22


 シルビィ公爵家の遠縁、コールソン公爵家には男児が三人いた。

 上の二人は大変優秀で、どちらが跡をとっても良いと言われるほどの秀才ぶりを見せていた。両親はそんな彼らを溺愛し、考え得る限りの愛情を示していた。

 一方、末子のギルバートは上二人の兄弟の出がらしと言われ、ぞんざいに育てられてきた。

 彼の部屋は兄達や両親達とは別の離れにもうけられており、一ヶ月に一度ほどしか両親は会いに来てくれなかった。甘えたい盛りなので何度か甘えてはみたものの、母親は一度として相手をしてくれたことはなく、ギルバートの世話や遊び相手はいつも使用人に任せっきりだった。

 家族だけれど、家族ではない。

 それが、コールソン家でのギルバートの立ち位置だった。

 そんな生活に絶望さえ感じ始めていた頃、遠縁のシルビィ家の養子話が持ち上がる。

 シルビィ家には現在、五歳になる女の子がいるが、男児が生まれなくて困っていたらしい。

 古い慣習だが、基本的に爵位を世襲するのは男と決まっていた。どうしてもの場合には例外が適応されるが、あまり一般的ではないのが現実だった。

 貴族の責務として跡取りは残さなくてはならない。そこで、男児が三人いるコールソン家に白羽の矢が立ったのだった。

 最初は二番目の兄が行くという話になっていた。うまくいけば、シルビィ家の跡が取れるのだ。

 しかし、もしもシルビィ家に男児が生まれた場合、二番目の兄はシルビィ家で冷遇されるかもしれない。かの家の奥方はまだ若く、妊娠の可能性は十分にあった。

 こういった懸念から、『冷遇されてもいい子』としてギルバートが選ばれたのだ。

 出発の日、ギルバートの見送りに家族は誰も来なかった。

「僕は捨てられたのかな?」

 そう言ったギルバートに使用人は「行ってらっしゃいませ」と深々と頭を下げただけだった。


 養子先であるシルビィ家は、ギルバートを快く迎え入れてくれた。むしろ大歓迎だった。

 特に、義姉になるセシリアは「やっと姉弟が出来たのね!」といって、ギルバートを抱きしめて喜んでくれた。

 そんな風に歓迎されたギルバートだったが。最初、彼はセシリアの事が好きじゃなかった。

 むしろ嫌いだった。大嫌いだった。

 自分と同じように跡を取れない身でありながら、彼女は両親に溺愛されていた。愛されて、愛されて、愛情で溺死しそうなぐらいに愛されていた。

「どうして、同じ境遇なのにこんなに違うのだろう」

 シルビィ家に来てから、彼はそんなことばかり考えていた。


 そんな生活が半年ほど続いたある日、ギルバートは体調を崩した。熱も高く、しばらく自力で起き上がれないほど体力は消耗していた。

 元々、ギルバートは身体が強い方じゃない。コールソン家に居たときもしょっちゅう身体を壊していた。両親はギルバートのそんなところも気に入らなかったようで、体調を崩しては、陰で『面倒』だの『情けない』だの使用人に漏らしていた。

 心配してもらった記憶は一切ない。

「ギルー、大丈夫?」

 体調を崩してから、セシリアは何度もギルバートのお見舞いに来ていた。時には額のタオルを替え、看病を買って出たこともあった。

 正直、ギルバートは看病に来るセシリアがうざったくてたまらなかった。手先が不器用なのか看病もたどたどしかったし、ままごとの延長を自分でやっているとしか思えなかったからだ。

 人形と同じように扱われている。

 そう思ったら、腹だって立った。

 しかし、ここで彼女を部屋から追い出そうものなら、自分の居場所はシルビィ家にもなくなってしまうかもしれない。

 だからなにも言えず、ギルバートは彼女の人形役を甘んじて受け入れるしかなかったのだ。

 彼女は毎日、毎日、飽きることなくギルバートの元へ通う。そして、自分の気が済むまで子守歌を歌ったり、本の読みきかせをしたりするのだ。

 そして最後にはいつも「何か欲しいものある?」と聞いてくる。

 ギルバートはそれにいつも首を横に振っていた。


 その日もそうだった。

 彼女は彼の汗を拭き、喉が嗄れるまで本の読み聞かせをしてくれたあと、掠れる声で「何か欲しいものある?」と聞いてきた。

 普段ならそこで首を振るのだが、その日のギルバートは少し違った。

 この偽善的な義姉に、ちょっと意地悪をしたくなったのだ。

 ギルバートは先ほどまでセシリアが読み聞かせをしていた本の挿絵を指さした。そこには何でも願いを叶えてくれるという青いバラが描かれている。

「これがほしい」

 そう願った。

 青いバラなんてこの世には存在しない。それがわかっていたから、ギルバートはわざとそう言ったのだ。

 義姉の困った顔が見たかった。

 しかし、セシリアはその挿絵を見て「うーん」と小さく唸ったあと「わかったわ! 明日までに探しておくわね!」と宣ったのだ。

 これには驚いたが、どうせ青いバラがこの世に存在しないことを知らないのだろうと思い、放っておいた。

 案の定、翌日のいつもの時間になっても彼女は姿を現さなかった。

 きっと義姉は今頃困っているだろう。そう思ったら、すごく清々した気分になった。自分を人形のように扱った報いだと、本気でそう思った。

 けれど、いつもより静かな室内に寂しさを感じたのも事実だった。

 その日の夕方、眠っていたギルバートは何かを叩く音で目をさました。

 起き上がって見渡してみれば、窓の外に義姉が居た。

 彼女の頬は泥で汚れており、手には何かを握っていた。

 ギルバートは慌てて窓を開ける。すると鼻先に一本の花が差し出された。

「ごめん。青い花、これしかなかった!」

 彼女が持っていたのは青色の竜胆だった。

「お薬にもなるんだって! 崖の真ん中に生えてるからとってくるの大変だったよー」

「崖!?」

 ひっくり返った声が出た。

 確かに屋敷の裏には崖があるけれど、まさか彼女は一人でそこを登ったというのだろうか。

 よく見ると彼女のドレスは土でドロドロに汚れており、どこかに引っかけたのか裾は破れてしまっていた。頬には擦り傷、額はどこかにぶつけたのだろう、赤くなっている。

「今日のお勉強サボっちゃったから、お母様に怒られちゃう」

 そう言いながらも、彼女は笑みを崩さなかった。

 ギルバートは震える手で差し出された竜胆を受け取った。「なんで……」

 気がつけば声まで震えてしまっていた。

 何でここまでしようとしてくれるのか、意味がわからなかった。

「だって、私、ギルのことが大好きだからさ! ギルが元気なかったら悲しいもん!」

 無邪気な笑顔を浮かべながら、彼女はそう言い放った。

 そして、土だらけの手でギルの頭を撫でてくる。

「ね? だから、早く一緒に遊ぼう!」

「ん……」

 瞳が潤んだ。涙が玉になり、ほほを転がる。

 自分を好きだなんて、生まれてこの方聞いたことがなかった。それがこんなに温かい響きだと言うことも、初めて知った。

「どうしたの? ギル。身体痛い?」

 窓の外から彼女は顔をのぞき込んできた。

 よく見れば、いつも綺麗にまとめているハニーブロンドの髪の毛はぐちゃぐちゃになっていた。きっと何度か転けたのだろう。

 ギルバートは涙を拭う。

「うんん。僕も姉さんのことが大好きだなぁって」

「そっか!」

 彼女は出会ってから一番の笑顔を浮かべた。

 それから、ギルバートは義姉のことを慕うようになった。

 その気持ちが恋愛感情だと気づくのに時間はかからなくて、気がついたときにはもう戻れないところまできてしまっていた。

 セシリアは未だに自分を義弟として見ている。それはわかっていたから、決して手は出さなかった。けれど諦める事もできなかったから、外堀を埋める準備も着々と進めていた。

 もし、セシリアと王太子の婚約が破棄になった場合、プロポーズをしてもいいとシルビィ家の両親に許可だって取っている。戸籍上は姉弟だが、結婚する方法がないわけではない。方法だって調べた。根回しも済ませてある。

「なのに、なんであんなぽっと出のやつに……」

 オスカーのことは嫌いではない。けれど、セシリアのことになると話は別だった。

 胸の中が嫌な気持ちで満たされる。

 握った手のひらから、黒い靄が立ち上ったような気がした。

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