17


(どうしよう……眠れない……)

 電気の消えた部屋の二段ベッドの上段で、セシリアは堅く目を瞑ったまま何度も寝返りを打っていた。

 先ほどの足跡の件が頭にこびりついて離れない。窓の外の人影と突き刺さるような視線を思い出せば、身震いがした。

(ちゃんと眠らないとダメなのに……)

 セシリアはさらに瞳を固く閉じる。しかし、一向に眠気はやってこなかった。

「大丈夫か?」

 突然下から声がかかり、セシリアの身体は跳ねた。

 それはもう眠っているとばかり思っていたオスカーの声だった。

「寝れないのか?」

「ちょっと……」

 本当は『ちょっと』どころではないが、そう返す。

「案外、肝が小さい奴なんだな」

「肝が小さいって……」

「普段、あんだけこっぱずかしい台詞がぽろぽろと出てくるんだから、もっと肝が太い奴かと思ったぞ」

 オスカーが言っているのは女生徒に話しかけているときのセシルの話だろう。

 セシリアは掛け布団を鼻まで引き上げた。

「あれは、男らしくしないとって、俺も結構必死で……」

「あれが男らしい?」

「男らしいでしょ?」

「……」

 少し前のギルと同じような反応を示し、オスカーは黙る。

 どうやらセシリアの考える『男らしい』と彼らの考える『男らしい』には大きな溝があるらしい。

「つまり、あの女生徒への態度は嫌々やってるってことか?」

「嫌々ってわけじゃないけどね。女の子好きだし! でも、疲れるのも確かかなー」

「お前も女顔で苦労したんだな……」

 気がつけば、先ほどまでの恐怖はなくなっていた。話をしていて紛れたのだろう。

 セシリアは恐怖の感情がなくなったことにも気づかず、しばらく他愛もない話に花を咲かせていた。

 そうしていると、オスカーの声色が少しまったりとしてくる。

「オスカー、もう眠い?」

「まぁな」

 衣擦れの音で目をこすったのがわかった。

 セシリアとしては眠らないでほしかったが、こればかりは仕方がない。

「付き合わせてごめん。もう寝よっか」

「……まだ大丈夫だぞ」

「眠そうな声でなに言ってるの」

セシリアは苦笑を漏らし、最後に「おやすみ」と付け足した。オスカーからも「おやすみ」と返ってくる。

 部屋はまた静寂に包まれた。するとまた、じりじりと足下から恐怖が這い上がってくる。

 キラーは誰なのだろう。

 どうして今回、アザレアの神子は殺されていないのだろう。

 窓から覗いていたのは誰なのだろう。

 もしかして、私は狙われているのではないのだろうか。

 静かになると、そんな疑問ばかりが頭に浮かんでくる。

 今まではなんとなく大丈夫だと思っていた。

 むしろ、誰も殺されていないのだから、自分もリーンも殺されないのだと高をくくっていた。

 しかし、こうなってみると自分の考えがどれだけ甘かったかわかってくる。これではギルが怒るのも無理はない。

 背筋が冷えて、目がさえた。このままでは望まぬ徹夜になってしまいそうだった。

「セシル」

 再び下から声がかかる。セシリアは目を見開いた。

「オスカー、起きてたの?」

「怖いなら、こっちで一緒に寝るか?」

「え?」

 何の気なしにそう言われて、声が跳ねた。驚きで。

 さすがにその選択肢は予想してなかった。

「別に嫌ならいいんだが……」

「えっと……」

 セシリアは考える。

 この二段ベッドは、人が二人寝るぐらいならどうってことないぐらいの幅がある。現にセシリアが両手を伸ばしてやっと両端に指先がつくぐらいだ。二人で寝て余裕ということはないが、詰めればなんてことない。

 問題は夜の間中カツラをつけて眠らなければならないことだが、それよりも眠れないことの方が問題だろうから、これは考えなくてもいい。

 嫁入り前の男女が同衾することは問題だが、今のセシリアはセシルで、男だ。

 男同士なら、同衾しても何の問題もないだろう。多分……

(誰かと一緒なら、確かに寝れるかも……)

 セシリアは勇気を振り絞った。

「じゃぁ、一緒していい?」

「あぁ」

「本当にいいの?」

「くどいぞ」

 セシリアはカツラをかぶり直し、布団と枕を持ってはしごを降りた。カーテンを引いて下段を覗くと、もうオスカーがすでに奥に寄って待っててくれていた。

 その顔には『本当に来たな』と書いてある。それでも嫌そうな態度を見せない辺りが優しかった。

「おじゃまします」

 セシリアはベッドに足を踏み入れた。

 先ほどまでオスカーがいたせいか、布団はほのかに暖かい。持ってきた掛け布団をかければ、ぽかぽかになった。

(あったかい……)

 これにはちょっと感動した。

「ありがとう、オスカー」

「ん。まぁ、ああいうことがあった後だしな」

 オスカーは出来るだけ端によってくれている。

「いびきうるさかったら起こしていいから」

「お前いびきなんかかくのか?」

「へへへ。ギルのベッドに潜り込むと、いっつもその理由でたたき出されちゃう」

「お前達、仲いいな」

 呆れるようにそう言われた。

「幼いときからの仲だからね」

「兄弟みたいなものか」

「うん。兄弟……姉弟だねー」

 そんなどうでもいいやりとりをしていると、不意に意識がもうろうとし始めた。眠たくなってきたのだ。

 身体が温まり、安心したからだろう。意外にも早く眠気はやってきた。

「オスカー……もう……」

「寝れるときに寝ておけ」

「うん」

 セシリアはオスカーに背を向けるようにして目を閉じた。

 目を閉じてから眠りに落ちるまで、一秒とかからなかった。


..◆◇◆


「何だ。いびきなんかかかないじゃないか」

 セシルが眠ったのを確認して、オスカーはそう漏らした。あまりにも早く寝付くものだから、眠れないと言ったのは嘘だったのかと勘ぐったほどだ。

 彼は穏やかな顔ですやすやと眠っている。

 側に寄り、頬にかかった髪の毛をどかし顔をのぞき込む。

 そこには女の子がいた。どこからどう見ても女の子である。これが男だというのだから、驚きだ。

「本当に女顔だな。身体も細いし……」

 最初に障りが現れたときの、講堂での身のこなしを見れば、鍛えてないというわけではないということは一目でわかった。

 けれど、だとすれば細すぎる体つきだ。

 しかも、腰のくびれ方が、女性のそれと見間違うほどである。

「実は女だってことは……あるわけないか」

 それならこうやってのこのこと男の寝台に潜り込んだりはしないだろう。

「どこかで見たことがある顔なんだがな……」

 オスカーはじっとセシルの顔を見つめる。しかし、該当する人物は思いつかなかった。

「んんっ!」

 視線に気がついたのか、セシルは小さく唸りがら寝返りを打つ。その瞬間、顔をのぞき込んでいたオスカーとセシルの鼻先が触れあった。

「――っ!」

 キスでもするかのような距離感にオスカーは慌てて飛び退いた。

 壁に張り付くように距離を取れば、心臓が激しく脈打つのがわかった。

 顔を手で覆えば、鏡で見なくとも赤くなっているのがわかるほどの熱を感じた。

「いやいやいや!! 驚いただけだ! アイツは男で、俺も男だ!」

 自分に言い聞かせるようにそう唱える。

 この感情の名前は知っている。けれど安易に名付けてしまえば、きっと戻れない。

「俺にはセシリアがいるんだぞ」

 心の中の初恋の彼女を思い浮かべる。

 思い出の中の彼女も、目の前の彼と同じように、オスカーの胸を熱くされるのだ。

 オスカーは壁に張り付くようにして横になった。セシルと最大限距離を取るためである。

「やばい。安易に誘うんじゃなかった……」

 冴え冴えとしてしまった思考回路に、彼は悔しげにそうこぼした。


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