21
林間学校から帰ってきてから一週間、リーンが転入してから一ヶ月が過ぎようとしていたある日……
「ねぇ、ギル」
「なに?」
「機嫌直してほしいなぁ……って」
「別に、俺はいつも通りだけど」
ギルバートの機嫌は最高潮に悪くなっていた。
寮から学園へ向かう道すがら、セシリアは隣を歩く義弟を見ながら眉根を下げる。
ここ最近の彼の機嫌は最高潮に悪かった。
話しかければきちんと応えてくれるし、望めば一緒に昼食もとってくれたりするのだが、その対応はいつも以上にそっけないものだった。
セシリアに対して、彼はいつも辛辣だ。『馬鹿』も『阿呆』も平気で言うし、グサリと心をえぐるようなこともいとも簡単に言ってしまう。
けれど、その言葉の裏にはいつも優しさが見て取れた。愛情と言っても良いかもしれない。強い言葉を使いながらも、そそっかしい義姉を彼はいつも心配していた。
けれど、ここ最近の彼の言動はとげのほうが目立っていた。
二人が喧嘩をしたというわけではない。原因は他にある。
そして、セシリアはその原因に心当たりがあった。
(やっぱり、アレが原因よね……)
セシリアは校庭のベンチではしゃぐ女生徒を眺めた。
彼女たちの手には一冊の本がある。
「これよ、噂のニール様の小説! 友人からやっと貸してもらえたわ!」
「セシル様とオスカー様によく似た二人が出てくるという噂のやつよね。あぁ、私も読みたかったの!!」
「キャロルは泣いてしまったらしいわ。今朝目が真っ赤だったもの!」
「今から楽しみね!」
悦に入ったように二人はうっとりと瞳を閉じた。
セシリアはそれを見ながら頬を引きつらせている。
ここ最近、どういうわけかリーンの書いた例の小説が生徒の間で回り始めていた。
どうやら、彼女は自分が書いた小説のいくつかをきちんと製本し、学園の図書館に置いていたらしいのだ。
製本に協力したのは、最近印刷業の方にも手を伸ばしはじめていたジェイドだろう。
その本が誰かの目にとまり爆発的なブームをみせたのが三日前。それから女生徒は皆、彼女の本に夢中になっていた。
ちなみに、著者であるニールというのは『Lean』のアナグラム『Neal』からきているらしい。
小説が広まり始めたとき、セシリアはリーンを呼び出して、なせそんなことをするのか理由を問いただした。
彼女曰く、趣味仲間を増やすことが目的らしい。
ジェイドは見事仲間に引き入れる事に成功したが、彼だけでは足りないらしい。沼に引きずりこむには、本人に刺さる作品に触れさせる事が大切だと、彼女は豪語していた。
『作り手が私しか居ないのが、今の最大の悩みですわ。なので作り手を一から育て上げるのです!』
リーンの元気な声が耳朶に蘇る。なんともアグレッシブな女の子だ。
そして、ギルバートの機嫌が悪いのは、彼女の書いたその小説が原因だった。
「セシルはよくああいうの耐えられるよね」
セシリアの視線を追いながら、ギルバートは口をへの字に曲げた。
義姉のことを『セシル』と呼ぶのは人目があるからだ。
「ああいうの?」
「あんな風にネタにされてさ。しかも、殿下と。よりにもよって、殿下と!」
ギルの言葉にセシリアは「あぁ」と漏らす。
「さすがに年齢制限ある本とかじゃないし、モデルは俺とオスカーだろうけど名前は違うし、別にもう良いかなぁって……」
登場人物のモデルはオスカーとセシルだ。しかし、名前は別物になっているので、もうセシリアがどうこう言えるものではなかった。オリジナルキャラクターだと言われてしまえばそれでお終いだろう。
しかし、雰囲気や口調から、みんなうっすらと二人がモデルなのではないかと勘づいてはいるようだった。
「俺はそうとは思えない。創作でも何でも、嫌なものは嫌だ」
要するにギルバートは、本の中で二人がイチャイチャしているのが気に入らないらしい。
彼はいつも汚物を見るような目で本を睨み付けていた。
(ギルってば、お姉ちゃん子なんだから……)
彼はいつも変わらない。
口が悪くて素直じゃない、義姉想いの可愛い義弟だ。
「しかも、いつの間にか本当に殿下と仲良くなってるし……」
ギルバート声はさらに低くなる。
林間学校から帰って以来、オスカーとセシルの仲が妙に良いことが気にくわないのだろう。
セシリアは苦笑いを浮かべながら頬を掻いた。
「林間学校でいろいろあったからね。オスカーも悪いやつじゃないってわかったし。一緒の部屋になったときは、正直どうしようかって思っちゃったけどさー」
「は? 一緒の部屋?」
「あ」
ギルバートは目を見開き、信じられないと言わんばかりの形相で彼女を見つめる。
セシリアは輪郭に冷や汗を滑らした。
長年の付き合いでわかる。彼女はたった今ギルバートの地雷を踏み抜いたのだ。
彼は足を止め、セシリアに詰め寄った。
そんな彼から逃げるように彼女は建物の外壁に背中を押しつける。
「一緒の部屋ってなに? 林間学校で? 一人部屋じゃなかったの?」
「いや、あの、その……くじでたまたま……」
「くじで……?」
ギルバートの表情はどんどん険しくなっていく。
暗いエメラルドの瞳がセシリアを見下ろす。顔に影が出来てる辺りが最高に怖い。
彼女はあわあわと両手を動かした。
「いや! でも、バレなかったよ! 一緒の布団で寝たけどなんともなかったし!!」
「……一緒の布団……?」
みるみるうちにギルバートの表情が無くなっていく。
無表情がこんなに怖いものだとセシリアはこの時初めて知った。
「何で? 無理矢理連れ込まれたの?」
「えっと、あの……いろいろあって怖くなっちゃって……」
「自分から入ったの?」
「結果的には?」
セシリアがそう言った瞬間、ギルバートの方から歯をかみしめる音が聞こえた。怒鳴られると思ったセシリアは身を小さくさせる。
しかし、ギルバートは怒鳴るどころか声も上げなかった。それどころか身を翻し、再び歩き出してしまう。その歩幅は大きく、彼女を置いて行かんとする勢いだった。
「ちょっと、ギル!」
「ごめん。ちょっと今、顔見れない」
「な、なんで怒ってるの!? さっきの不機嫌とはまた違うよね!? 俺、何かしちゃった?」
ギルバートのあまりの怒りように、セシリアは慌てた。
どんどん離れていく彼を、彼女は腕を掴んで止めようとする。
しかし、それも振り払われた。
「ギル……!」
「もうちょっとついてこないで。次会うときまでに頭冷やしとくから」
そう言い残し、彼は足早に学園の建物に入っていく。
去って行く背中を見守りながら、セシリアは顔をこわばらせた。
「まずい。ギルを怒らせちゃった……」
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