25


「はい、お二方とも。もう少し顔を近づけてください! そう! そう! そのまま肩に手を乗せて! セシル様、もっと色っぽい雰囲気を出してくださいませ!」

「いや、色っぽい雰囲気と言われても……」

「オスカー様はもう少し圧倒されている感じで!」

「……」

 セシルとオスカー、それとリーンは校舎裏にいた。校舎の壁を背にしてオスカー、彼を閉じ込めるような形でセシリアが立っている。

 いつぞやの壁ドンと全く逆の配置だ。

 オスカーの膝を割るような形でセシリアが足を入れているのはリーンの指示である。

「小説の方に挿し絵を入れようと思っていたんですが、どうにもモデルがいないと上手に形にならなくて! 本当にありがとうございます! セシル様!」

「はぁ……」

 こんなつもりで手伝いをもう申し出たわけではないセシリアは気の抜けた返事をした。

 そして、目の前でおとなしく指示に従っている、もう一人の被害者に声をかけた。

「オスカー、変なことに巻き込んじゃってごめんね?」

「俺は別に。お前と違って立ってるだけだしな」

 二人が会話をしている間、リーンはスケッチブックに向かって必死に鉛筆を動かしていた。なんとも真剣な顔である。

 そのまま固まっているだけというのも暇なので、セシリアはオスカーに前から聞きたかったことを聞くことにした。

「そういえばさ、オスカーはあの小説のことどう思ってる?」

「あの?」

「俺とオスカーがモデルの、あの……」

 男同士な上に、セシルは男爵子息という身分だ。公爵令嬢セシリアならいざ知らず、王太子と男爵子息。普通ならばなかなか話すこともない相手同士である。不快に思っているようだったら申し訳ないと思い、彼女はそう聞いたのだった。

「別になんとも思ってないぞ。そもそも、お前が俺をどうのこうの、というのが非現実的だろう。お前のような細腕の男なんて片腕で押し返せる」

 オスカーはあっけらかんと言う。本当になんとも思っていないようだった。セシリアは胸をなで下ろす。

「そうだよね。俺がオスカーを押し倒すなんてあり得ないよね。逆ならともかく」

「そうだな、逆ならまだ現実味が……。逆?」

 オスカーはしばし固まった。

 そして、何を想像したのか、彼の表情はみるみる赤くなっていく。

 間近で彼の顔を見つめていたセシリアは、その変化にいち早く気がついた。

「オスカー、大丈――ぶっ!?」

 セシリアが顔をのぞき込んだ瞬間、オスカーは顔面を掴んで押し戻した。

「今顔を近づけるんじゃない! びっくりしただろうが! びっくりしただろうがっ!!」

「心配しただけなのにー」

「俺にはセシリアが居るんだ!」

「オスカーの側には居ないけど?」

「そういう話をしてるんじゃない!」

「俺だってそういう話をしてるわけじゃないんだけど」

 最近、オスカーの様子が少しおかしかった。

 普段は普通なのだが、セシリアが顔を近づけたり、身体の一部に触れると、今のような過剰な反応を示すのだ。

 せっかく仲良くなってきたのに距離を取られるのは、セシリアとしても少しさみしいものがあった。

 リーンはスケッチを一枚描き上げると。ページをめくった。

「次はオスカー様、ボタンを二、三個外してもらえますか!?」

「は? まだ描くのか?」

「当たり前ですわ! こんなチャンスめったにありませんもの! セシル様はそこに手を這わせて!」

「えぇ!?」

「指先だけをシャツの中に入れる感じで! ……ストップ! 良い感じですわ。そのまま」

 そうしてリーンはまたスケッチブックに視線を落とした。自由な女の子である。

 正直、オスカーとこんな格好を取るのは恥ずかしくて仕方がなかったが、ギルバートの事を思えば頑張れた。

「それでは今度は――」

「あの、リーン」

 セシリアは振り返る。

 さすがにこれ以上は恥ずかしいからやめてほしいと口を開きかけたその時だ。

 リーンの奥にこちらを見つめる人影があることに気がついた。

「あ、ギル……」

 そこにいたのはギルバートだった。

 彼は何も発することなくずんずんと三人のところまで歩いて行く。そして、セシリアの手首を取った。

「ちょっ!?」

 そのまま何も言わずに彼女をどこかに連れて行こうとする。これにはオスカーも声を上げた。

「おい、ギルバート!」

「殿下、今は黙っていてください。俺は機嫌が悪いんです」

 振り返ることなくそう言う。

 セシリアはギルバートに引きずられるように、その場をあとにした。


 連れてこられたのはいつもの温室だった。

 そこにはやはり二人以外の人間の姿はない。

 終始無言を貫いているギルバートにセシリアは恐る恐る声をかけた。

「あのー……ギル?」

「なにさっきの?」

「さっきのって……」

 彼の言う『さっきの』というのはオスカーと身体を密着させていたときのことだろう。

 責めるような声色にセシリアは身を小さくさせた。

(リーンにギルのこと頼んでるのは伏せた方が良いわよね……)

「えっと、さっきのはリーンに小説の挿絵にするから手伝ってって言われて……」

 そこで初めてギルバートはセシリアの方を向いた。その顔は想像していたよりも表情がない。

「手伝って? 手伝ってって言われたら、姉さんはああいうことも平気でするわけ?」

「い、いやぁ……」

 さすがに普通に頼まれただけならしない。しかし、今回はギルバートのことがあったから、セシリアもリーンに従ったのだ。そして今それをギルバートに責められている。

「よく、あんな格好できるよね。姉さんには羞恥って感情はないの? 公爵家の令嬢があんな事を平気でしてるって知れたらどうなるかわかってるの?」

「それは……でも、今はセシルだし!」

「セシルの姿だったら何やっても良いって勘違いしてない?」

 鋭い指摘に身体が跳ねる。

 それを思ったことがないと言ったら嘘になる。

「セシルの姿でも、姉さんは女性で、殿下は男性なんだよ? 節度ってものがあるでしょ」

「でも……」

「じゃぁさ」

 急にギルバートは距離を詰めてくる。手首を掴んでいた手が今度は腰に回されていた。逃げられない状態にセシリアは固まってしまう。

「俺がさっきの姉さんみたいにしてもいいわけ?」

 腰を掴んでいるのと反対の手で唇を撫でられた。

「ちょ、え……?」

 セシリアは反射的にギルバートの胸を押し返そうとするが、びくともしない。

 だんだん近づいてくる彼の顔にセシリアは為す術もなかった。ギルバートの顔が視界いっぱいに広がる。

(これちょっと、え? キスするみたいな……えぇ!?)

「ゃ……」

 セシリアはぎゅっと目をつぶり、身を固くさせた。

 次の瞬間、何も唇に触れることなく、ため息だけが落ちてくる。

「……わかったでしょ。今後は気をつけて」

 そう言って、ギルバートはセシリアを解放した。そのままセシリアに背を向ける。

「ギル!」

 セシリアの必死な呼びかけにも、ギルバートは振り返らず、そのまま温室から去って行った。


..◆◇◆


(やってしまった……)

 ギルバートは寮の部屋で一人項垂れていた。

 指先に触れた唇の感触を思い出し、顔が熱くなる。

(頭に血が上ったとはいえ、アレはやり過ぎた……)

 セシリアが自分からギルバートのことを意識してくれるまでこういうことは絶対にしないでおこうと決めていたのに、あまりにもあっけなくその境界線を越えた二人を目撃して歯止めがきかなくなってしまった。

 あのとき、セシリアが嫌がるそぶりを見せなければ、きっと二人の唇は重なっていた。

「嫌がられたんだよな……」

 その事実が深く胸に刺さった。

 セシリアはよく考えないままに目をつぶっただけだとは思うが、ギルバートにとってアレは拒絶だった。

 ギルバートは手の甲で目元を覆いながら「あー……」となさけない声を漏らした。

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