26
翌日、セシリアは苔になっていた。
寮から学院に続く道に置いてあるベンチで、彼女は呆然とうつむき、固まっている。
通り過ぎる生徒は、皆セシリアの異変に気づきながらも、彼女の話しかけづらい雰囲気に、見て見ぬふりをするだけだった。
彼女が苔になっていた理由。それはやはりギルバートにあった。
セシリアは、今日いつもより早く登校の準備を終わらせていた。毎朝、迎えに来てくれるギルバートにしっかり謝るためである。
彼はいつも早めにセシリアを迎えに来てくれていた。いつもは彼女の準備が整わず結構な時間待たせてしまうのだが、今日はその時間を謝罪に充てようとセシリアは意気込んでいたのだ。
なのにいつもの時間になっても、それから何十分たとうとギルバートは現れない。業を煮やしたセシリアがギルバートの部屋に赴くと、彼はもう登校したあとだった。
つまり、セシリアはギルバートにおいて行かれたという形になる。
(今までこんなことなかったのに……)
十二年も姉弟をしているのだ。喧嘩ぐらいはしたことがある。しかし、いつも翌日には仲直りをしていた。日をまたぐ喧嘩など、初めてのことである。
「そんなところで何をしてるんだ?」
落ちてきた声に顔を上げれば、オスカーがいた。彼は呆れ顔のままセシリアを見下ろしている。
セシリアはオスカーの顔を見ながら顔をゆがませた。
「ギルに……」
「ん?」
「ギルに嫌われちゃったぁ」
わっと泣いた。
オスカーはおろおろと視線をさまよわせ、とりあえず、といったかんじで隣に腰掛ける。
木が撓む感覚にセシリアは鼻をすすりながら隣を見た。
「とりあえず、泣き止め」
ぶっきらぼうに差し出してきたハンカチを受け取りながら、鼻をすすった。
「どうしよう。完全に嫌われちゃった」
「……昨日のことでか?」
「それもあると思うんだけど、俺がいろいろと不甲斐なかったから、怒ってるんだと思う」
ギルバートの『節度がない』という台詞が頭の中を回っていた。
セシルの姿だから何をやっても良いとは思ってはいない。けれど、セシリアの姿でいるときより自由は感じていた。上位貴族の令嬢というのは、その肩書きだけで人の何倍も不自由が多い。常に何をするにもきちんとしていなくてはならないからだ。
きっとギルバートはセシリアのそんな心を見透かしたのだ。もっとセシリアがちゃんとしっかりしていれば、ギルバートは怒らなかったに違いない。
「まぁ、俺も友人が多い方ではないし、こういうことに詳しいわけではないんだが……」
オスカーは迷うような声を出す。
「怒らせてしまったのなら、謝れば良いんじゃないか? 何かしてしまったと思うのなら、誠心誠意頭を下げれば良い」
セシリアはオスカーを見上げた。
こういうアドバイスをすること自体になれていないのだろう、彼はいつも以上に困ったような顔つきになっていた。
「俺にも原因があることだし、俺から謝っても良いんだが、この場合は逆効果だろう?」
「そう、だね」
ギルバートはセシリアに怒っているのだ。オスカーが頭を下げてもしかたがない。それどころか、人に謝らせるだなんて……、と軽蔑の目で見られるかも知れなかった。
セシリアは縋るような目でオスカーを見上げた
「どうやって謝ったら良いと思う?」
「……そうだな。とりあえず、好きそうなものでも手土産に持って行けば良いんじゃないか?」
「好きそうなもの……?」
ギルバートは何に対しても執着がない男だ。食べ物に対しても好き嫌いはあるけれど、嫌いなものが食べれないわけでもないし、好きなものが食べれない状態でも特に困らない。それは、物でも人間関係でもそうだった。
「ギルって何が好きなんだろ……」
「何かないのか? 幼少から大切にしている物とか、好物とか」
「えっと……あっ!」
セシリアは顔を跳ね上げた。
一つだけ思いついたのだ。ギルバートが昔から大切にしているもので、今でも保管しているもの。
「オスカー! この辺のこと詳しい!?」
「すごく詳しいってわけでもないが……」
「この辺で青い竜胆が自生してる場所ってない!?」
..◆◇◆
「はぁ」
昼、ギルバートは中庭に置いてある椅子に腰掛けていた。目の前には円卓と広げられたレポート用紙。昼食を食べる気にもならないので、前の時間に渡された課題を黙々とやっていた。
彼を悩ませていたのは、昨日のセシリアとのやりとりだった。顔を合わせるのが気まずかったので、今朝は迎えに行かず一人で登校してきたのだが、それすらも悩みの種になっていた。
(姉さん、傷ついただろうな)
顔を合わせづらかったとはいえ、あんな風に置いていくようなまねをしてしまい、申し訳なさが募った。
そんな想いをかき消すようにギルバートは黙々とペンを走らせる。
「ギルバート様、何かお悩みですか?」
課題がほぼほぼ終わりかけた頃、そう声がかかった。
ギルバートは顔を上げる。そこにいたのは、リーンだった。
「何かご用ですか?」
いつになくつっけんどんな態度が出てしまう。
爵位的にはギルバートの方が上だが、基本的に彼は誰に対しても敬語で接していた。砕けた言葉を使うのは、この学院でセシリアだけである。
「何をしているのかなぁと思いまして、声をかけてしまいました」
「そうですか。見ての通り、忙しくしています」
暗に『帰れ』と言い含めて、ギルバートは笑った。
しかし、それにまけないぐらいの良い笑顔でリーンも応えた。
「それでは終わるまで待ちますので、少しお話ししませんか? 前々からギルバート様に興味があったのです。いろいろお聞かせ願えれば嬉しいのですが……」
「興味? 冗談を……」
ギルバートは鼻で笑う。リーンが自分に対して興味を持っているわけがない。そんなものは今までの行動からわかることだった。
ギルバートは課題を終わらせると、筆記用具とレポート用紙をまとめた。
「どうせセシルに頼まれたんでしょう? 俺のことを構ってやれって。俺は平気ですので、放っておいてください」
「あら。何もかもお見通しなのですね」
あっけらかんと白状して、リーンは肩を揺らして笑った。
「セシルがいくら馬鹿で阿呆でも、自分からああいう手伝いをするとは言い出さない。するなら、交換条件を出されたときです。セシルはあなたに協力する代わりに俺をよろしくとでも言ってたんでしょう? 彼は俺が貴女を好きだと思っているようですから……」
「勘違いしてほしくはないのですが、先に交換条件を出してきたのはセシル様ですよ」
「……わかってますよ。それぐらい」
鼻筋がくぼむ。
リーンとのやりとりにギルバートは苛々した。
セシリアは常々『リーンが思ったように動かない!』と嘆いているけれど、これは確かに誰かの思うとおりに動くたまではない。どちらかといえば、人を思ったように動かす側の人間だ。
「あんな姿を見せられて、不快でしたか?」
「貴女には関係ないことでしょう?」
気持ちを見透かしたような台詞も気に入らなかった。
「セシル様って、とってもお馬鹿で阿呆ですわよね」
「……」
今まで流してきたギルバートだったが、その台詞にはカチンときた。自分がセシリアのことをどうこう言うのはいいが、他人に言われると腹が立つ。
ギルバートは無言のまま彼女を睨み付けた。
しかし、リーンは穏やかな笑顔を浮かべたまま少しもひるまない。
「ですから、『気づいてもらおう』とか『意識してもらおう』というのはおこがましいのではないですか? 告げられてもいない感情に気づけるほど、今の彼に余裕はないでしょう」
「……何が言いたいんですか?」
「謝るなら早いほうが良いと言っただけですよ」
「……」
「そして、私にもっと面白い物語を見せてくださいませ」
彼女はそれだけ言うと、腰を折って淑女の礼をする。
そうして、踵を返した。
「あ、そうそう。一つ聞いておくのを忘れておりました」
リーンは可憐に振り返る。
「セシル様、今日学園に来ておりませんの。ギルバート様は何か知りませんか?」
「は?」
「……ご無事だと良いですよね。世の中、物騒ですから」
彼女は言いたいことだけ言って、去って行く。
ギルバートは嫌な予感に口元を覆った
「物騒って……まさか」
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