくれれば……』では絶対に納得しない。

 セシリアはキッと顔を上げた。

「ダンテは、私が女だって気づいてるでしょ?」

「うん」

 そこに迷いはなかった。やはりバレていたのだ。

 セシリアは凜とした声で告げる。

「私はとある事情で男としてここにいるの。だから、私が女だって言うことは黙っていて。その代わり、私も君の秘密を守る」

「……それだけ?」

 拍子抜けしたような顔でダンテはセシリアを見る。

「それだけだけど。……もっとふっかけた方が良かった?」

「まさか」

 肩をすくめる彼はもういつものひょうきん者に戻っていた。

「気に入ったよ、セシル。今日から僕らは共犯者だ。よろしくね」

「う、うん」

(選択。間違ったかな……)

 そうは思いながらも、セシリアは差し出してきたダンテの手をとるしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る